#54 3対2(2)
「文香……」
彼女の姿を見たその時,俺の口から出た声はきっと震えていた。
ジャージ姿で少し息が上がっている所を見ると,ランニングでもしていたのだろう。
確かに文香の家はここからそう遠くない場所にあるので,この公園がコースの中に入っていても不思議じゃない。
それでも,彼女の登場は涙が出るくらい嬉しい。
これで3対3だ。
これでようやくちゃんとした勝負が出来る。
―――はずだった。
「私は,今のままなら試合には出ない」
事情を説明した後の文香から出てきたのは意外な一言だった。
「何で? 文香……」
「………」
「…もし良ければ,理由を教えてくれないか?」
文香はどこまでも真剣な表情だ。
どうやら冗談で言っている訳ではなさそうなので,俺はまず理由を聞く事にした。
「試合をするのは,別に良い。でも,チームメイトに変な気を使って,わざわざ負けるような試合は,やらない」
「文香……」
文香の言っている「変な気を使って」というのは,きっと俺が風花に言えない作戦の事だろう。
風花の思いを知ってしまったからこそ,気軽に言えないあの言葉の事だ。
「もうハルは気づいているはず。なのに,何も言わない。それは思いやりじゃない。風花の事を甘く見て,見くびっているだけ。そんなのじゃ,風花は強くなれない」
淡々と話す文香の言葉が胸に刺さる。
確かに俺は,風花に自分の手で非情な現実を突きつけるのが怖かったのかもしれない。
風花にそんな現実を見せたら壊れてしまうんじゃないかと,勝手に思い込んでいたのかもしれない。
文香はそのままの勢いで,今度は風花を見る。
「風花も,いいかげん自分でも気づいているはず。なのに何も言わないで,ハルに甘えている。そんなプレイじゃ,勝てる訳ない。そこに私が入ったって,同じ。この試合には勝てるかもしれないけれど,風花はずっと,負けたままになる。このまま逃げ続けたって,一生勝てる訳無い」
風花は文香の言葉に俯いてしまう。
文香も風花の過去は知っているはずだ。
いや,知っているからこそ言える言葉なのか。
過去に負けるな,乗り越えてみせろ。
文香は,それを伝えているのだ。
そして,言う。
俺がどうしても言えなかった言葉を。
いとも簡単に,あっさりと。
「風花,ハルとポジションを変えて。そうすれば,風花は負けない。今回も,この先もずっと」
文香はバスケに関してはいつも直球勝負だ。
自分がバスケに真剣に取り組んでいるからこそ,間違っていると思った事はどんな事でもはっきりと相手に伝える。
普段の口下手であまり話さない文香を知っている相手ならば,彼女の真剣な言葉がどんな意味を持っているかはよく分かる。
そんな文香だからこそ,中学時代はキャプテンとしてチームメイトから信頼され,活躍していた。
きっと風花にだって,文香の真剣な気持ちは届いているはずだ。
「……私…」
ややあって風花がゆっくりと口を開く。
「私に,出来るのかな……」
「当然」
「当たり前だろ」
風花の言葉に,ほぼ同時に俺と文香が答える。
次に顔を上げた時,風花は決意した表情で言った。
「私,やるよ。ハル君の代わりに,ポイントガードを」




