25.怪人“蟻地獄娘”
メリリンが白鳥愛に接触をした。稲塚薫は偶然に目撃したのだが、白いロリータファッションの女性がキャンパス内のベンチで楽しそうに彼女と話していたのだ。
しかし、当初、彼はとても呑気だった。
“相手が女性なら、大丈夫だろう”
そう思っていたのである。
もちろんそれは、彼がメリリンの正体を知らなかったからなのだが。
「さっきの人、誰? 何を話していたの?」
その後、講義室で白鳥に会った時、彼はなんとなく気になってそう尋ねてみた。白いロリータファッションの女性はこの大学の生徒ではなさそうだし、彼女の友達にはいそうにないタイプだったから、好奇心を刺激されたのかもしれない。
「それがね」と彼女は可笑しそうに笑ってからこう続けた。
「面白い娘なのよ。メリリンって名乗っていて、“夢の世界”にわたしを案内したいのだって」
「夢の世界? 何それ?」
「さあ? 何かのクラブみたいなのかしらね?」
彼はそれを聞いた瞬間、不吉な予感を覚えた。
「まさか、行く気じゃないよね?」
「それが、“どうしても”って頼まれちゃってね。悪い子にも思えなかったし、一度くらいなら良いかなと思って」
「へぇ」と、彼は返した。毎度のパターンなら、メリリンは“問題有りな人間”という事になる訳だが、少なくとも外見上は凶暴性も残酷性もなさそうに思えた。ちょっと…… と言うか、かなり変わったタイプではありそうだが、そもそも男ではなく女である。心配し過ぎかもしれない。
「それっていつ行くの?」
「まだ決まっていないわ。色々と準備があるのだって」
“準備?”
それを聞いてまた彼は不吉に思った。罠に嵌める準備じゃないかと疑ったのだ。
「できれば行かない方が良いと思うよ」と、だからそう言ってみた。すると彼女は「そういう訳にもいかないわよ。約束しちゃったもの」と困ったよう顔で返して来た。
無理に説得するような話ではない。ただ新しい女友達ができて、一緒に遊びに行くだけなのだから。仄かな不安を抱えながらも、彼はそれ以上は何も言わなかった。
「――メリリン? ああ、私も誘われたわよ」
偶然食堂で会ったので、天野小夜子に尋ねてみると、どうやら彼女も誘われているらしかった。
「好きな男がいるから行く気はないって言ったら納得して諦めていたわ」
「え? 好きな男がいるの?」
「馬鹿ね。断る為の口実よ」
呆れた顔をされてしまった。彼女は軽く溜息を漏らす。やや迷っている風だったが、それから彼女はこう続けた。
「それよりも気にならない? “好きな男がいるから”って理由で諦めるような場所にあのメリリンとかいう女は私を誘って来たって事よ? 白鳥も誘われていてオーケーしちゃっているのでしょう?」
「そうだけど…… でも、そんなに危険な娘にも思えなったから。遠目からしか見ていないけど」
「暴力的とかそういう意味じゃ、危険な娘じゃないかもしれないわね。でも、私は“異常”だとは思ったわ」
「まあ、変なカッコはしていたよね」
「ファッションの話じゃないわ。
平気で悪い事をする奴にはきっと二種類いる。一つは罪悪感が麻痺しているタイプ。これは分かり易いわよね。そして、もう一つは善悪の判断がおかしいタイプ。悪い事を悪い事だと認識していないのよ。だから、そういうタイプは、多分、凶暴性や残酷性がなくても平気で悪い事をする」
「それがあの娘だって言うの?」
天野はその質問に肩を竦めた。
「さあ? 分からないわ。
でも、あの“問題有りな人間”センサーでも付いているのじゃないかってくらいの白鳥が随分と気に入っちゃっているみたいだから、そうかな?って思っただけよ」
「相手が女性でも、“問題有りな人間”を気に入っちゃうのかな? 彼女」
「それとね。これは単なる噂だけど、あのメリリンって娘、元ダンスサークルが狙っていた女生徒を中心に声をかけているみたいよ。だからきっと私にも声をかけたのね。これって何かおかしくない?」
確かに胡散臭い気配がする。
「うん。多少強引にでも、白鳥さんを止めた方が良さそうだね」
「嫌われる覚悟は必要でしょうけどね。さっきも言ったけど、あいつ、メリリンを相当に気に入っているみたいだから」
「うん」と彼はそれに返した。
白鳥から嫌われるのは死ぬほど嫌だが、それでも彼女が不幸な目に遭うよりはマシだと彼は考えていた。考えていたのだが……
「――それは、やめておいた方が良いと思うわ」
そう稲塚は鈴谷凛子から忠告をされてしまったのだった。
彼女はメリリンが、白鳥愛をターゲットにしているのではないかと考えて彼に連絡を取って来たのだ。
彼女の専攻教室に呼び出されて、お茶を飲みながら話をした。専門書が棚にたくさん収まっている以外はと君何もない部屋で、少し退屈だが人がいないので内緒話はし易い。初めて会った時とは違って、彼を論破してやろうといったような雰囲気は彼女にはなかった。
「どうして?」
「“どうして?”って。説得に失敗してあなたが嫌われたら、益々彼女を護り難くなるからよ。彼女を護りたいのでしょう?」
「もちろん。でも、どうして説得に失敗するって思うの?」
「多分、そんな程度じゃ、あの蟻地獄娘の手からは逃れられないからよ。タイプにも因るでしょうけどね」
「蟻地獄娘?」
「あの娘の通り名よ。一部でそう呼ばれているみたい。“蟻地獄に女性を堕とす蟻地獄娘”だって」
