17.怪人“ヤリサリアン”退治 その1
夕刻。
大学キャンパス内の上空を、ドローンが飛んでいた。開発中の低音タイプで音は聞こえて来ないし、ボディが黒いのでほとんど目立たない。空の色がもう少し暗くなれば視認はより困難になるだろう。
その遥か下。夕闇のキャンパス内を一人の男生徒が進んでいる。中庭にある木々の中に入ろうとしているようだ。大き目のバックを背負っている。辺りには誰もない。
彼は木々の中に足を踏み入れて進み、誰にも見られないだろう場所にまで来ると、バックを開けた。黒いヘルメットが見えている。そして、厚手の黒の上着。ナイフや銃弾などを通さない特別製の防弾ジャケットだ。
彼は無言でそれらを装着すると、中庭の先へと進んだ。上空ではドローンがその様子を観察している。
夕日が沈み、夕闇が濃くなる。進めば進むほど、彼の黒い装いは周囲と馴染んでいき、やがては闇と同化した。
中庭には開けた場所が数か所ある。その一つで複数人の男女が酒宴を設けていた。酒やつまみだけでなく、正常な判断能力を失わせる脱法ドラッグがそこには並べられてあった。
「えー、なんか不味いのだけど? これ、入れない方が良くない?」
女の声が聞こえて来た。脱法ドラッグを入れた酒を飲んでの感想のようだ。男が笑う。
「いやいや、美味いって。お子様には分からないのかなぁ? 後で効いてくるんだよ、そのお薬」
それを聞いて、黒の彼は確信した。
“こいつらは、ヤリサー…… ヤリサリアンどもだ。女性を騙し、エロいことをするつもりでいる”
黒のヘルメットの内部には、上空のドローンからの映像が流れて来ていた。AIの自動識別機能で、人をマーキングして表示してくれている。近くに彼ら以外に人はいない。援軍の心配はない。男の人数は全部で三人。既に酒を飲み始めているから、襲撃への対応能力は大きく削られているはずだ。
“白鳥さんには絶対に手出しさせない。その前に全員、畳んでやる!”
彼は伸縮性の警棒を伸ばすと、あまり酒が入っていなさそうな立っている男の後頭部…… 延髄の辺りを思い切り叩いた。脳震盪を起こしたのだろう。男はあっけなくドサリと倒れた。
続いて、彼は近くで胡坐をかいている男の延髄に蹴りを入れようとした。だが、倒れた男に気が付いて振り向こうとしたタイミングだった所為で少しずれ、急所ではない横顔に蹴りは入ってしまった。
「なんだ、いきなり、お前?」
残りの一人が驚いた顔で彼に怒鳴った。
最初に倒した男はそれなりに体格が良かったが、後の二人はそれほどでもなかった。小太りと、痩せ。横顔を蹴られたのが小太りで、怒鳴ったのが痩せだ。運動をしているようには見えなかった。恐らく、この二人はダンスすらしてない。喧嘩も弱いだろう。
小太りは蹴られた勢いを利用して転がって逃げ、痩せの近くで立ち上がった。女は二人。怯えているようだった。
彼はそれを受けて警棒を仕舞う。それから小型音声再生機器のスイッチを押した。
『その男達は、君達にドラッグを飲ませ、酩酊させた上で性的に凌辱をするつもりだ。早く逃げなさい』
明らかに合成音声だと分かる声質だった。正体を隠す為に用意しておいたのだ。
その説明に二人は慌てる。
「はあ? てきとーな事を言ってるんじゃねぇぞ?」
「そうだ! 俺らはただ楽しく飲んでいただけだ!」
その抗議の声を無視して、彼は進んだ。ゆくりと。彼の全身黒尽くめ姿は、正体不明の異様さによる言い知れぬ圧を二人に与えていた。小太りの方が怯むのが分かった。既に顔を蹴られているから、怖じ気付いているのかもしれない。格闘技ジムで鍛えている彼の蹴りは素人には充分過ぎる程の威力がある。
その表情の変化に反応して、彼は突然ハイスピードの一足飛びで近付いて、ストレートを小太りに放った。夕闇で見え難い所為もあったかもしれない。その急襲の拳は、もろに顔面に入った。
“たたでは絶対に逃がさない。狼藉にはそれ相応の代償があるのだと、体に叩き込んで教えてやる!”
