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生贄の巫女 ~偽りの巫女と仮面の守護者~  作者: 雨包おん
第12章 聖都/地下牢:空の器
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第71話 本能



 投げるように放り込まれ、アガナタは倒れ込んで地に伏せた。

 淀み、湿り気を帯びた空気が掻き回され、黴臭さが鼻腔にまとわりつくようにしてねっとりと肺に流れ込む。得体の知れない何かが自分を内側から侵食するような不快感に、アガナタは思わずむせ返った。



 ここは、聖都にある神殿の、地下に隠された牢獄。


 神殿の地下には、ロの字型の通路に配された五つの大部屋があり、それぞれ倉庫として使われている。だが、ロの字の角にある階段を辿ってこの地下に降り、突き当たりにある四番倉庫の中を進んで、その奥の隅、棚の陰に隠れた鍵の付いた鉄の扉を開けると、そこには更に下層へと下りる階段があり、この地下牢へと通じていた。


 地下牢の存在は秘匿されており、知っているのは朧の一部の人間のみ。ユスノウェルも、アーオステニアすらも知らない秘密の場所。


 アガナタは緩慢に周りに目をやる。


 蝋燭の灯りにぼんやりと照らされた石造りの床と壁。その壁から垂れ下がる鎖。薄暗くて良く分からないが、何かの染みのようなものが床や壁に見て取れた。


 そして、淀んだ空気には、黴だけでなく鉄の臭いも混ざっているのに気が付く。


 不意に、後ろから来た二人の男に抱え上げられ、その石壁に背中から押し付けられると、アガナタは両手両足を鎖で拘束される。そして、無理やり半面が剥ぎ取られた。


 アガナタを運んできた男たちは、アガナタの拘束状況を確認し、そのまま無言で牢を出ていった。


 鉄格子の向こうに見えていた、弱々しい蝋燭の灯りが遠のき、やがてそれが消えて辺りが暗闇に包まれると、どこかで鉄の扉が閉まる音が響いた。


 アガナタは酷い倦怠感を覚えて座り込もうとする。だが、腕を拘束する鎖の長さは、彼が座り込むには短く、両腕を最大限に伸ばした状態で両膝をつくのがやっとだった。


 暗闇に包まれたこの空間は全くの無音で、彼以外の誰かの息遣いは感じられない。

 時々アガナタが身をよじると、その動きに合わせて鎖の音が妙に大きく響いたが、その音は闇に溶け、すぐに静寂が支配した。



 アガナタは管理神官を解任され、ユオーミたちと分かれてからのことはあまり覚えていない。気がついたら、ここにいた。


 だが、確か聖都の城壁をくぐり、神殿に入ったところは何となく覚えているので、ここは神殿の地下なのだろう。神聖な神殿には似つかわしくないこの場所で、人知れず消えてゆく運命こそ自分にお似合いだと、思わず自嘲の笑みが漏れた。


 光は僅かにも届かず、濃厚な暗闇が、そこにある筈の鉄格子すら覆い隠す。

 目を閉じていても、開いていても、目に映る世界は全く変わらない。


 どれ程時間が過ぎたのかも分からず、そんな暗闇で膝立ちになってただぼんやりとするアガナタ。すると不思議なもので、何も見えない筈の闇の中に、何かが浮かび上がってくるような気がした。



(……子供?)


 それは、幼い日のアガナタだった。


 彼は、孤児としてアーオステニアに引き取られたが、当時多かった戦争孤児というわけではなかった。


 彼の実父はグルジオ帝国の貴族で、政争の果てに、仲間の裏切りにより無実の罪で死刑となった。その時、母とは既に離縁しており、また、政争に敗れ、さらに死刑囚として処断された彼の息子を引き取る親戚は誰もおらず、彼は一人、帝都の路地裏で浮浪児として何とか命を繋いでいた。


 そこに現れたのがアーオステニアだった。


 彼はそこで六歳のアガナタと出会い、そして彼を養子として迎えた。


 アーオステニアは、アガナタを本当の子供たちと分け隔てなく扱ってくれ、その義理の兄弟たちも、彼を本当の家族のように接してくれた。


 アガナタは、その温情に心を震わせる。

 それは、今も昔も変わらない。


 もちろん、純粋にアーオステニアのことを尊敬もしていたし、むしろ、本当の親のことは殆ど思い出せないことから、アーオステニアをこそ父親だと思っていた。



 ぼんやりとそんなことを思い出していると、唐突に鉄扉の音が、まるで何かの断末魔のように暗闇に響き渡った。やがて、遠くから近づいてくる足音とともに視界の端がぼんやり明るくなったかと思うと、一気にその力を増した光がアガナタの目を刺す。


