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12.怪人“刺激に飢えた大入道”退治

 仕事が終わり、自室のパソコンで、過去の事件を検索しながら、稲塚薫は規格外の巨体を持つ首藤と対峙した高校生の頃を思い出していた。

 “考えてみれば、あの時が初めてだったか。僕が黒のヘルメットを付けたのは”

 彼は首藤が拳で喧嘩相手の顔面を潰したシーンがよっぽど怖かったのかもしれない。軽くトラウマになっていたのだ。それで“何としても顔面だけは守らなくては”と無意識に思っていた。

 胴体を殴られれば同じ様に致命的なダメージを負うという発想は何故かなかった。浅知恵である。しかし、それが結果的には彼を救う事になったのだが。

 

 ――首藤が教師を殴って重傷を負わせ、逃走した。

 きっと白鳥愛と首藤が付き合っていたからだろう。首藤ノブオのそのニュースは、稲塚達の高校にも伝わって来ていた。それを稲塚が知ったのは放課後だったのだが、その時既に白鳥は彼女の教室にいなかった。下校してしまっていたのだ。

 “今、首藤と会うのはまずいのじゃないか?”

 そう考えた彼は即座にスマートフォンで白鳥に事件について報せた。そして、『会わない方が良い』と忠告もした。すると、しばらく経って『分かったわ』という淡白な返事が返って来た。俄かに彼は不安を覚える。

 どうして白鳥は直ぐに下校したのか。彼が伝えるより前に、首藤の事件について知っていた可能性はないか? 彼女は首藤と付き合っているという事になっているのだ。真っ先に誰かが伝えていたとしても不思議ではない。

 だから彼は、天野小夜子を見つけて相談をしてみたのだ。すると、彼女はあっさりとこう応えた。

 「ああ、多分、知っていると思うわよ。十中八九、あいつ、首藤に会いに行ったのよ。深刻そうな顔で放課後のチャイムと同時に教室を出て行ったもん。助けるつもりなのかしらねぇ?」

 それを聞いて、稲塚の顔は青ざめた。

 もし天野の予想通りで、既に首藤と白鳥が会っているのなら危険かもしれない。自分を助けに来てくれた彼女に、首藤は今まで以上の好意を覚えるだろう。それには性欲だって伴っているはずだ。異性に対する好意を真っ当には示せないだろう首藤が、彼女に対して何をしようとするのか……

 顔面を潰され、鼻血が噴き出した男の顔が脳裏に蘇る。そして、その顔が白鳥の顔に重なった。

 「どうしよう? 彼女が危ない」

 思わず彼はそう訴えていた。彼は今にも泣きだしそうな表情になっていた。それを見て天野は溜息を漏らす。

 「そんなに心配なの? なら、なんとかしましょうか?」

 と、彼女は言った。

 「できるの?」

 「まぁね。あいつ、単純だから、多分、あっさりと引っかかるわよ」

 その彼女の言葉の意味が、彼にはよく分からなかった。そして彼が応えるより前に、彼女はスマートフォンに向かって何かを打ち込み始めたのだった。

 

 ――これは、天野が白鳥から聞いた話を彼が解釈したものだ。

 

 白鳥愛は首藤と一緒に街を歩いていた。目指しているのは、違法民泊を営んでいるというアパートである。

 彼が警察に追われていると知って、彼女は即座にスマートフォンで連絡を取り、合流をした。なんとか、彼を警察から匿う為に。

 がしかし、彼女はどうすれば良いのかまるで分からなかった。人を隠すのなら、人の多い場所が良いらしい。山や海などといった人口が少ない場所に人がいると目立ってしまうからである。田舎では余所者がいると直ぐに知られてしまう。

 が、首藤は人のいる場所では駄目だ。巨体の上に異様な風体をしているので、人込みでも目立ってしまう。

 それで困っていると、天野から連絡が入った。天野は白鳥が首藤を匿う為に行動していると分かっていた。そして、どうも協力をしてくれるつもりでいるらしかった。

 『地図を送ったわ。この場所に違法民泊を営んでいるアパートがある。そこでなら身を隠せるはずよ』

 そのようなメッセージと共にマップへのURLが載っていた。彼女は天野に感謝し、その場所へと向かった。

 街を歩くと、物珍しそうな視線を向けられはしたものの、警察がやって来る気配はなかった。そして、目的地に近付けば近付くほど、人の気配は減っていった。どうも寂れた地域らしい。これなら彼でも安心かもしれない。

