第六章 嵐 二
カルヴァリン砲の陸揚げが済むと、エヴァンスはボールスや他何人かの水夫たちと一緒に商館に残るようにと言われた。
「実は火薬の一部が湿気っちまってね」と、商人頭が面目なさそうに説明した。「此処は低地だから湿っぽいんだよ。高いところで乾かさなけりゃと思っていたら、フォイン・サムがそれなら城砦を使えと仰ったんだ。城に余所者の水夫を入れるのは嫌だが、君たちなら立派で信用できるからって。監督はエヴァンスに任せたい。火薬の仕事だし、君はフォイン・サムの大のお気に入りだからね。引き受けてくれるかい?」
「勿論ですとも旦那」
エヴァンスは快諾した。「しかし、実に気前のいい話ですね。城砦を無料で貸してくれるんですか?」
「いや、完全に無料という訳じゃない」と、商人頭は目を泳がせた。「実は――ちょっとした不手際で、砲台用の石を余分に仕入れちまってね。フォイン・サムもちょうどいま城砦の壁の補修をなさっているから、その石を買い取りたいと仰るんだ。君たちには、だから火薬のついでに石も運んでもらう」
「なるほどね。どっちかっていうと火薬がついでなのでは?」
「貴人の好意は素直に信じたまえよ」
それからしばらくは火薬運びと石運びが続いた。
そのあいだにも季節が移ろうとしていた。
常に甲板を焦がしていた灼熱の夏の陽が衰え、蝉の鳴き声が滅えて、激しい嵐の季節が近づきつつあった。
平戸港に初めの嵐が襲い掛かったのは、ユリウス暦なら九月七日の午後だった。
夕方から重く吹き始めた風は夜が更けるほどに激しさを増し、深夜にはついに暴風雨に変じて、湾内に停泊していた船を四、五十艘も押し流してしまった。
甲板長が前もって用心していたおかげでクローヴ号本船は錨綱が一本切れただけで無事だったものの、ロングボートとスキフボートはどちらも流されてしまった。
翌朝、嵐が過ぎると、水夫たちは手分けして港じゅうを捜しにかかった。
ロングボートのほうは幸い本船のすぐ傍を漂っていた。スキフは日本の小型のバーク船に混じって係留されているところをボールスが発見した。
「いやあ驚いたね」と、その夜ボールスは仲間内に語った。「帆がなくなっちまうと、俺たちのスキフは土地の船と殆ど見分けがつかないんだ。あの草を編んだ敷物みたいな四角い帆を掛けちまったら、鼻先を通り過ぎられても気がつけないよ、あれは」
船の被害はそんなもので済んだが、河口域にある商館の被害は甚大だった。親切にも報せにきてくれたチャイナ・キャプテンのところの水夫の話では、川岸の石垣が崩れ、厨房の壁も壊れて、造ったばかりの竈まで破壊されてしまっているのだという。しかもスキフが流されているから船に知らせることもできない! フォスターはスキフを戻しがてら助っ人を送ることにした。
「前に火薬運びをしていた連中でいいな。エヴァンスに指揮を頼む。壁を直すなら大工も必要か。ジャスパー親方はこっちに置いておきたいからトッティに行って貰おう」
商館の被害は聞いたよりも酷かった。母屋も厨房も瓦の一部が落ちてしまっている。波と豪雨に荒らされた屋内がドロドロの湿地のようだ。ネルソンとイートンが悲愴な顔で泥の底から羽根ペンやらインク壺やらを引き揚げていた。例の離れの板小屋は半壊どころか全壊だ。助っ人集団はさっそく再建にかかった。この小屋が彼らの寝場所なのだ。
嵐の後始末がようやくに済んでエヴァンスたちが帰船すると、入れ替わりに外科医のワーナーが商館へ呼ばれていった。縄梯子を降りてスキフに乗りこむ外科医に道具箱を吊り降ろしながら、ジャックが甲高い声で訊ねていた。
「なあマスター、商館でさ、誰か具合が悪いのか? あんたがこんなに急に呼ばれるなんてさ」
「商館では誰も悪くねえよ」と、外科医は唸るように答えた。「フォイン・サムだ。城砦の王様の塩梅がよくねえから、コックスの旦那が見舞いがてら俺を送るんだと。インドの王様は大抵瀉血を嫌がるから、俺が行ったところで髭を剃るくれえしかやることはねえと思うんだがな!」
ワーナーはそのまま帰って来なかった。
二週間目の九月二十七日の早朝、クローヴ号で八点鐘が鳴った。
航海中なら当直の交代を報せる鐘だが、今は停泊中である。
となると、意味するところはひとつだ。
「なあエヴァンス、やっぱり彼かな」
マリネルが沈んだ声で云った。エヴァンスも沈鬱に頷いた。
「ああ。たぶんな」
鐘音に誘われて中部甲板へ登れば、早朝だというのにかなりの数の水夫がすでに出てきていた。巻き上げ機の傍にジャックがいた。拳を握りしめ、挑むような眼つきで薄明の空を睨みあげている。隣に立ったクレメンスが微かに震える右腕に掌を添えていた。
やがて半甲板にフォスターが現れた。傍にワーナーを連れている。ジャックが大きく目を見開いて外科医を凝視した。
