#35 これから(2)
夕暮れに染まる体育館のステージに,俺と彼女は静かに並んで腰を下ろしていた。
二人以外に誰もいない体育館は,先ほどまでの喧騒が嘘のようにしんと静まり返っている。
皆が解散してから,もう数十分はたっているだろうか。
二人とも何を話すでもなく,ただ座り続けている。
話す内容がまとまったのか,それともいい加減痺れを切らしたのか,ようやく彼女が口を開く。
「…ごめんなさいね,こんな時間までわざわざ残ってもらっちゃって」
「いえ,大丈夫ですよ。……天王寺,先輩」
どうしてこんな事になってしまっているのか,一応整理してみよう。
俺は練習試合の片付けをしていた所,天王寺先輩に呼び止められた。
少し話したい事があるので解散後に体育館に残っていて欲しい,という内容で,特に用事も無かった俺は何も考えず首を縦に振った。
のだが,いざ二人きりになってみても,先輩は中々話を切り出そうとせず,何も話さないまま時間だけが過ぎて行った。
そして,ようやく天王寺先輩が口を開き今に至る。
「…今回はありがとう。あなたのおかげで助かった」
「いえ,僕は特に何もしていませんよ。天王寺先輩が自力で立ち直ったんじゃないですか」
俺は心からそう言ったのだが,天王寺先輩はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ,それは違う。きっと私一人だったら,あそこで交代なんてしない。交代しないままもっと試合を壊して,どうしようもない状況で退場してしまったはずよ。でも,それじゃ私は何も変われなかったと思う。木嶋が私を交代させて,千夏にガードをやらせてくれて……おかげで,私は自分を見つめなおす事が出来たのよ」
「そんな事は…」
「木嶋にとっては小さな事かもしれないけれど,私にとってはとても大きな事だった。だから,きちんとお礼と,今まで色々失礼な事を言ってしまったお詫びが言いたかったのよ」
天王寺先輩はぴょんとステージから降り,俺に向きあって深々と頭を下げる。
「今までずっと失礼な態度を取ってしまってごめんなさい。私を…部活を救ってくれて,本当にありがとう」
「い,いえ。そんな,俺の方こそ,色々失礼な事言ったりしてすみませんでした」
慌てて俺もステージから降りて,同じように頭を下げる。
いきなり入ってきた俺に無神経な事を色々言われたのだから,怒られても仕方ないのだ。
「…まぁ,確かに失礼な部分はあったかも……」
ムスッとした顔を上げる先輩だったが,そこに以前のような嫌悪感は無い。
冗談でやっている顔なのだ,とすぐに分かる。
事実,すぐに先輩の表情は満面の笑みに変わった。
「じゃ,これでおあいこね」
これまで見たことの無い,輝くような笑顔。
その笑顔のあまりの破壊力に,俺の脳は考える事を放棄し,ただ目の前の映像を保存する作業に集中してしまった。
「それで,実はもう一つ,あなたにお願いがあるの」
記録に忙しい俺の脳は,後に続く言葉にも反射的に頷く事しか出来なかった。
「…私と,1対1で勝負してくれない?」
「は,はい。……え?」
「お互い交互にオフェンスとディフェンスをやって,2本取った方が勝ちで良い?」
「だ,大丈夫です…」
突然の展開にまだ頭がついていかない。
おかしい。
俺はただ天王寺先輩と話をしていただけのはずなのに…
「じゃんけんで勝った方が先行ね」
俺の返事を待たずに「最初はグー」と始めてしまう辺り,根本的にこの人は人の話を聞かないように出来ているのだろうか。
結果は先輩がパー,俺がグーでせんぱいの先攻。
「じゃ,よろしく」
「よ,よろしくお願いします…」
ボールを持って臨戦態勢になる先輩。
野獣のように強烈な視線が俺をまっすぐに見つめる。
視線のプレッシャーが先輩の姿を実際より大きく見せる。
だが,正面に立ってみて改めて感じるのはその低さだった。
男子と女子,というアドバンテージはあるかもしれないが,それを加味してもこれは低い。
試合を見ていた限り,立ち直ってからの先輩はほとんどドリブルを使わず戦っていたので速さやキレは未知数だが,これは心してかからないと勝負は一瞬で決まりそうだ。
「ッ!」
「ぅんッ?!」
などと考えている間に突然先輩のスイッチが入った。
一息にギアをトップに入れ,右から抜きにかかる。
こちらもとっさに一歩出て進路を防ぐが,その瞬間先輩の姿が消えた。
「なッ?!」
先輩は低い体勢をさらに低く,地面すれすれまで頭を下げ俺の視界から一瞬消えたのだ。
そしてその一瞬を利用して素早く左へクロスオーバー。
俺はその動きについて行けず,呆気なく抜かれてしまった。
「ぁ~…」
難なく俺を突破した先輩はそのままレイアップを決めて1本先取。
これで攻守交代となり,次は俺の攻撃。
「………」
先輩はディフェンスも隙が無い。
俺の動きに合わせて移動し,きっちり進路を妨害してくる。
フェイントを織り交ぜてみても,簡単には抜けそうもない。
―――それになにより…
これが男子相手であれば,多少強引にぶつかっていけるのだが,相手は天王寺先輩。
彼女に本気で当たっていけるほどの勇気は俺には無いのだ。
「…やっぱり,やり難い?」
うだうだと考えていた俺を見て,困ったような表情を浮かべる先輩。
先輩にも分かってしまうほどぎこちない動きになってしまっていたようだ。
でも,これは仕方のない事だ。
先輩だってさすがにそれくらいの事は分かってくれている物だと思っていたのだが…
「まぁ…いつも通りには,出来ないですね」
「私が先輩だから?」
「それも…あります…」
「じゃあ…女の子だから?」
「……それも,あります」
「…今は試合中で,男も女も関係ない。全力でぶつかって何か悪い事があるの?」
「まぁ…そうです…けど……」
先輩の言葉も分からなくはない。
試合中にそんな事を考えている自体が不謹慎なのは分かっている。
でも,俺にも心の準備というものがある。
中学時代にも女子と混合で練習はしていたが,あくまでパスやフットワークが中心で,こんな対戦をした事は無い。
そもそも,中学から部活一筋で女っ気の無い生活を送ってきた俺に,いきなり全力で戦えというのは無茶というものだ。
「……分かった,わ」
と,言いよどむ俺の前で先輩は肩の力を抜いて笑顔を見せた。
「あなたが変な考えを持ってここに来たんじゃないって,良く分かった。うん,テストはこれで終わり」
「て,テスト…?」
訳が分からず首を傾げる俺に,先輩は続ける。
「そ,テスト。あなたが本当にやましい気持ちで女子バスケ部に来ていないかを確かめたかったの。この1対1で,バスケを盾にあなたが何か少しでも変な事をしようとしたら,すぐにでも部から出て行って貰おうと思っていたのよ」
「なるほど…」
つまり,もし俺が最初から何も考えずに本気でぶつかっていたとしたら,問答無用で部から追い出されていたかもしれないのか。
実際はただテンパっていただけなのだが,先輩には良い印象に映ったらしい。
「でも,あなたはそんな事はしなかった。私にもバスケにも真剣に取り組んでくれたわ」
先輩はそこで一度言葉を切り,笑顔を消す。
真剣な表情で,もう一度言った。
「だから今度は,あなたの本気を見せてちょうだい」




