第69話 罪びとがたり
「……プッ。フフフ。ハーッハッハッハ!!」
鬼神と呼ばれ目を見開いたヴァスローだったが、思わず吹き出すと、タガが外れたように笑い出した。
笑いすぎて目尻に涙さえ浮かべるヴァスローをぼんやりと見つめながら、ユオーミはためらいつつも声を掛ける。
「……何か、おかしかった?」
ひとしきり笑ってようやく落ち着いた彼は、地面に突き立てた剣の柄を握り、しゃがんだままユオーミを見下ろして上機嫌で応じた。
「こんな面白いことないね。俺が鬼神に見えるのかい? 違うさ。まぁ、鬼神に負けない腕前はあるつもりだけどさ」
その答えに、ユオーミは、意外そうな顔をした後、あからさまに失望の色を浮かべる。
「なんだ、違うの……。じゃぁ、どうして私の命を狙うの?」
彼女の落胆を見て、自分が鬼神より下だと思われていると感じたヴァスローは笑顔を消し、ムキになって少女に食って掛かる。
「お前、俺を侮っているな? 俺は誰よりも強いんだ。だから、鬼神に勝ってそれを証明する。神に選ばれた巫女であるお前を殺せば、俺を裁く為にきっと鬼神が来るだろう? だから、死んでもらう。お前は鬼神を呼び出すための餌。……いや、正に生贄だな」
彼女を怖がらせようと残忍そうな微笑みを口元に浮かべて脅すも、ユオーミは表情を変えず、むしろその瞳に憐れみすら湛えたままヴァスローをじっと見つめ、それから寂しそうな笑顔を浮かべて口を開いた。
「……ふふふ。私を殺しても鬼神さまなんて来ないよ。だって、私は偽者の巫女だから」
「……は?」
突然の告白に、ヴァスローは困惑する。
(この女は何を言っているんだ? 偽者の巫女? 教団が何故偽者を護衛している? 一体何の意味が?)
発言の意図が理解できない上、妙に落ち着きを払っているユオーミを訝り、顔をしかめて低い声で威圧する。
「偽者などと嘘を言って助かるつもりか? 下らん……」
酷い頭痛と悪寒に晒され、彼女は朦朧とした意識の中で、先ほどのやり取りが夢か現実かも判然としない。
自分が誰と話しているかなど気にすることもなく、自分を本物の巫女と勘違いしているこの相手に、口元にうっすらと笑いを浮かべる。
「本当の巫女様が、嘘なんてつくの?」
「……」
ヴァスローは戸惑いつつ、目の前の「偽の巫女」をまじまじと見つめる。
肩口で切りそろえられた銀色の髪。赤みを帯びた顔。どこか遠くを見つめる瞳。
見た目はただの少女だったが、改めて考えてみると、そもそも、見た目で巫女を判断することなどできるはずもない。
迷いつつも一方で、この娘の様子は確かに巫女らしくないとヴァスローは感じる。
神聖さではなく、どちらかというと破れかぶれのような、自暴自棄な感じすら漂っている少女。これは、一般的な巫女のイメージとは確かに異なる。
「偽者とはどういうことだ? 本者はどこにいる?」
苛立ち、矢継ぎ早に問うヴァスロー。
ユオーミはその問いに、視線をそらして呟くように答える。
「身代わりにされたの。神様から選ばれた本物の巫女が、生贄として犠牲にならないように……」
「……神官たちは知っているのか?」
少女の瞳が湿り気を帯び、そっと目を閉じると、そこから一筋の雫が零れ落ちた。
「言えるわけないよ。私、皆を騙してるの。
だから、偽者の巫女という、罪人の私を殺しても、鬼神さまなんて来ないよ」
そこで一旦息を切り、ユオーミは再び目を開いてヴァスローを見やるが、彼女のその瞳は焦点が定まっていなかった。
「むしろ、私を裁くために、鬼神さまがやってくると思う」
暫しの沈黙。それからヴァスローは、ユオーミの瞳を覗いたまま、表情を変えずに問いかける。
「……つまり、お前の近くにいれば鬼神に会えるのか?」
唐突な言葉に、ユオーミは戸惑いつつも、絞り出すように答えた。
「だって、偽者の巫女なんて、神さまからしたら最大の侮辱でしょ? 全部、私が悪いの。だから、アガナタさんは何も悪くない!」
涙を流しながら、うわ言のようにしゃべる少女を見下ろし、ヴァスローは舌打ちする。
「お前の事情になど興味はない。泣く程悔しければ、強くなって見返すがいいさ。奪われたら、奪い返すか、泣き寝入りするかしかないんだぜ、お嬢ちゃん。
俺は、弱い奴が嫌いだ。自分は悪くないのにって、嘆くなんて馬鹿のすることだ。ふん、精々誰かを恨んで人のせいにしていればいいさ。
……俺は、泣き寝入りなんて御免だね」
ヴァスローは目を細め、蛇のような微笑みを浮かべた。
「だが、……確かに偽者の巫女など、どれ程の罪になるのか想像もつかないな。教団の伝統ある神聖な儀式を穢し、欺く。それはいわばこの大陸の人々全員への裏切りとも言える。
神の目からすれば、殺人よりもそっちの方が許せんだろう。その発想は無かった……。これは歴史に残る大罪人だな! 自分が小者に思えてくるよ。ははは。
よし、いいだろう。お前は殺さない。その代わり、ちゃんと最後までやり遂げろよ。偽者なら、偽者の意地を見せてみろ」
ヴァスローは満足げに頷くと立ち上がって地面から剣を引き抜いた。
(そうすると、いかにこの娘の近くにいるかが、鬼神と会うために重要だな。だが、まさか、奉献の徒に紛れ込むのは無理だろうし……)
ようやく目を覚ました刺客のリーダーがゆっくりと体を起こすと、ヴァスローが巫女の傍らに佇み、何やら考え事をしているのが見えた。彼女の横に突き立てていた剣は既に引き抜かれ、明らかにその命を狙う気が無いのが分かる。
「チィッ!! 巫女さえ仕留めれば、俺たちの勝ちなんだぞ……」
彼はふらつきながらもヴァスローの横、巫女の元まで歩き、とどめを刺すべく、剣を鞘から抜き放つ。考え事をしていたヴァスローは、ふとそちらに目を向け、彼と目を合わせたが何も言わなかった。
だが、一突きに巫女を殺そうと剣を構えて後ろに引いた瞬間、唐突にヴァスローが背後から男の首に腕を回して締め付けた。
「ぐぁ! お、お前、何やってんだ!! ぐぐ……」
「その娘は諦めろ」
積極的に巫女を殺さないのは百歩譲って諦めるとして、まさかの、巫女を庇って味方を害するその行動に驚愕し目を見開くリーダー。
首に回された手を両手で掴み、必死で振りほどこうとしていた男は目を見開き、その顔はあまりの事態に青ざめていた。
「ば、馬鹿言え! それじゃぁ、この襲撃自体意味がないじゃないか……!」
「そんな事より教えて欲しいんだ。確か、グルジオの奴で、巫女の儀式に関してお前たち以外に動いてるのがいると言ってたよね。そいつについて教えてくれよ」
(そんな事……!?)
