10.首藤ノブオという男
放課後。
首藤ノブオが校門の前に突っ立ていた。
普通なら、“誰かを待っている”と考えるだろう。しかし、彼の場合はそんな印象を周囲に抱かせなかった。本当にただただ“突っ立っている”ようにしか見えなかったのだ。
図体がでかい上に、おにぎりのような形の頭の異相で傷だらけだったから、首藤は大いに目立った。そして、そんな彼に可憐な白鳥愛が近付いて行って嬉しそうに「会いに来てくれたんですか?」と話しかけた。話題にならないはずがなかった。
一体、何があったのか? と。
そのまま彼らは商店街の方に向っていった。恐らくはデートである。
美女と野獣……、ならぬ美女と海坊主。
次の日には、既に学校で噂が広まっていた。
「――ほら、やっぱりろくでもないのに引っかかったじゃない」
と、朝のHR前、“白鳥愛と海坊主”の噂話をBGMに、教室で天野小夜子が稲塚薫に話しかけて来た。状況からいって直ぐに白鳥の事だと察した彼は、「いやいや」と返す。
「見た目だけで判断するのはダメだって。実は真面目で誠実な奴かもしれないじゃないか」
ところが、その会話を横で聞いていたのだろう。近くにいた男子生徒が即座にそれを「いいや、あいつはまずいよ」と、否定して来たのだった。
「あいつ、Z校の生徒なんだけど有名な喧嘩魔でさ、しょっちゅう街の悪い連中と喧嘩しているらしいよ。まるで暇つぶしって感じで。そのうち、捕まるんじゃないのかな?」
この時、まだ稲塚は一度も首藤を見た事はなかった。だからという訳でもなかったのだが、
「でも、それだけで悪い奴って決めつけるのは……」
と擁護をした。
それは“白鳥が選んだ相手なのだから”という願望が入った言葉だった。もっとも同時に“問題有りな男”であって欲しいとも実は彼は本心では思っていたのだが。邪魔をする口実ができるから。
その男子生徒は、稲塚の言葉に首を横に振って返した。
「稲塚は首藤を何も分かってない。まあ、僕も聞いた話なんだけどさ、知り合いに中学生まで一緒だった奴がいて、そいつに拠ると……」
首藤ノブオは、あまり泣かない子供だったらしい。それでも小学校低学年の頃までは、高い所から落ちた際などには泣き出してしまう事もあったそうだが、やがて慣れてしまったのか車に轢かれて骨折した時ですら涙を見せなくなったのだそうだ。
そして、それと同時に奇妙な行動も観られるようになっていく。
例えば、体育の授業でドッチボールがあり、彼の顔面に強くボールがぶつかって酷く鼻血を出した事があったのだが、教師や級友達が騒然となる中、彼は平然としており、逆に周囲の様子を不思議そうに眺めていたというのだ。
彼には、どうして周りがそんなにも騒いでいるのか理解できなかったらしい。
それだけじゃない。
誰かが転んだり指を怪我したりして痛がっていると、その様子を興味深そうに眺めるという事が多々あったらしい。そして彼はその内に自ら誰かを傷つけ、その様子を観察するような行動までし始めた。
喜怒哀楽がないという訳ではない。その証拠に教師などがその行為を叱ると、ちゃんとそれを理解しているようで、悲しそうにしていたそうだ。ただし、体罰には効果がないように思えた。彼はそれをあまり嫌がらないのだ。
彼の母親は、子育てにあまり関心がなかったらしく、彼の問題を放置し続けた。成長すればいずれ治るとでも思っていたようだ。
が、彼の行動はエスカレートしていった。異様なまでに喧嘩が好きになり、血気盛んな男がいるとよく挑発をした。また、喧嘩をしている者達がいた場合でも好んで近付いていった。しかも、彼らは喧嘩をしている者達を容赦なく殴ったのだ。相手が痛がっても構わずに。
殴る。殴る。殴る殴る殴る。
初めは仲裁しようとしているのではないかと思っている者達もいたらしい。だが、恐らくは違う。彼は“喧嘩”という言い訳があれば、誰かを傷つけても、それほど怒られない事を学んでいたのだ。だから好んで喧嘩に巻き込まれていく。
彼は闘いを楽しむアドレナリンジャンキーという訳ではなさそうだった。特に楽しんでいるようには見えなかったからだ。
相手が痛がる様子を興味深そうに眺め、時には羨ましそうにし、そして、自らが痛みを感じる事を求めているようにも思えた。
彼は好んで相手の顔面を殴った。どうしてなのかは分からない。或いは、表情が最も変化するのが顔面だからなのかもしれない。
そして、高校に入学する頃になると、彼は街のやんちゃな連中がいる場所を散策し、毎日のように喧嘩をするようになったのだった。
話を聞き終えた稲塚は思わず息を飲み、無言になってしまっていた。
「……それ、その首藤君、“性欲”は?」
