第72話 尋問
レシュトロが地下の階段を上がり、神殿一階の隅の扉から姿を現すと、警備の男は慌てて道を空けて頭を下げる。
レシュトロはいつも口元に微笑みを湛えているが、目は全く笑っていない。そんな彼女の目元が笑っているように見えたことに驚き、頭を下げたまま彼女の顔を窺う。その横を通り過ぎながら、レシュトロは今しがたあった地下牢での出来事を思い返していた。
清めの砂の力で理性を弱めた結果、アガナタは自白するどころか、自らの舌を噛み千切ろうとした。
レシュトロは当惑しつつも、薬の力でこれ以上何も聞き出せないと悟り、仕方なくアガナタの薬が切れるのを待ち、それから尋問を再開することとした。
理性をほぼ失い、理解不能な生理的衝動で動くこの男と暗闇に二人でいる事に本能的な忌避感を覚えたが、かと言ってこのまま引き下がることを、レシュトロは良しとしなかった。
その時彼女は、朧を意のままに操る自分が、気圧され、尻尾を巻いて引き下がるなど、あってはならないと、本気で感じていた。
今まで感じた事の無い感情に自分で驚くレシュトロ。
自分の中にもそんな俗っぽい感情がある事を発見し、むしろそれを面白がることで何とか精神的バランスを保ちつつ、辛抱強くアガナタが正気に戻るのを待った。
ようやく薬の影響が弱まり、おもむろに顔を上げたことで理性が戻りつつあることを確認したアガナタに対し、その弱みを探るべく挑むレシュトロ。
まず初めに、アガナタの父であるアーオステニアを使って揺さぶりをかける。
「貴方の父親であるアーオステニア様は、ユスノウェル様にユラーカバネとの結託を疑われて、今、宮殿内の自室に軟禁されているの。このままでは多分、儀式の前に処刑されてしまうかもしれない。
……知っていたかしら?」
そんな事実は無かったが、レシュトロは一片の罪悪感も抱くことなく続ける。
「孤児である貴方を拾い、育ててくれた恩人である彼が、今回の件に無関係であると証明できるのは、アガナタ、貴方だけなのよ。
残念ながら、貴方が何を語っても語らなくても処刑は避けられない。けれど、貴方が本当の事を言って、アーオステニア様が無関係であると証言すれば、彼の無罪は証明される。
このままでは、叡智の宰相とまで言われ皆から慕われる彼が、貴方のただの身勝手で反逆者として処刑され、歴史にその汚名を刻むことになってしまうわ。
さぁ、勇気を出して、アガナタ。貴方だけが彼を救えるのよ」
そう言い、アガナタの口に詰められた血まみれの手巾を取り出す。
痛みに顔を歪め、むせ返ったアガナタは、それが落ち着いた後も自らの舌を噛もうとはしなかった。
けれど、彼は項垂れたまま何も言わない。
――まぁ、そう簡単にはいかないわね。
冷え切った瞳でアガナタを見下ろしながらレシュトロは続ける。
「恩を忘れ、暴挙に走り、家族を自己満足の巻き添えにするなんて、まともな人間のする事ではないわ。
……きっと、アーオステニア様は貴方を拾い、育てたことを後悔するでしょうね。情けをかけたばかりに、こんな形で恩を仇で返され、悲惨な最後を迎える事になるなんて予想もできなかったでしょうから。
義父も、義母も、義理の兄弟たちさえ裏切って、お前は一体どんな高尚な夢を見ているというの? お前に、人の心は無いの!? 皆の絶望する顔を思い浮かべても、お前は何も感じないというの!?」
アガナタは膝をついたまま床を見つめ、体を小刻みに震えさせながら、無言で耐えていた。
彼は、当然自分の行いが多くの人々を欺き、彼らに災いをもたらす可能性を理解していた。
自分が正しいとも思っておらず、裁かれるのが怖いとも思っていない。
しかしそれでも、こんな自分に手を差し伸べ、期待を込めて育ててくれた義父に対する裏切りともとれる自分の行いに、後ろめたさを常に感じていた。
誰にも語らず、密かに事を成し、人知れず姿を消す。
少しでも迷惑をかけないため、それが彼の理想ではあったが、こうして地下牢に捕らえられた以上、それも叶わないだろう。
清めの砂の効果が薄まり、少しずつ戻りつつある理性の中で、アガナタはぼんやりと考える。
(確かにこの女の言うとおり、全てを告白すれば父は最悪の事態は避けられるかもしれない。
……だが、それだけはできない。
ラニーアとの誓いを果たす為、全てを棄ててここまで来た。今更それを覆すことなどできはしない。
例え、自分がどんなに最低な存在になり下がったとしても、俺が、俺だけでも彼女の思いに寄り添わなくてどうする……。
人間以下と蔑まれようとも、彼女の理不尽な運命を「仕方ない」と片付けてしまうこんな世界を、俺は、受け入れない……!)
