14.大学時代が一番危うい
みょんちゃんは自室で動画用の音声を収録していた。
目の前にはマイクがあり、そこに向けて喋っている。後で画は合わせる。今回は準備不足で素材がまだ集まり切っていない。だから頭の中のイメージで補強していた。
“本当に危なかった…… 後少しでチャンネルが潰れるところだった”
喋りながら心の中でそう呟いた。火田にはチャンネルを乗っ取られた恨みがあるが、それでも今回は彼のお陰で助かった。
田子多という体型がみょんちゃんに似ている全体的に丸っこいよく肥った男。彼が「集まった格闘技をやっている男達をネタにして動画を作れ」と指示を出して来たのだ。つまりはブラックフェイスの正体候補の男達を題材にしろというのだ。彼はどうやらそれで更に詳細に情報を視聴者達から集め、ブラックフェイスを見つけようと考えているようだった。火田から「効率良く情報を集めろ」と指示を出されたらしく、それで彼が考え出した手段が“動画で公開して、情報を集める”だったのだ。
もちろん、そんな事をすれば個人情報を流したと炎上するのは確実で、何かしらの法にも触れているだろう。ほぼ確実にチャンネルは潰れてしまう。
しかし、説得しようとしても田子多は納得してくれず、とにかく理屈が通じない。世の中にはこんな男もいるのかと、みょんちゃんは大いに困っていたのだが、そこに火田がやって来て彼を説得してくれたのだ。
……説得と言うか、叱りつけた感じだったのであるが。
田子多は火田に一発頭を引っ叩かれるとあっさりと意見を翻した。この男は火田が手綱を握っていなければいけないのだと、それでみょんちゃんは強く思った。
そしてそれから彼は火田に今回の自分が用意して来たネタについて説明し、了承してもらえたのだった。かなり理不尽な理屈で彼の下に就く事になったが、それでも認められるのは嬉しかった。ブラック企業が中々なくならない原因の一つには、案外、こういった人間の心理があるのかもしれない。
――彼は調べていた。
ブラックフェイスの名前が初めて出て来た“ストーカー退治事件”。実はそのストーカーが通っていた大学では、それより前から“黒いヘルメットを被った変人”が噂になっていたそうなのである。
『今は存在していないかもしれません。ですが、当時のその大学にはいわゆる“ヤリサー”があり、かなり強引な手段で女の子を誘っていました。性的暴行の犠牲になっていた女の子達もいたそうです。ブラックフェイスは、そのヤリサーを粛清していた可能性があるのです。
ヤリサーのメンバーは、明るみになったらまずい事になるので、それを公にはできず、結果としてブラックフェイスの存在も隠匿されてしまったものと思われます……』
「うあー。やっぱり、そこを突っつかれたか……」
と、稲塚薫は自室で独り言を漏らした。
休日だった。
みょんチャンネルに新動画がアップされたので彼はチェックしていたのだ。パソコン画面の前で額に手を当てる。
格闘技ジム関連の情報は集まってはいるが、検証中だと言っていた。つまりは確証が持てないでいるのだ。下手に個人情報をさらせばチャンネル自体が潰れるだろうから、慎重にならざるを得ないのだろう。ひとまずはこっちは安心かもしれない。
が、大学時代の事件を調べられる点についてはかなりの不安が彼にはあった。大学時代、彼はブラックフェイスとしてかなり大胆に活動していたのだ。その始まりは、みょんちゃんが予想した通り、ヤリサーが原因だった。白鳥愛がヤリサーの男達からターゲットにされてしまったのである。
「……しかし、あんた、まさか大学まで追いかけて来るとはね」
と、天野小夜子が呆れた顔で稲塚に向けて言った。初めて同じ講義で会った時の事だ。もちろん、それは“白鳥を追いかけて大学にまで入学した”という意味だ。
「いや、誤解だよ、誤解」
