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自由への逃走  作者: 真魚
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第六章 嵐 一

 八月二十三日に火薬の陸揚げが終わった。

 この日は、商人頭が日誌に記すところの「異教徒の大きな祭」の最後の日で、陽が落ちると港じゅうの家々が門前に大きなランタンを燈したため、船から見ると町全体の形が、赤みを帯びた暖かな燈火の点描によって浮きあがるかのようだった。



 翌日からカルヴァリン砲の荷揚げが始まった。

 重さニトンの鉄の筒を引き揚げて運ぶ作業の指揮は砲手たちがとることになった。大砲係に助っ人の水夫たちを加えた二十人のチームだ。


 作業を始める前日の夜、エヴァンスが掌砲長に呼ばれて銃火器室(ガンルーム)へ向かうと、ランタンに照らされた室内には船大工の師弟がいた。やや遅れてマリネルとボールスが来て、ボサボサ髪の眠そうなジェームズ・フレミングが現れると、マークスが明日からの手順を説明し始めた。

「まず、陸揚げするのはカルヴァリン砲を六門。すべて鉄製の奴だ。揚げたらひとまず覆いをかけて錠前付きの倉庫に仕舞っておく」

「六門とは、ずいぶん沢山ですね」

 マリネルが控えめに口を挟むと絵描きが頷いた。

「同感だよ。あんな小さな河口の低地に六門も砲を並べたって、狙えるのは対岸の王の城砦だけだろうに」

「殆どが売るためだろうよ」

 掌砲長が太く短いため息をついた。「司令官から聞いたんだが、日本の今の皇帝がいる駿河は、大阪という大きな港町と仲が悪いらしい。大阪には前の皇帝の息子の貴公子(プリンス)がいてな、そっちを皇帝にしたい貴族が沢山いるんだそうだ」

「VOC商館の下っ端の話では、駿河の皇帝がキリスト教を禁じて以来、大阪の貴公子が治めている城塞都市に神父たちが逃げ込んでいるらしいよ」

 ジェームズ・フレミングが付け加えると、トッティが難しい顔で応じる。

「この平戸のフォイン・サムはどっちの味方なんでしょうね?」

「お前ら、その話は今することか?」ジャスパー親方が中指の節でこつこつとテーブルを叩きながら咎める。「エディ、陸揚げの話に戻れよ」

「ああそうだった。この陸揚げで一番手がかかるのは、ロングボートから商館の川岸へ引き揚げるときなんだ。船での作業と違って、こっちでは滑車も巻き上げ(キャプスタン)も使えないだろう。二十人じゃどうしたって揚げられる筈がない」

「人数を増やすわけには?」

「マリネル、それは最後の手段だ。キャプテン・コックスは話の分かる旦那だから頼めば増やしてくれるだろうが、旦那から二十人でやれと言われたんだから、まずはやってみないと」

「そもそも水夫は有限だからね」と、絵描きが肩を竦める。「この船、動ける水夫は今全部で四十人くらいだろ?」

「船のほうでも台車の解体に人出が要るしな」と、船大工。

「二トンの鉄の筒を運ぶとなったら漕ぎ手だってそれなりに要りますよ」

「分かっているボールス。だから、どうしたものかと相談していたら、ジャスパーが、いっそのこと倉庫から砲台の足場にロープを張って、そこに滑車を据え付けたらどうかというんだ。ジェームズ、絵図を頼むよ」

 絵描きが頷いてテーブルにスケッチブックを広げる。

 絵図は鉛筆で描かれていた。上が西のようだ。川岸と思しき線の上に倉庫が描きこまれ、そこから伸びた直線が、ボート乗り場を挟んだ右手に描きこまれた四角い図の一片に結ばれている。エヴァンスは目を細めた。