 後少しで、目的のアパートに辿り着こうかというところで、彼女は首藤に話しかけた。

 「もうちょっと行くと、目的地のアパートです。そこでなら見つからないはず。わたしは一度帰りますけど、後でご飯を持って絶対に戻って来るので心配しないでください」

 それを聞くなり、首藤は彼女の腕を掴んだ。その腕は軽く震えていた。彼女は彼が怯えていると思ったらしい。が、恐らくは違う。彼は彼女に対する強い好意、または性愛の感情を抑えきれずにいたのだ。自分にこれほどまでに優しく接してくれる女性に、恐らく彼は生涯で初めて出会った。彼が彼女に特別な感情を抱かないはずがない。

 ――彼女の好意に返したい。

 ――でも、何をすれば良い?

 ――分からない。

 そして、彼が唯一知っているコミュニケーション方法は痛みを与え合う事だけだった。

 ――だから。

 「大丈夫です。きっとなんとかなりますから」

 白鳥は首藤の腕を握り返した。もちろん、彼を安心させてあげようとしたのである。だがそれは却って彼の状態をおかしくしてしまった。

 もう一つの手でも、首藤は彼女の腕を掴んだ。つまりは両手で彼女の腕を掴んだのだ。彼女の方がかなり背が低いので前屈みになる。彼にとってみれば信じられないくらいに華奢な腕だろう。少し力を入れれば、簡単に折れてしまいそう……

 首藤は両手に力を入れた。彼女の腕が軋む。彼女はそれに驚き、「痛いわ、首藤君」と訴えた。「痛いのか?」と、彼は尋ねる。気のせいか、少し笑っているように思えた。

 その時、彼が何を考えているのか、彼女には分からなかった。しかし恐らく、彼女が“痛がっている”事に対して異様な興味を抱いていたのだろう。

 つまり、

 “応えてくれている”

 と、思っていた。

 更に力を込めた。

 白鳥は俄かに恐怖を覚える。

 その時だった。

 

 「すどぉぉぉ!」

 

 首藤が白鳥の腕を両手で掴んでいる。

 その光景を見た瞬間、稲塚は条件反射のように駆け出していた。恐怖の怪人、“刺激に飢えた大入道”がそこにいるという意識はほとんど消えていた。ただただ白鳥を護りたかった。

 彼は黒のフルフェイスのヘルメットを被っていた。だから、叫び声は外には響いていなかったかもしれない。良くフィットする軽量のヘルメットで、動きには支障がなかった。彼は目の前にまで来ると思い切りジャンプをし、そして白鳥の腕を両手で掴んで折ろうとしている(彼にはそのようにしか思えなかった)首藤の顔面に向かってドロップキックを喰らわせた。

 化け物じみた耐久力の首藤でも、全体重を乗せた不意打ちの蹴りを顔面に喰らえば流石にダメージになる。思わず手を放し、後ろによろめいた。そこに向かって稲塚は更に蹴りの追撃をした。少しでも白鳥と首藤を引き離したかったのである。それで流石の首藤でも後ろに転んだ。起き上がろうとする顔面に向けて蹴りを入れる。だが、それには首藤は耐えてしまう。そして、太い腕で稲塚の足を掴むと片手で投げてしまった。

 「ちょっと、あなた何をしているの?!」

 それを見て白鳥は彼を止めようとした。ところが突然そこに天野が現れたのだ。天野は彼女の肩を掴んでいた。そして、「逃げるわよ」と彼女に言う。

 「え? 天野さん? 逃げるって?」

 「あいつはあんたが思っているような奴じゃないのよ。今はあんたに執着しているみたいだからあんたが危ない」

 そう言うと、彼女は白鳥の腕を掴んで首藤達とは反対方向に走り始めた。白鳥は戸惑っているようだったが、首藤が不気味な行動を見せたばかりだったからだろう。大人しくそれに従って一緒に逃げた。

 白鳥が逃げるのを見て、首藤は彼女を追いかけようとしているようだった。彼女と傷つけ合いたいと思っているのかもしれない。だがもちろん稲塚がそれをさせるはずがない。彼は首藤の足に思い切りローキックを喰らわせた。ダメージにはならなくても、足止めができれば良い。しかし、首藤はほとんど反応を見せなかった。構わずに走ろうとする。

 筋肉増強剤で強化された筋肉で放ったローキックである。痛みに鈍感であったとしても何かは感じるはずだ。明らかに異常。

 「クソッ!」と、彼は首藤の腕を掴もうとした。“打撃は効かなくても関節技なら”と考えたのである。

 だが、そこで首藤は振り返った。

 稲塚は恐怖で固まる。

 首藤は薄っすらと笑っているように思えた。この状況で、どうしてそんな笑みを浮かべるのかまるで分からなかった。思考が理解できない。

 “お前も俺に痛みを与えてくれるのか?”