一方で義父への恩義が溢れ出し、理性と心が引き裂かれ、最早自分の感情がどうなっているのかすら分からなくなり、彼は歯を食いしばって泣いていた。
ふと、幼少の頃よく見た、アーオステニアの心配そうな瞳が浮かんだ。
「何かあれば、すぐに言いなさい。私は、お前の父親なんだ。遠慮はいらない」
「アガナタ兄さん!」
小さい頃からアガナタに懐き、いつも後ろをついて回っていた義妹の笑顔が、よぎる。
その向こうで、そんな様子の二人を見て義兄と義姉、そして義母が微笑んでいる。
こんなに素晴らしい家族はいない。そう断言できる、大切な家族が唐突に苦悶の表情を浮かべ、やがて体中から血が滲み、全身が赤く染まってゆく。
赤黒い塊と化した家族だった者たちが、憎しみの目でアガナタを睨み、絶望の声を上げながら彼に取り付いた。
「あ、あ、あぁ……」
顔を歪め、涙を流しながら何やら声を上げ始めた彼の様子に、人間としてのアガナタの心に確かに爪を立てている手ごたえを感じつつ、その罪悪感を上回る何かが彼の口を閉ざしているのを見て、レシュトロは考える。
――もっと心を壊さなければ。何もかも棄ててしまいたくなる程に、もうやめてくれと叫び出す程に心の傷口を抉り、千切る必要がある。
そして、彼女は無意識に舌なめずりをしていた。
しかし、その後、オッドーやナァラの名前を出して詰るも、ただ彼は泣きながら耐え続けるのみで思ったような変化を得る事が出来ず、レシュトロは苛立ち始める。
いっそ物理的な拷問の方が良いか? とも考えたが、本能で死を望む男が拷問で口を割る様子がどうしても浮かばず、そもそもレシュトロとしても「美しくない」肉体の拷問は好きでは無かった。
手詰まりとなりつつあったそんな時、ふと思い出したようにレシュトロが口にした言葉。
「……そう言えば、今回の生贄の巫女は偽物らしいわね。貴方知っていたの?」
彼女は、アガナタの様子をじっと観察する。
「あの巫女、本当はユオーミというらしいわね」
僅かだが、彼の呼吸が荒くなってる様子を感じ取り、少し考えた後、一瞬眉間に皺を寄せ、それから言葉を続けた。
「そのユオーミだけど、彼女、ユスノウェル様の血が混ざっているの、知っていたかしら?」
ぼたぼたと音をたて、石の床の上に何かが落ちた。
食いしばっていたアガナタの口元が緩んだせいで、嚥下することなく口の中に溜まっていた血が溢れ落ちたのだ。
唐突に目を見開いて短い呼吸を繰り返し、必死で空気を求めるアガナタ。その、瞳の焦点が合わず、ただ虚空を凝視している様子を、レシュトロは黙って見つめ、それから怪しく微笑んだ。
足早に神殿内の自分の執務室へと向かいながら、十五年前の出来事とアガナタが繋がっていた事を掴んだことに彼女は勝利を確信する。理解不能だと思っていた怪物の、根源を探り当てた事に気を良くし、自然と目元が緩んでいた。
理由は分からなかったが、雫石の上で、ユスノウェルの血液は赤から緑へと変わる。
そして、ユオーミの血も緑色に変わった。
ユスノウェルは妻との間に一人しか子がおらず、側室もいない。北方出身であり、親兄弟を戦争で国ごと失った彼には、親戚もいない。
十四歳になる娘が、彼の血を引く可能性とは一体何か。十五年前、一体何があったのか?