「アガナタ、会いたかったわよ」

 眩しさに耐えられず、目を瞑って顔を反らすアガナタの耳に、女の声が聞こえた。


 少しずつ光に目を慣らしていると、牢の鍵を外す音がして、誰かが鉄格子の中に入ってきた。



 ようやく蝋燭の光に目が慣れ、入ってきた人物の方を見やると、髪の長い女が一人、蝋燭の乗った手燭てしょくを床に置いて、ゆっくりとこちらを振り返る姿があった。


 光の当たる部分だけでも分かる上質な衣服が彼女の卑しからぬ身分を物語る。蝋燭の灯りに照らされたその整った横顔に微笑みを浮かべながらも、こちらを見やる目は全く笑ってはいない。


 不意に、アガナタの背筋に寒気が走った。


 立ち上がる気力もなく、膝をつき、両手を鎖に引かれて掲げたままのアガナタを品定めするように見下ろす女は、暫くそうした後、おもむろに口を開く。


「管理神官アガナタ。

 父であるアーオステニアの権力を使い、自ら管理神官を志願した時点で怪しいと思っていたの。

 だって貴方には、奉献の徒を目指す理由が決定的に不足していたから。


 何も望まず、ひたすら書斎に籠って過ごす学者のような、半ば世捨て人のような貴方が、何故管理神官を目指したのか?

 徹底的に調べたけれど、野心ある行動も、信心深い言葉も見つけ出せない。ましてや、怪しい思想にかぶれている様子も見られなかった。


 だから、奉献の徒の世話人の中に朧を忍ばせた。ユスノウェル様の片腕である、神官長アーオステニア様の息子である貴方を疑っているとは言えなかったから、本当の理由はユスノウェル様にも伝えずに、ね。


 ユスノウェル様を騙すようで、本当に心苦しかったけれど、その甲斐あって貴方は今ここにいる。

 さぁ、本当のことを教えてもらえるかしら。あなた、ユラーカバネと通じているわね?」


 アガナタは何も言わず、俯きがちにそれを聞いていた。その瞳には、蝋燭の光が映ってはいたが、実際には何も見てはいなかった。


「ユラーカバネ。あの愚物が碌でもないことを企んでいるのは間違いないけれど、さすがにユスノウェル様の息子である彼を、証拠もなしに裁く訳にはいかないの。彼が急死したら、各国の諸侯は教団内の権力争いを疑うだろうし、そもそも私がユスノウェル様に真っ先に疑われてしまうわ。……だから、教えて欲しいの」


 反応の無いアガナタの前に屈みこみ、小首を傾げてその顔を覗き込むレシュトロ。

 陰鬱な地下牢とは似つかわしくないその美貌をアガナタの顔に近づけ、じっと見つめた。


 余りに距離が近いため、思わず顔を引いたアガナタは、彼女を見つめ返す格好となる。


 黙って彼の暗い瞳を覗き込んでいた彼女はやがて、「そう」と呟いて立ち上がり、床の手燭の光を遮るように屈みこんだ。


 アガナタは、逆光となり殆ど輪郭しか見えなくなったその女のシルエットを見つめながら、唾を飲みこむ。


 頭は殆ど働いていなかったが、先ほど覗いた彼女の瞳に宿った狂気に体が反応し、じわりと額に汗が滲んだ。



 次にレシュトロが立ち上がった時、アガナタは黴臭い空気の中に、明らかに今まで無かった匂いが混ざっていることに気づく。よく見ると、手燭の横に香炉が置かれ、そこから漂う薄い煙が明かりに照らし出され、怪しく立ち昇っていた。


「さぁ、話してもらいましょうか。ユスノウェル様に仇なすその企みの全てを」



 漂う香りの中に、僅かなその存在を感じ取ったアガナタは目を見開き、恐怖に顔を歪ませた。


 その匂いを、アガナタはよく知っている。そう、この旅で何度も嗅いできたその甘い香り。

 嗅いだ者の理性の働きを弱め、心のたがを外して秘めたる思いを暴き出す、告解の儀の影の主役。


 ――清めの砂



 もし、ユラーカバネの計画を喋ってしまえば、それを証拠にユラーカバネは捕らえられ、ユオーミは確実に生贄として散ってしまう。そして、アガナタの父や兄弟も反逆者の親族として、ただでは済まないだろう。


 自分の口から、ユオーミの、父の、兄弟の未来を摘み取る言葉を語らされるという、絶望。

 自分が、やはり周りの人間に不幸をまき散らすだけの存在だと確信し、けれどそれだけは避けたくて、アガナタは血の気の引いた顔で唐突に暴れ出した。


「やめろ! 止めてくれ!」


 だが、どんなに拘束具を手首に食い込ませ、鎖にいくら耳障りな音を立てさせた所で、拘束を解くことは叶わない。


 レシュトロは彼の暴れる様子を見つめながら、表情を全く変えずに告げる。

「あら、あなた『清めの砂』の本当の効果を知っているのね。でなければそんなに嫌がらないでしょう? それにしても、それに気づくなんて想定外ね。流石叡智の宰相の息子と言ったところかしら?

