#60 インターハイに向けて(4)
「では、明日からの合宿、よろしくお願いします」
木下先生の言葉でその日の練習は終わりとなる。
合宿に向けて、今日は少し早めの終了だ。
「みなさん、お疲れ様でした」
「あぁ、ありがとう井上」
練習が終わってすぐにマネージャーの遥がドリンクをみんなに配ってくれる。
同じ1年生なのに最初からマネージャー志望で入ってきた彼女は、すでに仕事を覚えて活躍している。
明日からの合宿にも同行してくれるらしいし、心強いものだ。
「はい、光さん」
「ありがとう遥。明日からもよろしくね」
「はい。がんばります」
そう言って笑顔でドリンクを渡してくれる彼女を見て、その時の私たちは何も心配していなかった――
「井上先輩って、最初からマネージャー志望だったんですね」
コップに注がれた麦茶で一息つく天王寺先輩に、俺は卵焼きを弁当箱に詰めながら言う。
先輩に話が長くなると聞いて、申し訳ないが弁当をつくりながら話を聞かせてもらう事にしたのだ。
先輩も快く承諾してくれたので、俺はキッチンで作業をしながら話を聞いている。
「そうよ。あの子は初めからマネージャーとして部に入ってきたの。中学時代もマネージャーだったらしくて、仕事ぶりも初めから慣れた物だったわ」
でも…と先輩は表情を曇らせる。
「問題が起こったのは、合宿が始まってからだった――」
「よし、午前の練習はここまで!」
「お、お疲れ様でした…」
普段の練習とは打って変わった辛い練習に、部員たちは昼の段階でくたくたになっていた。
「お待たせしました~」
そこに届くのは、合宿中唯一の楽しみである食事だ。
この合宿所では全て自分たちで賄う必要があるので、マネージャーである遥と木下先生の奥さんが練習以外の部分をフォローしてもらっている。
記念すべき初日のお昼は大量のおにぎりだった。
「まだまだたくさんありますので、みなさんいっぱい食べてくださいね」
『いっただきま~す!』
疑いもなくおにぎりにかぶりつく部員たち。
『…?!?!』
『……?』
次の瞬間、部員たちの反応はきれいに2つに分かれた。
1つは、おにぎりを持ったまま冷や汗をかきながら固まってしまったグループ。
もう1つは、そのグループを見ながら不思議そうにおにぎりを食べ進めるグループ。
――ちなみに、私は1つ目のグループ、千夏はもう1つ目のグループだったわ。
ほんのり塩味のパリパリの海苔に巻かれたふっくらとしたご飯。
そこまでは良い、至って普通のおにぎりだ。
だけど、なんだろうこの食べた瞬間口の中に広がる奇妙な甘い感覚は。
海苔の味と真逆の味がご飯から返ってくる。
口の中で混ざり合うそれはかつて味わった事のない物へと変化する。
「………」
これは恐らく砂糖だな…と分かった時にはもう私の手と口は止まっていた――
「おにぎりに、砂糖、ですか……」
天王寺先輩が溜息混じりに話す思い出話を、俺は耳を疑いながら聞いていた。
だってそうだろ?
どこの世界におにぎりに砂糖を入れる人間がいる?
少なくとも、ご飯に砂糖をかけて食べる習慣は俺には無い。
「そうよ。その後で遥にもちゃんと確認したし間違いない。あの子曰く『疲れた時には甘い物が一番だもんね』らしいわ…」
「そ、そうですか…」
「そこからは、木下先生の奥さんのつくった方を当てるロシアンルーレット状態になったわ。あの子のつくる料理、見た目は美味しそうだからみんな判別できなくて大変だったのよ」
「なるほど……」
当たりを引けば美味しいおにぎり、でも外れを引けば砂糖入りおにぎりか。
どんな罰ゲームだよ。
「でも、それだけじゃ終わらなかった。その日の夕食は、遥特製のカレーだったわ」
「あ、なら安心ですね。カレーなんてどうやっても美味しく…なる……」
風花の言葉に両先輩はいやいやと首を横に振る。
「遥は、そんな甘い物ではない」
「そういう事よ。あの日出てきたカレーは……綺麗な緑色だったわ」
「…はい?」
「あの子は言っていたわ、『これを食べてスタミナつけてね』と…」
スタミナをつけるために食べる緑色の食材と言ったら、まっさきに思い浮かぶのはアレだが、まさか……
俺の顔色を読んだのか、天王寺先輩はゆっくりと頷いた。
「そう、きっとあなたが今想像した物よ。緑色の正体は……ニラ、だったわ」
「ニラ、カレー……」
文香と風花も頭で想像したのか、青ざめた表情を浮かべている。
確かにニラをカレーに入れるというのは聞いた事があるが、あくまで具材の一つとしての場合だ。