十五年前の禊の儀式の最中、一人の巫女が消えた。
結局その巫女は見つからなかったが、もしその彼女が生き延びており、何かしらの理由でユスノウェルの血筋を、その体に宿していたとしたら、全ての辻褄が合う。
そしてアガナタのあの反応。
彼女は、収穫のあったところで今日の尋問は切り上げとし、この後、徹底的に十五年前の記録を調べるつもりだ。
過去に起こった巫女失踪事件そのものは知ってはいたが、彼女はその時の巫女については詳しく知らなかった。
とにかく、そこに答えがある筈で、それさえ分かればあの怪物すら屈服させられると思うと、彼女の足取りは自然と軽くなる。
だが、廊下の角を曲がったところで、丁度向こうからやってきたアーオステニアと目が合い、彼女は一瞬で真顔に戻った。
「珍しく、ずいぶん機嫌がよさそうだな」
アーオステニアにそう言われ、彼女は心の中で舌打ちをした。
勝利の可能性に酔い、つい油断して感情が外に漏れていた事を反省しつつ、レシュトロは口元に笑みを張り付けて応じた。
「これはこれは、先日顔をニヤケさせていた神官長さま」
「……。まぁ、そうだな。間もなく巫女様も到着され、禊を経て生贄の儀式が執り行われる。
この前言っていた『きな臭い』という話は大丈夫なのか?」
レシュトロは、ユラーカバネの顔を思い出す。
あの時、レシュトロは、今年の生贄の儀式の災いの元凶と成りえるあの男について警戒し、アーオステニアに「きな臭くなってきた」と伝えていた。
だが、既にアガナタを捕らえ、じきに企みの全貌も分かる。そうなれば堂々とユラーカバネを処刑できるのだ。態々ユスノウェルが好まない「家族の問題」を彼に伝える必要もないと、彼女はそう判断した。
「ああ、その件ですが、じきに解決できそうですわ。ご心配をおかけしました」
口元の微笑みを深め、彼女はそう応じる。
そして、二言三言言葉を交わし、別れる二人。
だが、アーオステニアはすぐに立ち止まって振り返り、足早に自室へと向かうそんな彼女の背中を黙って見つめていた。
自分の執務室に入り、扉を閉めたレシュトロは、そっとその扉に背中からもたれ掛かり、静かに息を吐く。
彼女は平静を装いつつも、心の内は動揺していた。
アガナタの尋問に夢中ですっかり忘れていたが、証拠もない中でユスノウェルに無断でアガナタを捕らえ、地下牢で尋問している事実をアーオステニアに気取られる訳にはいかない。
そんな事になれば、彼は間違いなくアガナタの解放を唱え、ユスノウェルに掛け合うだろう。
――それだけは、絶対に避けなければ。無断で動いている事だけは、ユスノウェル様に知られる訳にはいかない。
ユスノウェルが自分に冷たい目線を向けるのを想像しただけで、レシュトロは胸が苦しくなり、膝が震えてしまう。
だが、彼に秘密で動かなければならない程、ユラーカバネは、そしてアガナタは脅威であると、レシュトロは確信していた。主人が息子から目を逸らすというのであれば、逸らしている間に処理するのが自らの務めであると信じ、彼女は意図して独断専行に走る。
それこそが、ユスノウェルの為であると。
それにしても、と彼女は考える。
脅威が他の誰かであったなら、幾らでも冤罪で始末できただろう。だが、あの二人は教団ナンバーワンとナンバーツーの息子たち。その彼らを処分するのであれば、やはり確かな証拠が絶対に必要だ。
(とにかく、今はスピード勝負。少しでも早く十五年前の事件の詳細を調べ、アガナタに真実を吐かせなければ)
目を閉じて大きく息を吸い、それからゆっくりと吐き出すと、彼女は目を見開き、壁に並んだ書棚を見つめる。
膨大な資料が所狭しと詰め込まれた書棚。そこには、教団の暗部が並んでいる。そしてその中には、三十年間毎年行われてきた生贄の巫女の記録の全ても含まれていた。




