3.白鳥愛という女
「いやぁ、本当に驚きましたよ。まさか、あんな体験をするなんて」
白鳥愛は昨晩のブラックフェイスに助けられた出来事を会社の同僚に笑顔で語っていた。拡散したブラックフェイスの動画の中に彼女の姿も映っていて、それに気付いた同僚から質問されたのだ。
「飲み会の帰りにチンピラに絡まれちゃいましてね」
火田のマンションで、危うくクスリ入りのお酒を飲ませられそうになった件については言っていない。何の証拠もないし、それにもし警察に通報するという話になったなら、自分を助けてくれたブラックフェイスにも迷惑がかかるかもしれない。
「ごめんねぇ。私が誘ったりしたから」
飲み会に誘って来た山川という同僚はそう彼女に謝った。
「いえいえ、何にも関係ないじゃないですか。敢えて言うなら、わたしが悪いのですよ。ちょっと警戒心がなかったと言うか……」
初めてみる男、しかもいかにも悪そうな男に声をかけるのは、後から考えれば軽はずみに過ぎたと、本心から彼女は反省していた。山川は彼女が火田に声をかけた事を知らないかもしれないと思いつつ言ったのだが、
「お詫びに、今度、もっといい男が来る飲み会をセッティングするからさ」
などと山川は続けて来たので、実は知っていたのかもしれない。
「いいですって。わたし、そういうのあまり得意じゃないんですよ。緊張しちゃって」
誤解は解いておきたかった。普段は自分から男に声をかけたりはしない。山川は何か言いたげだったが、それから何も言わずに彼女の傍を離れていった。納得してくれているかどうかは怪しいラインだ。
そして、それから山川は天野小夜子という女性社員に近付いていったのだった。
「あの天野さん…… ちょっと聞きにくいのだけど」
山川は天野にそう話しかけた。
「白鳥さんって会社では男関係とかあまり噂になっていないじゃない? でも、プライベートだと違っていたりするの? その、あなたは学生時代から彼女を知っているのでしょう?」
「あ~」
と、それを聞いて天野は面倒くさそうに返す。
「また、あの子、“問題有りな男”に声をかけたんですかね?」
山川は驚いた顔を見せる。
「やっぱり、男好きなの?」
「いえいえ、そーいうんじゃないんですよ。ただ、あいつ、昔っから、“問題有りな男”に簡単に惚れちゃうのですよね。本人は無自覚みたいなんですが」
「“問題有りな男”に惚れる?」
「そうです。男を見る目がない…… いや、逆にあるのかなぁ? きっと本能的にそういう男を嗅ぎ分けられるのだと思うのですが。
だから、そういう男がいそうな飲み会にはあいつを誘わない方が良いですよ」
その言葉に山川は焦る。
「な、何を言っているの? 天野さん」
「だって、そうなのでしょう? なんだか謎のヒーローも現れたみたいだし。ね? 稲塚君」
そう言って突然彼女が話を振ったのは、近くの席の稲塚薫という名の男性社員だった。
「どうして彼が関係あるのよ?」と、それに山川。
「実は彼も高校時代から同じなんですよ。だから白鳥さんをよーく知っている。ね、稲塚君? 彼女が惚れる相手って“問題有りな男”ばかりよね?」
話を振られた稲塚は困った表情を浮かべていた。
「いや、ま、“問題有りな男”ばかりかどうかはさすがに知らないなぁ」
「へぇ~、そうなんだ」
天野は含みのある言い方をしたが、山川は特にそれを気にしなかったようだった。代わりに高校時代の同級生だという話に驚く。
「高校から同じ? しかも三人も? それってかなり珍しいのじゃない?」
「そうかもしれませんねぇ」
そう言って彼は頭を掻いた。どうも触れて欲しくないような感じだ。もしかしたら同級生しか知らない彼の黒歴史でもあるのかもしれない。山川は面白そうな顔を見せたが、そこで上司が咳ばらいをした。“そろそろ仕事をしろ”と、圧をかけているのだ。それでそそくさと山川は自分の席に戻っていった。
“ふー。際どい話をしないでよ、天野さん”
山川が去っていって、稲塚薫はホッと胸をなでおろしていた。
彼は高校時代から今までの白鳥をとてもよく知っている。なにしろ、同じ会社に就職したのも偶然ではないのだから。彼は彼女を追って来たようなものなのである。
高校時代。彼は白鳥愛にフラれている。だが、彼女を忘れられず、それからもずっと追い続けているのだ。
