11.戦闘力を身に付ける
「“武器”ねぇ」
と、檜倉学は面倒くさそうに言った。工学研究部の部室。彼はいつも通りにパソコン画面に向けて何かのコードを熱心に打ち続けている。稲塚は軽く頷く。
「そう。あまり目立たなくて、強力なやつがいい。もし警察に見つかっても咎められないような」
「あるかよ、そんなの」
「ないのか? 超強力小型スタンガンとか」
「ない。もしあったとしても、そんなのを提供したら僕まで捕まる」
「前は協力してくれたじゃないか」
「暗視ゴーグルは違法じゃないよ。鍵を開ける装置は、“手品の道具”とでも言えばお咎めなしだ。お前が何をやるか知らなかったと言い張ればリスクはない」
その言葉に稲塚は少々落胆した。やっぱりリスクを背負ってまで協力してくれるような奴ではなかったらしい。
「頼むよ。このままじゃ、彼女がどうなるか分からない」
それを聞いて、檜倉は「リスクだけあって、僕には何のメリットもない」と返す。
「金は払うよ」
「金だけじゃ嫌だね」
「首藤はかなりの化け物だよ。痛みに鈍感で巨体でハイパワー。興味があるのじゃないか? それに武器の実験もできる」
「僕の分野じゃないね……」
と、彼は淡白に返した。だが、一呼吸の間の後に、
「いや、でも、僕じゃなければいるか……」
などと続けたのだった。
「は? そんな奴、この学校にいたっけ?」
稲塚には檜倉以外に“この手の事”を頼めそうな技術者は思い浮かばなかったのだ。
「この学校の人間じゃないよ。しかも機械工学系でもない。蛇の道は蛇って言うが、僕は多少はアングラ系の人達とも付き合いがあってね、それで知り合った一人だ」
「ほー」と稲塚は身を乗り出す。
「その人を教えてくれよ。頼めそうなんだろ?」
「多分ね。だが、何があっても知らないぞ。後で文句を言うなよ」
それを聞いて稲塚は固まった。
「やばい人なのか?」
「やばいっちゃやばいね。何しろ、常に人体実験の被験者を探しているような人だ。もちろん、違法だよ。だから警戒される可能性もあるが、今回は、まあ、お前の依頼自体が違法だから多分平気だ」
その説明に多少とも稲塚は不安を覚えた。だが、首藤ノブオの化け物っぷりを思い出して決心を固める。
「オーケー。分かった。紹介してくれ。白鳥さんを護れるのなら、人体実験の被験者にでもなんでもなってやる」
その言葉に檜倉は肩を竦めた。
「まともな奴だって前は思っていたんだけどな、お前って中々にイカレてたんだな」
そして、それからアングラ系の技術者だという紺野秀明という人物を彼は紹介してくれたのだった。
紺野秀明がいるという場所は、稲塚の自宅からは二駅ほど離れた地域にあって大きなマンションの一室だった。ただ、そこが自宅なのか職場なのかそれ以外の何かなのかはまるで分からなかった。部屋の中は簡素だったが、余計な調度の類を置かないタイプなのだと言われれば納得できそうなくらいには調度品があった。
「面白い話ですね」
と、稲塚の説明を聞き終えた紺野は言った。
紺野秀明は狐のような印象がある男で、やや背が高い痩せ型の体型をしていた。相手に警戒心を抱かせない独特の雰囲気があり、それが生来のものなのか技術的なものなのかは分からなかったが、とにかく人体実験をやるような人物には思えなかった。それが稲塚に不気味な感覚を味あわせる。
もっとも、前もって檜倉から情報を聞いていなければ、彼はそんな風には感じていなかっただろうが。
「鈍感で怪力。そして、まるで相手も自分も傷つけようとしているかのような行動を見せる……」
紺野は少し考え、こう続けた。
「私はその話を聞いて、“退屈に耐える実験”思い出しましたよ。
自分に電気ショックを与える装置以外何もない実験室に人を一人でいさせます。すると、その人はしばらく経つと自らに電気ショックを与えてしまうのだそうですよ。つまり、人間にとって退屈はそれだけ耐え難いものなのですね。退屈のままでいるくらいなら、苦痛を味わう方が良い。
もし、その首藤ノブオなる人物が、非常に鈍感で何に対してもあまり感じないというのであれば、或いは、それに近い状態にあるのかもしれません」
