#36 これから(3)
再び静まり返った体育館に,ボールをつく音だけが響く。
久しぶりの実戦なので,少し練習と心の準備をする時間が欲しいと言った俺を,先輩は快く了承してくれた。
その先輩は何をするでもなくアップをする俺をステージに座って見ている。
先輩に見られながらの練習はどこかくすぐったい気分だったが,止めてくれとも言いづらい。
しばらくして先輩がステージから降り,それを合図に今度こそ本気の勝負が始まった。
「手加減なんかしたら怒るからね」
「…分かりました」
一応先ほどの続きからなので,スタートは俺の攻撃からだ。
先輩は先ほどと同じようなディフェンスで,俺を抜かせまいとしてくる。
でも残念かな,俺には先輩には無い絶対的なアドバンテージがあった。
「くッ?!」
それは,上。
俺がシュート体勢に入ってしまえば,先輩の手はボールには届かない。
先輩が思っているのとは違う展開かもしれないが,これが一番確率の高い攻撃なのだ。
「負けない!」
だが先輩も負けてはいない。
どこからそんな力が出るのか,ジャンプして俺のボールを叩き落としにかかる。
お互いに跳べばぶつかってしまうかもしれないが,先輩の顔にそんな心配は微塵も無い。
さっきまでの俺ならここで躊躇ってしまうかもしれないが,もう覚悟は決まっている。
そっちがその気なら本気で当たりに行く,という表情で俺は――
「――残念」
ボールを戻す。
先輩相手には背の高さなど大したアドバンテージにはならないだろうと予想はしていた。
先輩ならきっとどんな方法を使ってもシュートを叩き落としにくると構えていた俺にとって,初めからこの一本は囮。
囮にかかって跳んだ先輩の下を抜くのが本命だ。
「もらいますよ,先輩!」
「―――ッ!!」
どんなに足掻いても空中にいる間は何も出来ない。
悔しさを滲ませる先輩の横をすり抜け,俺も1本を返した。
「なかなかやるわね…」
「いえ,それほどでも」
攻守交代でこれが3本目。
これを決められると俺の負けだ。
「……」
先ほどのプレイを思い出す。
先輩は小柄な体格を生かしたスピードで相手を翻弄するタイプだ。
下向きに切り込んで視界から消えるテクニックは確かにやっかいだった。
でも,そうなると分かっていればこちらにだって対処法はある。
俺はあえてさっきよりも1歩分下がり,先輩との間にスペースを取る。
これならば,多少のフェイクや切り返しにも対応できる。
もしそのままシュートを打たれたとしても,十分カバーできる距離だ。
「……」
先輩も攻めあぐねているのか,じっと動かない。
だが,油断は禁物だ。
この人が何を狙っているのかまだ分からないのだ。
「ッ!」
先輩が動いた。
先ほどと同じように右からのドライブ。
ここで下手に距離を詰めるとまた抜かれる。
だったら――
「なッ?!」
逆に下がる。
こうやって先輩の全体像を視界に入れておけば,どんな動きでも対応できるからだ。
その分ゴールには近付かれるが,パワー勝負ならば負ける気はしない。
そんな俺の動きを警戒したのか,先輩もそれ以上に深く攻めては来ない。
――さぁ,ここからどうする。
先輩も俺も,一定の距離を保ったまま動けない。
下手に動けば相手に隙を見せる形になってしまうからだ。
気の抜けない時間がしばらく続くが,その均衡を崩したのは先輩だった。
「えッ?!」
突然スッと後ろに下がったかと思うと,間髪入れずにシュートモーションに入ったのだ。
そのあまりの速さに,身構えていたはずなのに動けなかった。
一瞬遅れて手を伸ばした時には,もうボールは先輩の手を離れ――
――綺麗な放物線を描いて,リングの真ん中を見事に打ちぬいた。
「いや~,完敗でしたよ。最後のアレ何ですか? 全然反応出来なかったんですけど…」
「ふふっ,私の秘密兵器って所かな」
ゲーム終了後,すぐに解散という雰囲気でもなく,俺と先輩は始まる前と同じように二人でステージに座って他愛のない話に花を咲かせていた。
「でも,木嶋も凄かったわよ。まさかアレを使うとは思っていなかったもの。さすが平林がオススメする人材だわ」
「…オススメ?」
そこの言葉で天王寺先輩の雰囲気がちょっとだけ変わるのが分かった。
表情や仕草はそのままなのだが,どこか空気が違う。
「……もう隠すのもバカバカしいから全部白状してしまうけれど,今まで私って,後輩を育てようとかこれっぽっちも思っていなかったし,チームの事は全部自分でやらなきゃって思い込んでいたの。でも,今回の試合を見て,私の他にもガードがいれば良かったな~,コートの外からしか見えない物もあるんだな~って思う所があって。でも,もう私も3年生だから,そればっかりに手を焼いていられない。それで,誰かにガードを育てて貰いたいな~,コートの外から客観的にチームを見てもらいたいな~と…」
「…それが,俺ですか?」
「だって平林が木嶋君の事凄い褒めてたし,私だって君のおかげで立ち直れたし。今までの事もあって2,3年生にガードはいないし……今日のテストで君が合格したら,ぜひお願いしようと思っていたの」
「なるほど…」
先輩の言いたいことは大体分かった。
つまり,俺にこのままマネージャーとして部に残って,ガードを育てたりベンチから指示をだしたりしろという事か。
「ちなみに,僕に拒否権はあるんですか?」
「そうね。もし嫌だと言ったらこの前見せてくれた依頼書を使って無理にでもいてもらうわ」
「そうですか…」
初めから拒否権は無かったようだ。
でも,前と違って悪い気はしない。
ちゃんとやるべき事も見つかったし,変に迫害される事も無くなるだろう。
それならば,与えられた仕事はしっかり果たそう。
そもそも俺は,その為にここに来たのだから。
「分かりましたよ。一度乗りかかった船です,行ける所までお供しますよ」
「ありがとう。じゃあ改めて,よろしくね。木嶋」
「はい。天王寺先輩」
俺たちはがっちりと握手をして,体育館を後にする。
もう外は暗くなり始めていて,空には一番星が輝いていた。