「これが砲台か。親方、今どれくらい出来ているんだ?」

「もう殆ど出来ている。後は石を張るだけだ」

「俺たちがいる間に完成するかな?」

「させるつもりだよ」

「おいジャスパー、陸揚げの話に戻るぞ」

 掌砲長が指の節で絵図を叩きながら促した。



 翌朝一番に試した滑車の仕掛けがうまく動いたため、カルヴァリン砲の陸揚げは見積もり通り二十人で行えることになった。

 イギリス人水夫が長大な砲を少人数で巧みに吊り上げているという噂が広まると、川上の橋に見物人が現れ、両側にロープを括られた砲がゆらゆらと持ち上がるのに合わせて明るい舟唄(シーシャンティ)を歌った。


 五島沖から漕ぎ出す船は

 平戸通いか懐かしや

 エンヤラヤーノーヤー

 エンヤラヤーノー

 エンヤラヤーノー

 エンヤラホイノーサー



 八月二十七日の午後、ついに最後の一門となった砲を引き揚げているときも、途中までは日本語の舟唄が聞こえていたが、砲が川面の上へとゆらゆらつり上がる頃、何故か唐突に止んでしまった。ようやくに終わった作業の後で井戸端へ向かいながら水夫たちは肩を竦めあった。

「橋の上の連中、今日は唄っていなかったな」

「六つ目となると、さすがに飽きられちまったのかね?」

 井戸には桶が二つしかなかった。十数名が交代で水を浴びていたとき、商人頭の徒弟のネルソンが息せき切って駆け付けてきた。

「みんな急いで体を拭いてから母屋へ来てくれ! 城砦からフォイン・サムがいらしているんだ!」

言われた通り大急ぎで母屋へ向かうと、門に面した土の庭になるほど老王がいた。


 

老王はまるで水夫の仲間みたいな粗末なプールタヴィス帆布を日本風のガウンに仕立てて身に着けていた。後ろにいつものウナジェンセ・ドナが控えている。商人頭が通訳を連れて老王と向き合っていた。

「旦那、連れてきました!」

「有難うミスター・ネルソン。みなよく来てくれたね」

 商人頭が水夫たちに笑顔を向けてから、また老王に向き直った。

『フォイン・サム、私の船乗りたちが来ました』

 老王が笑顔で頷くと、水夫たちを見回して晴れ晴れとした声をあげた。


 ――エゲレス水夫(かこ)ども天晴や! こン法印ん郎等でも、あがん大筒ば運ぶには百人でも足らんやろう! 


「フォイン・サムは橋の上から君らの仕事ぶりをご覧になってね、たった二十人でカルヴァリン砲を運んでいることに感心なさったんだ。それでぜひ褒美を与えたいとおっしゃってね」

 商人頭が門の外を一瞥すると、ウナジェンセ・ドナが声をあげた。


 ――藤七郎、酒ば運ばせろ!


 従者が荷車を連れて入ってくる。艶やかな黒い牛に曳かせた車の上に白い杉材(シダー)で造られた小型の樽が二つ並んでいた。商人頭が腕を広げて笑う。

「日本のワインと魚の塩漬けだそうだ。王様から君たちにね!」

 途端に歓声があがる。王も嬉しそうに笑った。

「おいボールス、お前、急いで船へ戻ってジャスパーとジェームズを呼んで来い!」

「へいへいミスター・マークス、トッティの奴も呼んでやっていいですかね?」

「ジャスパーが許すならな!」

 ボールスが職人衆を呼びに戻るあいだに、ネルソンとミゲルが厨房から沢山の椀を運んできた。樽の蓋が小さな斧で割られると酒の配分が始まった。

 柄杓で酒を汲みだしては水夫の差し出す椀に注ぐのは老王本人だった。エヴァンスの椀に注いだとき、老王は腰の短刀に目を留め、しばらく考え込んでからウナジェンセ・ドナに訊ねた。


 ――のう内膳、こン水夫はあンときの水夫かの?

 ――然様に見えまする。

 ――ふぅむ。


 老王は柄杓を手にしたままつくづくとエヴァンスを眺め、不意にゆっくりとしたポルトガル語で訊ねてきた。

『船乗り、名前は?』

『王よ、クリストバルです』


 ――クリストバル。


 老王が繰り返した。

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