カレーの色が変化するほど入れたりはしない。
「しかも、あのカレーはニラだけじゃなかった。その他にも、レバーやキムチといったスタミナのつきそうな食材ばかりが使われていたわ」
「おぉぅ……」
弁当箱にご飯をつめながら、その味を想像する。
もし目の前のご飯にそんな物がかかって出てきたら……
俺はきっと、お金を積まれても食べられないだろう。
「合宿の時は食事もトレーニングって言われてね、とにかく食べさせられたわ。まぁ、先輩たちも同じ料理を食べていた訳だから条件は一緒だったのが唯一の救いだったかしら。
とにかく、遥に料理をさせてはダメだと、その時全員が思い知った。翌日からは木下先生によく言ってもらって、食事は奥さん、遥はそれ以外をやってもらうようにして、何とかその年の合宿は乗り切ったわ」
「でも、去年は頼みの木下先生はもういなかった」
「そう、去年のこの時期にはもう木下先生はいなくなっていた。あの状況で合宿をやれば、全て遥の料理を食べる事になる。それだけは回避したくて、去年は色々な理由をつけて合宿をキャンセルしたのよ」
「………」
なるほど、てっきり去年の合宿がなくなったのは部の中がごちゃごちゃしていたからだとばかり思っていたが、実際はそういう理由だったのか。
確かに、その料理が出ると分かっていたらわざわざ行かないか。
上級生があの時迷っていたのも分かるような気がする。
今年も俺が行かなければ去年と状況は変わらないんだ。
「…だから、ハル君には絶対に合宿には参加して欲しいの。遥を厨房に立たせない方法はそれしかないのよ」
先輩の言いたい事は分かった。
それに白山先輩がどうしてあんな条件を出したのかも頷ける。
つまりは俺の料理をみんなに認めさせてみろ、という事なのだ。
井上先輩よりも俺の方が良いと、みんなに分からせろという事だろう。
「…ハル君、頑張ってね」
「ハルは、必ず参加するべき」
先輩たちの話を聞いて2人も本気で心配になったらしい。
俺を見る目がさっきまでと違って本気になっている。
「まぁ正直な所、私は心配してないけどね。ハル君の料理は本当においしいんだから。食べればすぐに分かるわ」
俺の弁当を毎日食べているだけあって、天王寺先輩には意外と余裕がある。
――と、そこで白山先輩と目が合う。
そういえば、どうして白山先輩はここに来たのだろうか。
今の話を聞かせるだけならば、天王寺先輩だけでも良かったはずだ。
天王寺先輩に無理矢理連れてこられた、と考えるのが普通なのだろうけれど、白山先輩を見るとどうにもそういう訳でもないような……
「…木嶋」
「は、はい」
などと考えていたら、白山先輩が口を開いた。
「どうしてここに私がいるのか、不思議に思っているのだろう?」
「え、えぇ、まぁ…」
「昨日も言ったが、私はまだお前を完全に信用してはいない」
「そうですね、はい…」
「このままでは、部員にもどう言って良いのか分からない。だからな、その……あれだ。
……根回し…そう、根回しができないんだ」
「は、はぁ……」
いつもの白山先輩と違い、言葉がバラバラで全然整っていない。
何が言いたいのかもよく分からず首を傾げていると、天王寺先輩が代わりに口を開いた。
「つまり、千夏はハル君の料理を食べに来たのよ。先に美味しさを知っていれば、みんなに説明しやすいでしょ」
「べ、別にそういう訳では……」
「何よ、今更格好つけなくてもいいじゃない。昨日も早く食べたいって言っていたくせに」
「ひ、光……」
慌てた様子で天王寺先輩を止める白山先輩。
どうしてそんなに慌てる必要があるのか。
部員にチェックさせる前に自分でチェックするという事だろう。
なんだ、そんな事なら最初に言ってくれればすぐ出せるのに。
俺は弁当箱に入りきらなかった分の卵焼きと、俺の弁当に入れる予定だったメンチカツを1つ皿に乗せ、テーブルへと運ぶ。
「はい、どうぞ。メンチカツは昨日の残り物ですけど…」
「あ、あぁ。悪いなわざわざ…」
「いえいえ、これくらいなら訳ないですから。お口に合うかどうかは分かりませんが…」
「そうだな。そもそも、私はそれを確かめるために来たのだ…」
そう言って卵焼きに箸を伸ばす白山先輩を3人に任せ、俺は再びキッチンへ。
出してしまったメンチカツの代わりになるものと、今日の差し入れを考えないといけない。
悩みながら冷蔵庫を開ける俺の背中に、すぐに感嘆の声が聞こえてきた。
どうやら1次試験は合格らしい。
さて、この後の2次試験には何を出そうか――