それを聞いて彼は眉をひそめた。
「それは、どういう……」
彼女はそこで少し間をつくった。慎重に言葉を選んでいるように思える。
「彼女に誘われて、セックスワーカーになってしまったら、そこから二度と抜け出せなくなる……
そう考えている人達がいるのよ。本人がどんなに嫌だと思っても、結局は戻って来てしまう」
彼は首を傾げる。
「それってクスリを使っているって事?」
「違うと思う」
そこで再び彼女は間をつくった。やはり慎重に言葉を選んでいるように思える。
「セックスワーカーを取り囲む問題には大きく二つあると私は考えている。一つは、“意識の問題”ね。
性に対して抑制的な考えを持つ人達は、セックスワーカーを被害者だと思いたがる傾向にある。性奴隷みたいなものだとね。でも、実際にアンケートを取ってみるとセックスワーカーのほとんどはそうは思っていない。だから、一方的な価値観を押し付けると逆に人権侵害になってしまうかもしれない。ただ、それならセックスワーカーの全てを肯定的に受け入れれば良いのかと言えばそれも違う。
悪徳宗教を思い浮かべてもらえばこれはよく分かるわ。宗教に入信して、全財産を寄付してしまうような人達は、自分を犠牲者だとは思っていないでしょうけど、実際には家庭が崩壊してしまっていたりする。
そして、もう一つは、“経済的な問題”。
セックスワーカーをやなければ生活できないような立場の人もいる。だから、女性の経済問題の解決なしに性的サービスを禁止にすると生活困窮者を出してしまうの。ただ、これは必ずしも貧困層だけとは限らないわ。一般的なスキルがあって普通に働ける人でも、贅沢な暮らしに慣れ過ぎてしまって、性サービス業から離れられない人だっている。
そして、この二つの問題は互いに強く絡み合っているわ。蟻地獄娘は、どれだけ意図的なものかは分からないけど、それを利用して抜け出せない状態に女性を巧みに陥れるのよ」
その説明に稲塚は戸惑った顔を見せる。
「……その、具体的に、それはどうやるの?」
少しだけ彼女は頷く。
「断っておくのだけど、これは私も聞いた話だから、どこまで正確なのかは分からない。けど、少なくともこれに近い事が行われているのは確実だと思っている。
まず、彼女は誘った女性に友達として接する。しかも、適度に依存するような感じで。これは本当に巧くって心地良さすら覚えるわ。私も彼女と接したからよく分かる。だから、そういうのに弱いタイプは特に彼女に引っ掛かりやすいと思う」
それを聞いて彼は白鳥愛は当にそんなタイプだと考えた。そして、天野小夜子はまったくそんなタイプではない。だから彼女は蟻地獄娘の難から逃れられたのかもしれない。
「次に彼女は彼女自身が“夢の世界”と呼ぶ売春組織…… 正確には“売春もやる組織”なのだけど、そこに誘い込もうとする。一応、そこでは男と女の自由恋愛という態になってはいるようだけど、実態は金銭で肉体関係を結ぶ性的サービスが行われている。
彼女自身もそこで性的サービスを行っているようなのだけど、どうもそれで少しずつ“それは当たり前の行為”という認識を女性に刷り込んでいくようなのね。
そして、性的サービスを提供する事で大金を稼ぎ、皆で豪遊する。巧みに仲間関係を形成するのよ。自分達は仲間。そう思わせられれば、裏切れなくなる。だから警察にも通報しないし離れもしない。
……もちろん、異常だと感じて抜け出したいと思う人もいるようだけど、贅沢に慣れてしまっていたり、仲間同士で互いに帰属欲求や承認欲求を満たし合う関係になっているから、これが中々に難しい。
蟻地獄娘…… メリリンは誰も虐めないらしいのよ。どんな女の子も優しく認め、受け入れようとする。男性達へ性的サービスをするのは嫌いでも、メリリンは大好きで、それでセックスワーカーを辞められないって人もいるみたい」
その鈴谷の説明に稲塚は“まるで悪い事のように聞こえない”という感想を持った。その彼の心中を見抜いているのか、
「そう。
“本人達が幸せならそれで良いのじゃないか?”
そんな風に思っちゃいそうよね」
と、そう言った。しかし、それから首を横に振りながら続ける。
「……でも、これ、絶対に長くは続かないのよ。年齢を重ねればセックスワーカーを続けるのは難しくなるでしょう。浪費癖が身に付いてしまっていたら、収入が減った状態の生活に適応できるかどうかは分からない。下手したら、破滅的な人生を送ってしまうかもしれない。
つまり、彼女自身が言うように、彼女達のいる場所は“夢の世界”なのよ。夢は儚いものよ。いずれ崩れ去る。
先に述べたように、それに気が付いている人もいる。けど、抜け出せないのよ。その蟻地獄からは。
或いは、優しくて仲間関係を重視する人ほど、この蟻地獄に陥りやすいかもしれない。これは私の勘なのだけど、白鳥愛さんはそんなタイプなんじゃないの?」
その言葉を、彼は否定できなかった。内心では“異常だ。間違っている”と思っても、メリリンや他の女性、或いは男性客へ気を遣って抜け出せなくなってしまう白鳥愛の姿が容易に想像できてしまう。
「どうすれば良いと思う?」
気が付くと、稲塚は鈴谷にそう問いかけていた。彼女が答えを予め出した上で、彼を呼び出していると分かっていたからだ。彼女は淡と答えた。
「潰すしかないでしょうね、“夢の世界”ごと。あの娘の世界を」