「だから、誰かを傷つけようとするっていうのですか?」
「飽くまで仮説ですがね。無感覚の中で唯一その彼が微かに感じるのが“痛み”なのかもしれません。だから痛みを相手が感じている事に興味を覚え、自身もその痛みを感じようとする……
まったくの想像に過ぎませんが、その彼は傷つけ合う事で、他人とコミュニケーションを取ろうとしているのかもしれませんよ」
稲塚はそれを聞いて唾をゴクリと飲み込んだ。
もし本当にそうなら、いずれ首藤ノブオは白鳥を傷つけようとするかもしれないと想像してしまったのだ。そしてそうなったら、彼はあの化け物と闘わざるを得なくなる。
「あの……、それで何か対抗できる手段が欲しいのですが」
武器か何か…… と言いかけて彼は言葉をつぐんだ。紺野秀明の専門は生理学で、医学分野にも明るいらしいが、武器の類に詳しい訳ではない。一体、何ができるのだろう? と彼は不安を覚える。
「ええ、」と、しかし紺野はそれを聞くと顔を明るくして返すのだった。そして、紙袋を取り出して彼に差し出す。中を覗いてみると、かなりの量の錠剤が入っていた。
「あなたからのメールは読ませてもらって私なりに考え、用意をさせてもらいました」
「これは?」
「筋肉増強剤です。少しのトレーニングで急速に筋肉が付きます。ただし、健康を害するリスクがある点は承知してください。一日に三錠を心掛けて」
言われなくても飲み過ぎるつもりはなかった。「分かりました」と答えると紺野は頷いてから続けた。
「お代はいりません。ただ、その代わり、三日に一度は検査をさせてもらいます」
檜倉から聞いていた話通りだ。この人は人体実験がしたいのだ。秘密裏に依頼するという事は違法なのだろう。
「それと、少しだけオマケです」
そう言って、それから紺野は四角い箱を彼に渡して来た。
「麻酔薬を打ち込む注射器です。私も使った事はないのですがね、事情を知って取り寄せてみました。簡単に注入できるよう工夫されているそうなので、もしその首藤ノブオという人に掴まれたら使ってみると良いでしょう」
それに稲塚は驚いた顔を見せる。
「ありがとうございます」
反射的に礼を言う。
首藤ノブオは怪力だ。もし掴まれたらそれだけで終わりかねない。それは大いに助かるオマケだった。
「いえいえ。これも使ったら、どれくらいの効果があったか教えて欲しかったんですよ。因みにこのサイトにアクセスして、そこから依頼した体にしてください。メール送信フォームがありますので」
そう言って、彼はメモを手渡して来た。
「え?」
「偽装用ですよ。もし、警察にあなたが注射器を使ったとバレたら、そこで購入した事にするのです。それで私にまでは累が及びません」
その説明で稲塚は“この人はアンダーグラウンド側の人間なのだな”と実感した。色々とノウハウを持っている。ただし、自分もそのアンダーグラウンドの領域に踏み込んでいる事には気が付いていなかったが。
「……君、凄いな。筋力がかなりアップしているぞ」
コーチが目を丸くしている。
稲塚は首藤ノブオの喧嘩を見た次の日には、既に格闘技ジムに通い始めていたのだが、そのジムのコーチにそのように驚かれてしまったのだ。紺野から貰った錠剤を飲み始めて数日後の事である。
“そんなに効果があるものなのか……”
と、彼は驚いた。
自分ではあまり分からなかったのだ。
彼はそのジムで主に打撃技への対処と関節技を教えてもらっていたのだが、それはその最中での事だった。どうやら彼の引っ張る腕の力がかなり強かったらしい。そのテクニックは“学校の近所に怖い男が出るので護身術として格闘技を身に付けたい”という彼の動機(一応、嘘ではない)に合わせ、コーチが勧めてくれたものだった。首藤のような化け物と真正面から殴り合いたくはないので、彼は素直にその意見に従った。
こう掴まれたらこう動いて、こう対処する…… 関節技のかけ方から外し方まで様々にコーチは丁寧に教えてくれていて、彼はそれには感謝していたのだが、多少の物足りなさを感じてもいた。
“あいつに通じるかなぁ?”