或いは、彼女が普通の女性だったなら、簡単にとは言わないが、彼は彼女を忘れられていたかもしれない。しかし、彼女の男性の好みは普通ではなく、そして強い恋慕と共に彼女に“命を助けられた”という恩を感じていた彼は、彼女を見捨てる事ができず、こうして今日に至るまで、ストーカーとも取れる執着を見せているのだった。
高校時代に彼は友人に裏切られた。しかも運が悪い事に、それと同じ時期に父親が会社をクビになって毎日家で飲んだくれていた。姉は家から逃げ、暴力を振るわれる母親を庇いながら、彼はアルバイトをして生活を助けていたが、父親は彼の稼いだ金を盗んで酒代に変えていた。
彼は人生に絶望していた。
もっとも、今にして思えば一時の迷いだったのかもしれないとも思っている。確かに辛かったが、打開できないほどじゃない。
その日、彼は学校の屋上に昇り、飛び降り自殺をしようとしていたのだ。そしてそこに現れたのが白鳥愛だった。そのような場所に偶然通りかかるはずはないから、きっと彼を心配して追って来てくれたのだろう。
彼女は飛び降りようとしている彼に「飛び降りるの?」と話しかけて来た。驚いた彼が何も応えずにいると、彼女はなんと、
「じゃ、さ。飛び降りる前に、わたしを抱きしめてみない?」
と、そんな提案をして来たのだ。
「どうせ死ぬんなら、それくらいしてもいいでしょう?」
とても寒い冬の日で、彼は彼女に甘え、思いきり抱きしめた。抱きしてめると、甘い匂いと温もりを感じ、心の底から彼は彼女に癒されたのだった。悩んでいた事、全てが馬鹿馬鹿しく思えた。そして、そのお陰で、彼は絶望を忘れる事ができた。
彼が「ありがとう」とお礼を言うと、彼女は「どういたしまして」と笑って返した。優しそうに。屈託なく。
その何日か後、彼は彼女に告白をし、そして見事に玉砕をした。
「稲塚君の事は好きだけど、異性としては見られないの」
そう言われてしまった。
ショックを受けたが、再び死のうとは思わなかった。これで死んだら、まるで自分が白鳥を責めているかのようだ。
それから彼は知った。白鳥愛の好みの異性のタイプは特殊だったのだ。何故か、狂暴だったり、残忍だったり、卑怯だったり。そういった“問題有りな男”にばかり惹かれてしまうようなのである。
ただ、世間では時折、“悪”が好みのタイプという女性もいるから、実はそれほど珍しくもないのかもしれない。ヤクザの男に溺愛される女性の恋愛ものの漫画や小説はそれなりに多いのだ。それに、そういうタイプの男性に女性が惹かれるという理屈もない訳じゃない。
例えば、世間が荒廃していて、犯罪に溢れていたなら、お人好しの男性よりも、性格の悪い男性の方が生き残る可能性が高い。つまり、そういう環境下においては、“悪い男性”の方が優秀だという事になる。だから生存方略として、そういう男性を女性が選ぶというのは、有効であるのかもしれないのだ。
実際、男性が“人殺し”を誇る文化も世界にはあるらしい。
一応断っておくと、彼女がそういう男性を好きになって、それで仕合せになれるのならそれでも良い。稲塚薫はそう思っている。
問題はそういう男性が、彼女を不幸にする可能性が高い点にあった。
今の平和な世の中では“そういう男性”は決して優秀とは言えないし、それに、そういう男性でも恋人の女性にだけは優しいというパターンもあるようだけど、現実は必ずしもそうとは言い切れず(女性はそういう願望を抱くようであるが)、きっと女性を不幸にする“問題有りな男”の方が多いだろう。
だから彼は、稲塚薫は、“そういう男性”と彼女が付き合い始めると、彼女に危害が及ぶ前に、“そういう男性”を排除し続けて来たのである。
そして、いつの間にか、その行動が、世間では“ブラックフェイス”などというダークヒーローの噂話として語られるようになってしまっていたのだった……
『ブラックフェイスの正体を探れ!』
最近、話題になっている動画のタイトルである。
天野の際どい発言で、彼はその動画を思い出していた。もちろん、“ただでさえ、あの動画の所為で、正体がバレるかもしれないのに、変な事言わないでよ、天野さん”と、彼は思っていたのである。
以前は、ブラックフェイスなどという噂はほとんど誰も信じていなかったが、撮影されて映像に残ってしまった所為で、一気に信じる人が増えてしまった。そして、その動画を広めたみょんチャンネルは、最近、彼の正体を探る企画の動画を投稿していたのだった。
“これ、どうしよう?”