「あぐう」と変な声を出して小太りは顔を押さえた。鼻血が出ている。充分なダメージを与えたようだ。
が、素人が相手だと彼は油断してしまっていた。小太りが殴られたのを見て、痩せの方が彼に掴みかかって来たのだ。その程度なら問題にはならないが、同時に痩せは「おい! 今だ! お前もやれ!」と叫んだのだ。小太りは痛みを堪えて頷き、突っ込んで来た。タックル。転んでしまう。
小太りが彼の腰の辺りに抱き付き、痩せは上半身を押さえようとする。このままでは身動きできなくなってしまう。二人がかりで組み付かれた場合の対処方法は、まだ彼は学んではいなかった。がしかし、それでも慌てない。こういう事態を想定して、彼は警棒を仕舞い、両手を自由にしておいたのだ。
彼は素早くポケットに手を入れると、注射器を取り出して痩せの腕に刺した。
「いてぇ!」
悲鳴を上げ、痩せは飛び退いた。それで腰に抱き付ている小太りの顔が露わになると、彼は平手で目玉の辺りを叩いた。目つぶし。平手だから目玉をえぐりはしないが、それでも動きは封じられる。
「うわぁ!」
強い痛みを感じたのだろう。声を上げると、目を背けるような動作で小太りは腰から手を放した。それと同時に彼は小太りの顔に蹴りを入れて引き剥がす。小太りは後ろに転がっていった。
「なんだ? 腕がだるいぞ?」
彼が立ち上がると、痩せは自分の体の異変に気が付いたようだった。
「まさか、毒を注射したのか?」
痩せが慄きながら言った。本当はただの麻酔薬だが、彼は何も返さなかった。そしてその代わり近付いていく。ズンズンと。
痩せの頭はパニックになっているようだった。
打撃ではまず敵わない。組み付けば、毒を注射される。
逃げようとした。
が、彼は“逃がすものか”と、それを追いかけた。そして痩せの後ろ髪をむんずと掴むと足をかけて倒し、馬乗りになって殴り始めた。何発か殴ったところで、背後から小太りが近付いて来る気配を感じたようだ。仕方がないと拳を止めて立ち上がる。痩せは完全に戦意を喪失していた。
「ヒッ!」
小太りは立ち上がった彼に見据えられて軽く悲鳴を上げた。
竦んでいる。
小太りは先ほどの目つぶしで、目から涙を流していた。鼻血も出ている。二度顔を蹴られている所為で腫れてもいた。
痩せの方は片腕を麻痺させられている上に、顔を殴られて鼻血を垂らしている。
一番最初に倒した男は、ようやく目を覚まして今は立ち上がっていたが、ダメージはかなり残っているらしくフラフラしていた。戦意はなさそうだ。
“充分に痛めつけたか……”
彼はそう判断すると、女達二人を一瞥した。彼に怯えた視線を向けている。
“もう彼女達に乱暴しようとはしないだろう”
そう心の中で呟くと、彼は中庭の茂みに向けて遁走した。例え女性二人を助ける行為であったとしても、間違いなくこれは犯罪なのだ。捕まる訳にはいかない。
「――なかなか慣れているじゃないか。驚いたよ」
檜倉学が稲塚薫に向かってそう言った。工学研究科の専攻教室。先ほどまで上空を飛んでいたドローンが机の上にあり、檜倉は点検をしているようだった。
「ま、今まで色々あったからな」
と、稲塚は返す。それに檜倉は「あぶないやつ」と言って「キヒヒ」と笑った。
「真っ当に生きていたら、普通は一度も経験しないだろう。こんな特殊な暴力沙汰」
稲塚は「うるさいよ」とそれに応える。彼の言う通りだから何も言い返せない。
「しかしお前のお陰で助かっているよ。まさか協力してくれるとは思わなかった」
檜倉学は研究途中のドローンで、稲塚の“ヤリサリアン退治”をサポートしてくれているのだ。索敵及びに周囲の監視と安全の確認。ヤリサリアン達が、何処で女性達を性的に乱暴しようとするのかは不明だ。そこで、ヤリサリアン達の画像データをAIに読み込ませ、そのAIに接続させたドローンに上空を飛行させてキャンパス内を監視し、いち早く犯行を察知させている。ドローンからの報せを受けた稲塚は現場に向かって、ヤリサリアン達を懲らしめる…… という訳だ。
因みに主なヤリサリアン達の犯行場所は大体決まっている。それは天野小夜子に頼んで調べてもらっていた。そのお陰で押さえるべきポイントを把握できているのだ。
「まあ、僕にもメリットがあるからな。貴重な実戦データが取れた」
檜倉がそう言うのを聞くと、稲塚は「でも、リスクだってあるだろう?」と疑問を口にした。
ヤリサリアン達の犯行が認めれても、私的制裁は日本では禁止されている。間違いなく彼の行っている事は犯罪なのだから協力すれば罪になる。それを聞くと檜倉は笑った。
「ハハハ。リスク? 冗談じゃない」
「いや、でも……」
「もし見つかったら、お前が勝手にドローンを盗んだって言うよ。“操作方法を教えろって言うから変だと思ったんですよ”とでもしれっと言ってさ」
その返答に稲塚は笑った。
どこまで本気かは分からない。お互いに利用しているだけかもしれないが、彼の協力はそれでも有難かったし嬉しかった。
彼が用意した武器は、伸縮性の警棒と麻酔薬入りの注射だけだった。大袈裟な武器にすると、銃刀法違反になってしまうかもしれないし見つけられ易くなる。逃げるのにも不向きだ。つまり、服に隠しておける程度という条件が必要だったのだ。
それに、相手を殺傷するのが目的ではないし、もし殺すか大怪我をさせてしまったら、大事になる。彼自身も無事では済まない。警察に捕まる。
幸い彼は格闘技を習い続けているので、酒に酔っている相手に不意打ちをしかければ複数人が相手でも勝てる自信はあった。
それにより、普段は素手、ケースバイケースで隠し武器を用いるというスタイルが採用されたのだ。
麻酔薬入りの注射は、紺野に頼んで安全な入手ルートを紹介してもらっていた。値はそれなりにするが、彼の格闘技のテクニックと合わせれば強力な武器となるので、奮発してやや多めに手に入れていた。
ヤリサリアンどもを退治する間くらいは在庫はもちそうだった。
「本当にやるとは思わなかったわ……」
初めてのヤリサリアンを退治した次の日、天野小夜子に彼はそう話しかけられた。既に大学内で彼の暴行は噂になっていたのだ。
「そりゃね。白鳥さんが被害を受ける前に、奴らを全員、畳まなくちゃいけないから」
機嫌良く返す彼に天野は軽く溜息を漏らした。
「調子に乗らない方が良いわよ。連中だって対抗手段を用意するだろうし」
複雑そうな顔で彼女はそう忠告をして来た。
「分かっているよ」
と、彼は返す。
「だから、こっちも準備をしている。色々とね」
“バレたらまずいのは、あいつらの方だ。そこを突けば、なんとかなる”
彼はヤリサリアン達を崩壊させる計画を既に練り上げていた。