首藤ノブオは規格外の化け物だ。“人間相手のテクニック”が果たして通用するだろうかと不安に思っていたのである。
それで、
「あの…… できれば両手両足を使って相手の腕を極めるような技を教えて欲しいのですが」
と、頼んでみた。
首藤ノブオのあの太い腕に関節技を極めるのなら、全身の筋肉が必要だと判断したのだ。
すると、コーチは「それって実戦で? 倒せないくらい強い相手?」と訊いて来た。
「はい」
そう返すと、「そりゃ難しいな」とコーチは言った。
「一応、飛び関節って技はあるけどね、かなりの上級者向けで初心者には難しいよ。相手があまり動かないってのなら可能性はあるかもだけど」
少し考えると、「それでもお願いします」と稲塚は教えてもらう事にした。それは相手の腕を掴んだ状態で飛んで足で相手の腕を挟み、そのまま関節技を極める豪快な技だった。確かに実戦では難しそうだったが、もしできれば首藤にも効果はありそうに彼には思えた。
それからしばらくが経過した。
天野からの情報によると、白鳥愛と首藤ノブオの付き合い(それが“男女の交際”と言えるのかどうかは不明だが)は続いているようで、そして、今のところは“清い交際”を続けているらしかった。つまり、白鳥は無事なのだ。それは首藤ノブオに性欲はあるがそれをどう発散すれば良いのかが分からないからではないか、と彼は考えていた。
首藤の喧嘩を一度見ただけだが、それでもあの男に真っ当な女性との付き合いができるとは彼には思えなかったのだ。白鳥が果たしてどのように首藤と一緒にいるのかも想像できなかった。共通の会話もなさそうだし、遊びも趣味も絶対に合わないだろう。ただ、天野の言葉を信じるのなら、白鳥は「彼、意外に可愛いところがあるのよ」と嬉しそうに語っていたそうだから、上手くいっているのかもしれない。
“もしかしたら、単なる杞憂で、あの二人は正常な男女の愛を育んでいくのだろうか?”
そのように考えもしたが、首藤を思い浮かべるとどうしても彼は想像してしまうのだった。どのように自分の性欲を吐き出せば良いのか分からなくなったあの男が、美しくて可愛いまるで天使のような彼女の顔を、あの大きな拳で潰してしまうシーンを。
“絶対に、そんな事にはさせない!”
強く強くそう思い、稲塚は身体を鍛えていった。首藤が彼女に手を出す前に、対抗できるだけの力を身に付ける必要があったからだ。
そして、そんなある日、事件が起こった。
――聞いた話だ。
首藤は高校の職員室で、教師から叱られていたらしい。それはいつもの光景で、恐らくは首藤はまた喧嘩でもしたのだろうくらいに他の教師達は思っていたようだった。
が、それからいつもとは違う事が起こった。
首藤の顔は、いつもと同じだった。退屈そうに教師の説教を聞いている。ところが、そこで不意に彼の腕が動いた。表情の変化を伴わなかったから、教師は彼が何をしようとしているのか気が付けなかったと後に証言している。
首藤は何を思ったのか、無言のまま、教師の顔面をその大きな拳で打ち抜いたのだ。教師は大きく倒れ、そして鼻血をまるで噴水のように噴き出した。
悲鳴が聞こえ、「救急車を呼べ」という声が聞こえた。そして、その混乱の中、首藤は巨体を振るわせてその場を逃げ出してしまったのだという。
ただその時も、彼の表情は退屈そうだったらしいのだが。