「おはよう諸君」
「おはようございます船長」
「みな早いね。悲しい報せがある。今しがたマスター・ワーナーが報せに来てくれた。商館でミスター・ポーリングが肺病で亡くなったそうだ」
フォスターの言葉が終わるなり、ジャックが吼えるような泣き声をあげた。
「嘘だ! 嘘だ! ミスター・ポーリングが死んだなんて嘘だ! あんたは大ウソつきだ! 地獄に落ちちまえ!」
「ジャック、ジャック正気に戻りなよ。船長になんてことを言うのさ! 君がそんなこと言っていたらミスター・ポーリングが悲しむよ!」
突っ伏して拳で甲板を叩くジャックの背中をクレメンスが必死で撫でていた。少年水夫二人に痛ましげな視線を向けてから、フォスターは咳ばらいをして続けた。
「ミスター・ポーリングは立派な船乗りで、我々みんなの大切な友人だった。彼の魂が穏やかに主の御元へ迎えられることを祈ろう」
「船長、ちゃんとした弔いはできるのですか?」
「ああミスター・ハウンセル。港の北にあるキリスト教徒のための墓地で弔いができるようにキャプテン・コックスが取り計らってくれた。明日の朝商館までスキフを出すから、参列したい者は乗っていきなさい。乗りきれなければロングボートも出すよ」
「船長、すみません。俺も、行かせてください。罰なら三倍受けるから、明日は行かせてください」
ジャックがしゃくりあげながら云うと、フォスターは呆れたように笑った。
「お前が行かなくて誰が行くんだ。クレメンスも一緒に行くといい」
翌朝、参列者たちがスキフで商館へ向かうと、川岸に仮ごしらえの台が造られ、上に白木の棺が安置されていた。台にこれも白木の十字架が立てかけてある。喪服らしいくすんだダブレットを身に着けた商人頭がフォスターに説明した。
「弔いについてフォイン・サムにご相談したら、陸路だと異教徒の寺院の前を通ることになるから、十字架と棺は、VOC商館の埠頭まで水路で運ぶようにと言われてね。しかし、十字架を怖がってか、日本人は誰も艀を貸してくれないんだ」
「ではスキフを使いましょう」
「船長、我々が漕ぎますよ」
「頼むよ航海士たち。他の参列者もみな水路ですか?」
「いや、他は陸路でいいそうだ」
「ではそちらには事務長を着けましょう」
「キャプテン・フォスター、君は?」
「私も漕ぎますよ。私の航海士ですからね」
棺はオランダ製の敷布で蔽われ、その上から絹の掛布を被せられて、親しい者たちの手でスキフへと積みこまれた。一本マストの白い帆が湾へ出るのを見届けてから、残りの参列者たちは陸路でVOC商館の埠頭へと向かった。途中、漁師町を抜けるあたりで、エヴァンスは後ろから少なからぬ人の群れが着いてきているのに気づいた。振り返ると殆どが老人や乞食のようだった。
墓地はVOC商館の裏手の高台にあった。右手から潮風の吹きつける草地で、所々に古びた石の十字架が傾ぎながら辛うじて形を保っていた。
フォスターが牧師の代わりを務めた弔いが済むと、商館でささやかな会食が催された。母屋の広間で参列者がワインを振舞われていたとき、通訳のミゲルが慌てた様子でコックスを呼びにきた。
「商人頭、肥前様からの使いだ。今門前に来ている」
「フィゼン・サム? それは珍しいな」
商人頭が慌てて出ていく。トッティが首を傾げる。
「なあ砲手、フィゼン・サムっていうのは、確か北の館に住んでいる若い王様の名前だよな?」
「ああ。あのジャスパー親方の鸚鵡を貰っちまった王様だな」
「葬列に気が付いてお悔やみを言いにきてくれたのかな? あんまりそういう親切なタイプの王様とは思えないんだけど」
「お前、鸚鵡のこと根に持っているだろ」
滅多に飲めない甘いワインを啜りながら無駄話をかわしていると、商人頭が申し訳なさそうな顔をして戻ってきた。フォスターが気づいて話しかける。
「キャプテン・コックス、何か良くない報せが?」
「ああ。実は今、若い王のフィゼン・サムから使者が来て、大きい道に面した門のある家はすべて前の道の整備をするよう命じていったんだ。近いうちに身分の高い客人が訪ねてくるらしい」
「では人手が必要ですね。トッティ以外の嵐の時の連中をそのまま残らせましょうか?」
「頼むよキャプテン・フォスター。道の整備の手順についてはミスター・ネルソンに話しておく。私はちょっとウナジェンセ・ドナのところにいって仔細を確かめてくるよ。ミゲル、一緒に来なさい。ミスター・イートン、君はヘルナンドと一緒にシマドネのところを頼む。手土産は適当に見繕え」
「はい商人頭!」
通訳たちと商人がきびきびと動き始める。船乗り連中はワインを堪能してから、道普請要員を残してロングボートで船へと帰っていった。