リーダーは首を絞められ、口の端に泡を吹きながら歯を食いしばる。
巫女暗殺の命を受け、闇に乗じて襲撃した。巫女を手中に収め、作戦は成功寸前までいったはずなのに、何故自分は今味方のはずの男から首を絞められているのか? 混乱しながらも、彼は一つ確信する。
目を細め、微笑みながら放たれる言葉。
「あれ、もしかして俺が手加減すると思ってる? 面倒くさいのは嫌いだから、言わないなら一気に折るよ」
(コイツは、本気だ!)
「ヴァスロォォォォ!!」
異変に気付いた味方が背後からヴァスローに駆け寄り、斬り付けようとする。だが、即座にヴァスローは振り返り、詰まらなそうにリーダーの男を相手に向かって突き飛ばした。
味方同士でぶつかった所にヴァスローが高速の突きを放つと、その一撃はリーダーの男の首の皮一枚を切り裂き、駆けつけた男の首を貫く。
噴き出す熱い血潮を浴びながら、リーダーが呆けたように佇んでいると、剣を引き抜かれて仲間の男が崩れ落ちた。ヴァスローがリーダーのマントでその剣の血を拭いながら、陽気に話しかけてくる。
「せっかく後ろから襲うのに叫ぶとか、本当に馬鹿だよな。……で、お前は利口であって欲しいんだけど?」
男は泣きそうな顔になりながら、両手を上げ、正面を向いたまま首を激しく縦に振った。
「使える男」としてこの作戦にヴァスローを送り込んできた上役の男の顔を思い浮かべ、心の中で毒づく。
(ふざけやがって、使えるどころかイカれてやがるじゃないか!)
そして、その上役と競争関係にあった、あの女の名前を必死で思い出し、口にする。
「……レイシア。そいつの名前は、確かレイシアだ! 何でも、大導主の息子ユラーカバネに協力しているとか……」
ユオーミは、ぼんやりと霧でかすんだ夜空を見上げていた。毛布を被ってはいるが、寒くて仕方がない彼女は、震えながら苦しそうに息を吐き出し、目を瞑った。
誰かと何かを話していたような気がするが、夢か、現か、その境界さえも霞んでいた。
ただ、仲間を騙し、果てはアガナタに責任を被せてしまった事実に絶望し、涙を流す。
少女は、鬼神でも何でもいいから、早く自分を裁いて欲しいと、願う。
罪を重ねた自分は罰を受けて当然だが、あの人は関係ないから咎めないで欲しいと、願わずにはいられなかった。
と、突然顔に何かの液体がかかり、弾かれたように目を見開いた。
それは、生温かい液体で、粘り気を持ちながら彼女の顔の上を滑り、その頬を汚してゆく。強烈な生臭い臭いが鼻を突き、これは何だろうと、自分の顔に触れた彼女の手が、真っ赤に染まった。
(これは……?)
随分と時間を要してから、それが血だとようやく気づき、あまりの光景に彼女は戦慄し、真っ青になる。
「楽に死ぬこともできない」と、そういった村長の声が思い出され、いよいよ、審判の時が訪れたのだと思い、目を瞑る。呼吸は次第に浅くなり、息苦しさに再び目を開くと体を横に向けた。
そこには血まみれの男が倒れており、彼女は思わず体をのけ反らせ、息を詰まらせる。ヒュ、と短い音が喉から漏れた。
覚悟を決めたつもりが、血を見て動揺する自分にその覚悟すらない事を突き付けられ、どうしようもなく情けなくなり、泣きながら彼女は必死で空気を求めて浅い呼吸を繰り返した。
朦朧とする意識の中、顔を血と涙でぐちゃぐちゃにして、地面に這いつくばりながら、惨めな醜態を晒す自分に絶望しながら彼女の内側から滲み出てきた――その本音。
(わたし、……死にたくないよ。アガナタさん……)
足元でユオーミが悶え苦しんでいる様子に気づくこともなく、必要な情報を聞き出したヴァスローは満足げに頷き、オッドーの方を見やる。そして、今日一番の微笑みを見せて呟いた。
「さぁ、後はお楽しみの時間だな」




