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2-4.巡礼の旅

彼らの神々はどこにいるか、

彼らの頼みとした岩はどこにあるか。

彼らの犠牲のあぶらを食い、

灌祭(かんさい)の酒を飲んだ者はどこにいるか。

立ちあがってあなたがたを助けさせよ、

あなたがたを守らせよ。

今見よ、わたしこそは彼である。

わたしのほかに神はない。

わたしは殺し、また生かし、

傷つけ、またいやす。

わたしの手から救い出しうるものはない。

わたしは天にむかい手をあげて誓う、

わたしは永遠に生きる。


(申命記第三十二章より)

 ちょっと時を(さかのぼ)るが、一七九四年の秋頃、ボンの選帝侯マクシミリアン・フランツがボンを逃げ出したという。本質的に楽観的な彼も、さすがに()(とう)のごとく押し寄せてくる革命の波には恐れをなしたらしい。

 どうりでその半月前から援助金が途絶えていたわけだ。これで私の帰る場所は事実上失われたことになる。

 ますます乱れた時代になっていく。モーツァルトだったら、どうしただろう。私は、イメージを巡らせてみる。モーツァルトが戦争音楽を書いたならどうなるのか? 私は縛られているようでいて思ったより自由だった。私たちは、魂の性格が、似ていたから。彼女のためにも、演奏家ではなく、早く作曲家としての道を歩き出したかった。

 ところが、なかなかそううまくは事が運ばなかった。私は選帝侯の援助金が途切れてからというもの、アルザー通り四五番地にあるリヒノフスキーの豪邸に招かれて、そこに住み込んでいたため、愚かしい貴族たちから逃れる術はなかった。彼らは私をただ遊び道具にするために毎日のように侯爵邸に押しかけてくる。そして私にピアノ演奏を強要するのだ。

「私はピアノ演奏じゃなく、作曲がしたいんだ!」

 と私が叫ぶと、

「お願い、お願いよ、ベートーヴェンさん。この通りですから、どうかピアノを弾いてください」

 と公爵の夫人、伯爵の夫人たちが、こぞって私の前で(ひざまず)く。それも、私をゆったりとしたソファーに座らせておいてそれをやるのだ。

 私は腹が立って仕方なかった。なぜ花の美しさなどお構いなしに取り付く虫けらのような連中に、私を操ろうなどと思えるのか。私は一生がかりで取り組んでもまだ足りないほどの難しい目的を遂行しようとしているというのに。

 それでも、リヒノフスキーの手前、我慢できるところまでは我慢したつもりだ。だが、もう指の先が充血して今にも血が噴き出しそうになっている。彼らにそれを見せてもまだ納得しないのだ。

 私が壊れるまで弾かせようというのか。

 それだけではない。この館に来てからというもの、生活のすべてを彼らに合わせなくてはならない。貴族の生活というものは窮屈なばかりで、どうも性に合わないのだ。いちいち格式ばった決まり事にまみれていては、息が詰まる。

「どうか、どうか……」

 めっきり暑くなってきたある日、また性懲りもなくぺこぺこしてきた貴族に、

「いい加減にしろ! 私は壊れるまでの音楽人形じゃない!」

 と叫び、この言葉を最後に、リヒノフスキーの館を飛び出した。


 私はその足で、クロイツガッセ三五番地のミノリテン教会の裏の住居に引っ越した。

 まったく、こんな馬鹿馬鹿しいことを指を痛めてまでやらざるを得なかったのも、ハイドンの怠慢のせいだ。

「玄人も素人も分け隔てなく認めるに違いない。彼がやがてヨーロッパの最も偉大な音楽家の地位を占めることを」

 今年の八月十五日にやっとロンドン旅行から帰ってきたかと思えば、なんの根拠もなしにこんな無責任なことを音楽雑誌に言いふらしていた。だが、遠くで何をほざこうが、私は彼から何一つ教わっていない。

 確か彼は、一番初めに、私にオペラを書かせたいと言っていた。そのための作曲のやり方を教えるというから弟子入りしたというのに、未だに何も満足に教えてくれないのはどういうわけだ。教える気がないとしか思えない。

 それでもとにかくリヒノフスキー邸に招かれていたハイドンを(つか)まえて、私は、今年に入って仕上げたピアノ・ソナタを一曲弾いて聴かせた。

 だが、彼はろくにその感想も言わず、

「それよりも、アリアを書いた方がいいんじゃないか?」

 などと言い、さらに去年から作曲してきて、この夏やっと出版にこぎつけたピアノ三重奏曲については、

「第三番のハ短調は出版しない方がいいだろう」

 と言ったのだ。

「なぜです?」

 私は納得できなかった。ハ短調は間違いなく三曲の中で一番優れたものに仕上がっていたからだ。

「なぜってね……。こんなものを出版しても、分かる人は誰もいないだろう」

「何が悪いのか、ちゃんと分かるように説明してください!」

 私が詰め寄ると、ハイドンは作り笑いを浮かべて、

「そうそう、表紙にちゃんと私の弟子だということを明記しなくてはいかんよ」

 と、こともあろうに話を変えた。ここで、積もり積もった私の憤懣(ふんまん)はついに爆発したのだ。

「冗談じゃない!」

 私は、もう教授は結構だと叫んで、その音楽室を出ていった。私がいつ彼の所有物になった? こんな奴に馬鹿正直に従っていてはいつまでも作曲などできやしない。一生ピアノ弾きのままだ。いいようにつぶされてなるものか。