そう稲塚は返したが、少なくとも半分くらいは正しかった。彼には別に進みたいと思っている大学などなく、彼の成績で入れそうで、かつ通える距離にある大学のうちの何処にしようかと悩んでいたところで彼は白鳥愛の進学先を知ったのだ。そして、“どうせなら白鳥さんがいた方が楽しい”と考えて、彼はその大学を選んだのである。
「……でも、それを言ったら天野さんだって同じ大学じゃんか」
誤魔化す為に彼がそう言ってみると、彼女は「私は完全に偶然よ」ときっぱりと言い切った。“まぁ、そうかのかもしれない”と彼は思う。彼女に白鳥と同じ大学に進む動機があるとは思えない。白鳥は彼女と同じ大学に通える事になって喜んでいたから、その選択には感謝したいが。
因みに、高校時代、工学研究部だった檜倉学もこの大学に進んでいる。工学研究科があるからだろうが、それでも稲塚にはそれが意外だった。動機を訊いてみると、「この大学、ドローン研究に前向きでさ、実験にも寛容なんだよ」との事だった。聞いたところによると、許されている時間帯や場所以外でドローンの実験していても咎められないらしい。警察もそこまで厳しく監視してはいないのだろう。恐らく何か事故が起こって、誰かが怪我をするまでその体制は変わらない。
高校時代の途中から、檜倉はドローンの研究にのめり込んでいる。あまり自由に飛ばせなくてはがゆい想いをしていたようだからこの大学を選んだに違いない。ただ、
「……それにお前が実験に協力してくれるかもしれないからな」
その時彼はそんな謎の発言もしていた。真っ当な友人が少ない彼は、協力者を得るのにも苦労するから言ったのだと稲塚は勝手に思っていたのだが、或いは彼はその後の展開を予想していた可能性もある。情報収集には余念のない男だし、アングラ関係にも詳しいから。
驚いた事に、喧嘩仲間の上原拓海も一応はこの大学を受験したのだそうだ。落ちてしまったようだが、どうやらまだ白鳥愛を諦めていなかったらしい。高校時代の途中から、彼は稲塚が通っている格闘技ジムに顔を出すようになっていたのだが、稲塚が「白鳥さんと同じ大学に通うことになったよ」と言うと、大いに羨ましがっていた。
「――で、あんたはまだ白鳥のナイト様気取りでいるの?」
講義が終わって席を立とうとすると、天野がそう話しかけて来た。気が付かなかっただけで白鳥が同じ講義を受けていたのではないかと稲塚は辺りを探していたのだが、それを敏感に察知されたのかもしれない。
「いやいや」と、それに彼は返した。
格闘技ジムには相変わらず通っているが、ある程度は人間関係ができていて辞めにくくなっているというだけで深い理由はなかった。
「そんなつもりはないよ。彼女だってもう悪い男には引っかからないだろうし。充分に懲りたと思うから」
それを聞くと彼女は「そう? あいつ、大学の男の先輩達から声をかけられていたみたいだけど?」とそう続ける。しかし彼は特に気にしなかった。
「ああ、知ってるよ。彼女、モテるからね」
あっさりとそう返す。すると彼女は顔を軽く歪めた。
「モテる? 違うわよ。“チョロい”って思われているだけ。この大学、ヤリサーがあるみたいだから、きっとそこの男達ね」
「いや、でも、彼女、サークルには入らないでバイトに集中するって言っていたじゃない。きっと平気だと思うよ」
彼女の家もそこまで余裕がある訳ではない。少しでも親の負担を減らしたいのだそうだ。彼の家と事情は似ているかもしれない。彼もアルバイトを多く入れる予定でいた。
「はぁぁぁぁぁぁ」
ところが彼の言葉を受けると、天野は大きくわざとらしい溜息をついたのだった。
「あんたは、あいつのチョロさ加減をまったく分かっていない。例え懲りていたとしても、どうせまた引っかかるわよ」
そして、そう続ける。
何を根拠に彼女がそう断言するのか彼には理解ができなかった。だから、その時はそれは杞憂だと、彼は思っていたのだ。