 ……それともまさか、アーオステニア様が漏らしたのかしら?」


「違う! 父は関係ない!!」


 アガナタは必死でレシュトロに掴みかかろうとするが、拘束する鎖がそれを許さない。

 レシュトロは微笑みを深くしながら、香炉をよりアガナタの近く、けれど決して彼の手足が届かない場所へと移動させた。


「大丈夫よ、ちゃんと話を聞いてあげるわ。

 そうそう、今日の清めの砂は、告解の儀の時の倍の濃度になっているから、多分意識は相当混濁するはずよ。でも安心して、すぐに気分が良くなるわ」



 何やら叫びながら激しく暴れていたアガナタは、やがて動きが緩慢になると共に口数が少なくなり、胡乱な目でじっとレシュトロを睨んでいたかと思うと、唐突に崩れ落ちた。


 鎖に引かれ、両手を高く掲げたまま膝をついた格好で俯くアガナタを満足そうに見下ろしながら、レシュトロはいつもと変わらぬ様子で問いかける。


「さぁ、大分気持ちよくなって来たでしょう。あなたのお話を聞かせてくれるかしら。

 あなたは、ユラーカバネと通じているわね?」


 しかし、アガナタは何も答えない。


 体を小刻みに震えさせながら、膝立ちのまま体を反らせつつも、顔を上げないアガナタ。その様子に違和感を覚え、レシュトロが近づくと、ふと水滴が弾けるような音が聞こえた。


 よく見ると、俯いたアガナタの顔から何かの雫が床に零れていた。

 それは、後から後から滴り落ち、その度に小さな音を響かせる。


 涎か、それとも涙か。レシュトロにとってそれはどうでも良いことだったが、清めの砂の影響下にありながら何も話さないその様子に首を傾げた。


 この薬は、摂取した者の意識の力を著しく弱める。その為、鋼の意志で口を割ることを拒もうとした所で、その「意思」自体がほぼ役目を果たさないことから、黙秘を続けるなどということは不可能だ。まして通常の倍の濃度。自白しないはずがない。


 ――では一体何が?


 レシュトロはアガナタの前に屈みこみ、彼の顎を掴んで顔を上げさせる。

 そして、唐突に口元から笑顔を消した。


 彼の虚ろな瞳は焦点が合っておらず、顎は震え、口から舌を突き出したまま歯を食いしばっており、そこから血が零れている。


 彼は、朦朧とした状態で、自分の舌を噛み切ろうと必死にもがいていた。



「なっ!?」


 驚いたレシュトロは、慌てて懐から取り出した手巾しゅきんをアガナタの口の中に詰め込む。

 されるがままのアガナタだったが、詰め込まれた手巾はやがて、ゆっくりと赤く染まっていった。


 レシュトロは立ち上がると、思わず後ずさる。

 その顔には、僅かに怯えが浮かんでいた。


 意識がある状態で舌を噛むのではなく、アガナタは薬が効いてから舌を噛んだ。


 幸い、薬が効いているせいで顎にあまり力は入らず、舌を噛み切るには至ってはいない。

 そもそも、人間が自分の舌を噛み切るというのは現実的な方法ではない。舌は思いの他厚みがあるし、痛みと恐怖から来る防衛本能が邪魔をして切断に至ることは殆どない。


「ほぼ無意識な状態で、秘密を守るために自害するなんてあり得ない。

 人は、本能では死を恐れるもの。本能だけで無理やり自害などできるはずがないわ。じゃあ、……この男は、本能で死を望んでいる? そんな馬鹿な!」


 驚きに目を見開き、アガナタを凝視するレシュトロ。


「何なの、この男は?

 こんな、自死を望む精神状態でどうやって山脈を踏破し、王都を目指して朧を突破したというの? そんなことは、強烈な生への渇望が無ければできない筈……


 この男、……生物としての生存本能が壊れている?」


 本能が死を求めていながら、理性でそれを抑え込んでいた生物。そんなことがありえるのかと、レシュトロは半ば呆然とし、理解不能な怪物が暗闇の中、目の前にうずくまっていることにぞっとする。


 そして、額に汗を浮かべながら、アガナタを見下ろして唇を噛んだ。


 先程までは自分の一部とさえ感じていた暗闇と静寂が、なんだか急に不気味なものに感じられ、ふとレシュトロは寒気を覚えて身震いすると、更に一歩下がる。


 その足が香炉に当たり、金属製のそれが中身を撒き散らしながら硬質な音をたてて転がった。


 その音もすぐに暗闇に吸い込まれ、地下牢にはただ、体を震えさせるアガナタに合わせて鳴る鎖の音と、彼のくぐもった呻き声だけが響く。


 そして、得体の知れない人間の成れの果てが、悶えながら身を捩り、そこから漏れる音と声が歪に絡み合った結果、それは怨嗟の声となって闇に木霊こだまし続けた。



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