#62 合宿への準備(2)
「ハル君,ちょっと良い?」
天王寺先輩に衝撃事実を知らされた日,練習前に井上先輩に呼ばれる。
井上先輩は初めから俺の合宿参加には肯定的だったらしいのだが,あんな話を聞いてしまった後では「やっぱり参加を止めてください」なんて言われるんじゃないかとびくびくしてしまう。
というか,正直誰かにそう言って欲しいとさえ思ってしまう自分が少し情けないくらいだ。
でも,そう思うのも仕方無いだろ。
俺は今までバスケ一筋で,女子なんてほとんど興味が無かった。
…まぁ,今だってそれは変わっていないけどさ。
ただ,もう俺も高校生だ。
興味は無いが,子どものように男子も女子も一緒になって何でもやってしまえるような年齢じゃない事も分かっている。
いや,常識的に考えれば小学生だってダメな事は分かるだろう。
むしろ教えて欲しい。
どうしてあなた達は平気なの,と。
「ごめんなさいね,練習前に」
「へ? いえ,全然大丈夫ですよ」
連れて行かれたのは体育館の外だ。
邪魔の入らない所で話をつけようという事なのだろうか。
俺は姿勢を正して先輩の言葉を待った。
「光さんから聞いたわ。ハル君,合宿に参加できるのよね?」
「は,はい」
「そう……」
先輩の表情は崩れない。
いつも変わらず柔和な笑顔を浮かべている。
「なら,食事は全部お任せしてしまって良いのよね?」
「はい……?」
あれ?
今ちょっと笑顔が揺れたような…
「私はそれ以外をやるから,2人で協力して頑張りましょう」
「は,はい……」
なぜだろう。
いつもの笑顔のはずなのに,何かおかしい。
この笑顔に毎回騙されて雑用を押し付けられている俺としては,今日の笑顔にはどこかいつもの元気がないように見えてしまう。
「伝えたかったのはそれだけ。それじゃあ,よろしくお願いしますね」
「あ,あの!」
それだけ言って体育館へと戻ろうとする先輩を,今日は引き止める。
「ど,どうしたの?」
「あの……」
突然引き止められて不思議そうな表情を浮かべる先輩に,俺は言葉を濁す。
何かを言わなければいけない事は分かっているが,何を言えば良いのか分からない。
「あの,先輩は…それで良いんですか?」
結局,出たのはそんな言葉だった。
俺の言葉を聞いた先輩の顔がほんの少し曇る。
「えっと……」
「………本当の事を言えば,それで良くはないわ」
困ったように笑って,それでも先輩は答えてくれた。
「でも,そうするしかないでしょ?」
最後の笑顔は,困った中にほんの少しの寂しさが混じっていて,
俺は,あの時の天王寺先輩の言葉を思い出していた。
「遥かもね,悪気がある訳じゃないのよ。ただ,あの子お料理とか家でやらないみたいだから,味付けとかがちょっと苦手なだけなのよ」
1次審査が無事終わった所で,天王寺先輩が苦笑する。
「それなら,誰かがちゃんと言ってあげれば良いじゃないですか。美味しくないんです~って」
「遥の料理は確かに不恰好だけれど,ちゃんと私たちの事を考えて出来ているわ。そんな料理を不味いなんて言えないでしょう?」
「…だからこうして上手い理由をつけてやる必要があるんだ。お前は台所には立たなくても良いんだぞ,とな」
「なるほど…」
違う。
井上先輩はとっくに気づいていたのだ,自分の料理の事を。
本当は自分でやりたいのだ,合宿中の食事も。
でも何も言わないのは,きっとチームの事を考えているから。
自分の料理はダメなのだと,自分でも諦めているから。
「な,なら…」
本当にやりたい事があるのにそれが出来ない。
それがどんな気持ちなのか,俺にはよく分かるつもりだ。
井上先輩には,そんな風になって欲しくない。
「もし良かったら,食事の方も手伝ってくれませんか?」
「え?」
1人でダメなら,2人でやるまだ。
自慢じゃないが,ここの部員に俺の料理は評判が良い。
その俺が隣にいれば,話に聞くような料理は絶対に出させやしない。
井上先輩がチームの事を考えてつくった最高の料理を,最高の状態でテーブルに並べてやる事が出来る。
「正直,俺1人で全部ちゃんと出来るか心配なんです。先輩がいてくれれば心強いなぁと思ったんですけど……」
「……全く,仕方ないわね。そういう事なら手伝ってあげるわ」
そう言ってほほ笑む井上先輩の笑顔は,すっかりいつもの物に戻っていた。
「それじゃあまず,4日分の献立と買い出し,一緒にやってもらって良いですか?」
「ええ,もちろんよ」
よくよく考えてみれば,今のこの状況は合宿を辞退するという逃げ道を自ら無くし,じわじわと自分で自分の首を絞めているだけなのだが,その事に俺はまだ気づいていなかった。
そして,本当の恐怖が始まるその直前になって,ようやく俺は気づく事になる。
自分がいつどこで道を間違えてしまったのかという事を……