そう彼が尋ねたのは、もちろん白鳥愛の身を案じていたからだった。そんなとんでもない奴ならば、既に彼女は襲われてしまっているかもしれない。
「もちろんあるよ。エロ本には興味津々だったそうだから。ただ、どうなんだろう? 快感はそんなに感じないのじゃないのかな? だからきっと女性を襲ったりしていないのだと思う」
それを聞いて多少は彼は安心をした。だが、それでも白鳥が無事だという確証を得られた訳ではない。好奇心を満足させる為に首藤は彼女を襲うかもしれない。仮に少しも快感を得られなくても。
――性欲はあるのに、発散ができない。
もし本当にそうなら、凄まじく苦しいのかもしれない。しかし、稲塚は一切首藤に同情はしなかった。ただただ白鳥が心配で仕方なかったからだ。
……それで、
放課後、稲塚は街を歩いていた。荒れた路地裏の道。首藤ノブオがよく出没するという場所を聞いて探していたのだ。運が良ければ、彼の喧嘩が観られるかもしれない。
しばらく辺りを歩いていると、近くから喧騒が聞こえて来た。
「――てめぇ! 首藤! 今日こそは許させねぇぞ!」
足早に向かうと、首藤ノブオだろう男が道の真ん中に立っていた。ビックリするくらいの恵体で、全てが規格外に太い。同じ人間とは思えなかった。五人の男子高校生だろう男達に囲まれている。緊迫した場面のはずだが、首藤はつまらなそうにしていた。
恐らく、普段から首藤と喧嘩をしている連中なのだろう。全員、顔に大きな痣がいくつもできていた。首藤も同じ様に傷ついてはいるが、この人数差でその程度なら実質首藤の圧勝である。自分ならとっくにこの男を避けているのに、と稲塚は男達に呆れた。
男達はバットや鉄パイプで武装していた。がしかし、それで頭や急所を殴る度胸があるようには思えなかった。普通は躊躇する。或いは脅しのつもりなのかもしれなかった。
ただ、首藤にはまるで効果はなかったようだった。のっそのっそと一人に向かって近付いていく。怯えているのか、その男は竦んで動けないようだった。
“無理もない”
と、稲塚は思った。
体格差があり過ぎる。象かサイとでも相対しているような気分になるだろう。
「やるのか! こいつで殴るぞ!」
根が優しいのか、怯えている男はバットで殴る振りをするだけで何もしない。その彼の顔面に向け、首藤は無言のまま大きな拳を叩き込んだ。
まるで車に跳ね飛ばされたかのように、男は吹き飛んでいく。
人間がそのように弾け飛ぶのを、稲塚は初めて見た。
体格だけじゃなく、パワーも人並外れている。
「てめぇ!」
後ろから二人がバットと鉄パイプで首藤に殴りかかった。一人は背中にバッドを当て、もう一人は後ろの首筋の辺りに鉄パイプを当てた。背中はともかく首筋は危険だ。だが、辛うじて急所は外れていたのか、首藤はまるで平気な様子で振り返った。そして同時に裏拳で二人を吹き飛ばしてしまう。
残りは二人。
首藤が大股で躍りかかると、その二人は「うわあぁぁ!」と悲鳴を上げて逃げ出してしまった。だが、見た目以上に首藤は足が速く、あっさりと一人に追いついてしまう。そして逃げた男の得物のバッドを掴んで思い切り引っ張った。それでその男が体制を崩して後ろに転びそうになったところに首藤は顔面に向かって容赦なく拳を叩き込んだ。
グシャリ
錯覚かもしれないが、そんな嫌な音を稲塚は聞いた気がした。鼻血が噴き出ている。鼻骨が折れてしまっているかもしれない。ただ、失神しているのか、苦しがりはしなかった。
そこまでの光景を見て、稲塚は膝が自然と震えているのに気が付いた。心底恐怖していたのだ。
“化け物だ”
と、心の中で呟く。
もし仮に三城の時にやって来たのが首藤だったなら、暗闇で視界を塞いで鉄パイプを振っても勝てる気がしない。きっと、平然と耐えて、反撃されていただろう。
鼻血を出した男の意識は回復しなかった。それで興味を失ったのか、それ以上は何もせず、首藤は悠然とした足取りで何処かへと去って行った。
それで安心をした稲塚はホーッと息を吐き出す。モンスターをやり過ごせた。そんな気分だった。
鼻血を出した一人以外はそれほど重症ではない。首藤が去った後で他の四人が、鼻血を出して倒れている男を介抱していた。
これは…… 傷害罪だ。
通報しようかと悩んだが止めておいた。彼らは武器を持って首藤に襲いかかっている。被害者だからといって、彼らが正直に話すとは思えないし、それで自分が目を付けられたら白鳥を護り難くになる。そのように判断したのだ。
“何にせよ、対策が必要だ”
彼はそう考えた。
白鳥が何かをされる前に、あの男をなんとかして排除しなければ……