稲塚薫は悩んでいた。
もし正体がバレたら、かなりまずい事になる……
「へぇ。あんたが“みょんちゃん”さんか」
火田というその男は笑っていた。
重要な商談があると知り合いから呼ばれ、行った先でそのヤクザのような風貌の彼と対面させられたみょんちゃんは、大いに不安がっていた。
「あの…… 動画関係の仕事の話だって聞いていたのですが…」
肥った体型で、横長の楕円形の丸っこい顔をした彼は、その特徴的な顔をフルフルと震わせながら、席を立とうとしていた。
「違うのなら、帰ります!」
そう言い切って、逃げようとしたのだが、そこで後ろにいる彼の手下だろうチンピラに肩を強く掴まれて強制的に座らされてしまう。
「まあ、落ち着きなよ。安心しなって、動画関係の仕事の話だからよ」
そう言うと、火田はスマートフォンを見せ、「これ」とだけ言った。
それは彼が上げたブラックフェイスの動画だった。映像は買い取ったもので、彼が撮影した訳ではない。
「ボクの動画ですが……」
「そうだなぁ。“ボク”の動画だなぁ。
でな? その“ボク”の動画に映っているのが誰かって言うと、実は俺の大切な部下達だったりするんだよ? 分かるか?
俺ぁ、悲しくてさぁ。お前がこの動画を上げた所為で、俺の部下達は世間の笑いもんになっちまったよ」
みょんちゃんは青い顔になる。
「それは…… 知らなくて。それに、撮影したのはボクじゃなくて…」
「ああ?」と、それを聞いて火田は凄む。
「そんなの関係ねーだろうが? 動画を上げたのはお前だろう?」
睨みつけた。その間に耐え切れなくなったのか、みょんちゃんは「どうすれば良いですか?」と小さな声で尋ねる。
「安心しろ。俺らも鬼じゃない。よく疑われるがな。ちゃんと誠意を見せてくれればそれで良い。
このチャンネルを俺らに売れ。十万出してやる」
それを聞き、みょんちゃんは目を剥いて抗議をした。
「そんな! ボクのチャンネルなのに!」
即座に火田は言い返す。
「ほとんど俺の部下の動画でしか稼いでねーじゃねぇか! 何が“ボクのチャンネル”だ! ふざけるな!」
その怒鳴り声で、みょんちゃんは下を向いてしまった。それを見ると、猫撫で声で火田は続ける。
「安心しろよ。動画の編集、雑用係としては雇ってやるからよ。お前はブラックフェイスの正体を見つけようとしているんだろう? 奇遇だが、俺らも目的は一緒でさ。協力してあいつを見つけ出してやろうぜ。なぁ?
この業界、狭いんだからさ、お互いに仲良くやっていこうってワケだ」
そう脅され、下を向いたままみょんちゃんは「……はい。分かりました」と小さく応えた。それを聞くと機嫌良さそうに火田は大笑いをする。
「あはははは! それで良い! それで。さあ! 忙しくなるぞ! “みょんちゃん”さんよぉ! まずはもっと盛大に情報収集だ!」