 まるでそう言っているようだった。或いは、白鳥に対して覚えた性欲が、そのように歪曲した形で発露しているのかもしれなかった。

 裏拳。

 それは振り払うかのような裏拳だった。稲塚の肩にヒットし、それで彼は簡単に吹き飛ばされてしまう。なんとか転ばずにその場でバランスを取ると、彼は白鳥の方を向いた。首藤が白鳥を追いかけると思ったからだ。だが、首藤は白鳥を追いかけてはいなかった。直ぐ目の前にいる。

 ――相変わらずに、首藤は笑っていた。

 そして、大きく振りかぶった拳を稲塚の顔面に打ち下ろすように叩き込んだ。ヘルメットを被っていても関係なしに顔面を狙って来たのだ。ヘルメットが大きく回転をし、中途半端な位置で止まった。

 ヘルメットの回転で威力が吸収されたお陰でほとんどダメージにはなっていないが、視界が半分くらいになってしまった。

 “まずい”と、彼は思った。胴体に攻撃をいれられれば終わりだ。焦った彼は、手探りで視界の外にある首藤の腕を掴む。そして練習していた飛び関節を極めようと、跳ねて彼の腕に足を絡めた。急所を守りつつ攻められると判断したのだ。が、首藤の身体が頑健で力が強すぎるのか、それとも彼の技が未熟なのか、極まり切らない。咄嗟に彼はポケットの中に忍ばせていた注射器を素早く取り出して首藤の腕に刺した。

 「うお!」と流石に首藤は悲鳴を上げた。あまり痛そうな悲鳴ではなかったが。

 麻酔薬を注入した。

 これで首藤の動きは鈍るはずだった。その次の瞬間、

 ガンッ

 と、音がした。首藤がもう片方の腕で彼を殴ったのだ。あまり力が入っておらず、ヘルメットの上からだったのでなんとか彼は首藤の腕を放さずにいられた。しかし、それからゆっくりと首藤は腕を上げた。腕に組みついたままの彼の身体が浮かんだ。

 “マジか?”

 それから首藤は大きく身体を回転させた。そして、腕に捕まったままの彼を近くのブロック塀に叩きつける。身体を突き抜けるかのような激しい衝撃を彼は感じた。辛うじて腕は放さなかったが、首藤はもう一度、同じ動作をしようとしていた。

 “ダメか?”

 その攻撃を何度も堪え切れる自信は彼にはなかった。が、その次の瞬間だった。首藤の腕から急速に力が抜け、だらりと垂れ下がったのだ。

 “力が…… 抜けた?”

 瞬間、察した。麻酔薬が効き始めたのだ。彼の身体の動きは異様なほどに鈍っていた。

 “これならいけるかもしれない!”

 稲塚は自然と何度も練習していた飛び関節の動きを再び取っていた。首藤の腕に足を回し直して極め、そして思い切り力を入れる。

 悲鳴は聞こえなかった。

 しかし、腕は確実に折れていた。

 元から痛みに鈍感な上、麻酔で麻痺している。首藤が痛みを感じているとは思えなかった。だが、それでも首藤は“信じられない”といった悲壮な表情で、自分の折れた腕を眺めていた。

 効いている。

 痛みではないかもしれないが、感情に衝撃を与えている。

 稲塚はそう判断した。

 「分かるか? それがお前が彼女にしようとしていた事だ」

 そして、咄嗟に彼はそう言っていた。無我夢中で折ってしまっただけで、首藤に反省を促すつもりなどなかったのだが。

 首藤は折れた腕を眺めて呆然としていた。ただ、それが罪の意識に因るものなのか、単に麻酔薬の効果なのかは分からなかった。

 首藤が動かなくなったのを受けて、もう大丈夫だと判断した稲塚はその場から逃げ出した。白鳥も既に遠くに逃げている。天野が警察を呼んでいる。もう直ぐにここにやって来るはずだ。自分も離れなくては。

・本編とはまったく関係のないオマケ

挿絵(By みてみん)

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