 このようなことになるまでに、私はもうほとんどハイドンを見限っていたため、実は二年前から無断で別の師に教えを請うていた。

 シェンク、アルブレヒツベルガー、シュパンツィヒなど。そんなことをやっていたら、途中で資金が足りなくなって、ボンの選帝侯に援助金の増額を願い出ようとした。ここでハイドンを利用したにもかかわらず失敗。まもなく援助は差し止められた。今では、その本当の理由が判明したが、あのときは完全に見捨てられたと思い、仕方がないので(つたな)いながらも何か出版できるような作品を書き続けた。多忙で内容の無い辛い時期だった。

 今は、仕方がないので演奏会に出演している。それでなんとか金を得ているが、かと言って日常的な玩具(がんぐ)扱いに逆らわねばならない闘いの日々に変わりはない。

 なるべく無駄な出費は避けようと、これ以上教わることはないと見た師との関係は、今年に入ってすべて清算した。今残っている師はただ一人、リヒノフスキー邸で知り合ったエマヌエル・フェルスターだ。彼は、私が長らく憧れていた弦楽四重奏曲というジャンルに詳しかったため、今はその専門的な作曲法だけを集中的に習っている。

 

 そして、やっとその年の年末を迎えた。

 十二月十八日に、またハイドンに、単なるピアノ弾きでは終わらないという私の意志を伝えるために、王宮内の小レドゥーテンザールにて行われた彼主催の演奏会で、私の新作のピアノ協奏曲を弾いて聴かせた。三月の公開演奏会で弾いたものよりは幾分マシに仕上がっていたはずだ。

 ハイドンは私の意志を感じ取ってくれたようだった。それだけで彼にしては上出来だった。もう彼の自己肯定のためだけの内容のない言葉は聞かず、その嫌悪感だけを受け取って会場を出た。

「!」

 すると、やたらと空気が優しかったので、私は驚いてしまう。

 ひとたび落ち着いてみると、まるで私の目的を理解してくれているかのような周囲があるのに気付く。相変わらずピアノは弾かされるが、私を取り巻く状況はずいぶん良くなっていた。

 あれは悪魔に違いない、という中傷めいた言葉に替わって、

「あの人は真の芸術家だ」

 という評判が出回っている。彼らはできる限りの気を遣ってくれた。私は、いつの間にか芸術家と見なされていたのだ。

 

 一七九五年が終わり、明けて一月八日、また同じ劇場での音楽会に出演して同じピアノ協奏曲を奏でたあと、私はウィーンを出てプラハに向かった。ウィーンに来てから初めての演奏旅行だ。

 連れもいる。リヒノフスキーだ。

「帰ってきてくれないか、悪いところはすべて直す。気に入らない人間にはもう会わせないから」

 と、家を出た私に泣きついてきた彼に、私は説明した。

「あなたの館は関係ありません。私はただウィーンの馬鹿者どもとまともに付き合うのが嫌になったんです」

 そのとき、私は身支度を調えていた。またしても貴族の押しかけを食らい、ついに堪忍袋の緒が切れたのだ。その日のうちにもウィーンから出ていくつもりだった。

 モーツァルトの代弁はどうなるのか? 簡単な話だ。彼女がもし長生きしていたらと考えたら、どんな可能性だってあるのだ。モーツァルトがウィーンを出て行っていたらどうなったか? という問いの答えになるだろう。

「何をしてるんだ?」

「見ての通りだ。ウィーンを出ていく」

「なんだって? なぜだ?」

 彼はオロオロして問う。

「ただこの町が嫌になったから出ていく。それだけです。くだらないものでも多少は関わらなくては生きていけないことは分かっていますが、これ以上付き合い切れない。たまに真剣な顔をして悩んでいるかと思えば、『革命が起きた。ビールが飲めなくなったらどうしよう』『今年は暑い。アイスクリームが食べられなくなったらどうしよう』とくる! この低能さにはもうウンザリだ! 私はビールか! アイスクリームか! 芸術どころではない! こんな腐った町でいったい何ができるというんだ!」

「まあ、待て」

 彼は私をなだめすかして、とりあえず今回の旅を提案したのだ。旅費はすべて彼がもつと。

 思惑はそれぞれにあっても、ちょうど利害が一致したからまとまった話だ。


 その旅の移動の馬車の途中で、リヒノフスキーは覚えている限りのモーツァルトの思い出話を語った。彼はかつてモーツァルトの弟子だったのだ。一緒にドイツ旅行もしている。

「モーツァルトは、火薬玉のような人でね。それは激しい気性の持ち主だった。あれでは長生きできないだろうと誰もが言っていた」

 不思議な気持ちだった。彼の語りを聞くにつれ、恋人の新たな面を発見していくような気持ちになる。そして胸がときめくのだ。

 私が知っているモーツァルトはそんなふうではなかった。逆に父親が危篤だということで弱り切っていた。ただ、音楽について語るときだけは比類なき炎がその小さな身体の中に燃えていた。それがリヒノフスキーの話と合致する唯一の私の記憶だ。

「三十五歳か。ちょっと若過ぎたな」

 と彼は溜め息交じりに呟く。

「今はあの世でゆっくり休んでほしいよ。なにしろ生涯戦い続けた人だったからね。あれほど人を敵に回した人は他にいなかった。いったい何が彼をあれほど闘争的にしていたんだろうな」

「愛ですよ」

 私は即座に言った。

「愛、かね。やけにはっきり断言するね」

「彼の音楽を聴けば分かります。自分の中に理想郷を持った人間というものは孤独なものです。たいていは己の寂しさに負けて折れてしまう。だが、彼の場合は、闘争的になってでも負けるわけにはいかなかった」

「つまり、自己愛か」

 彼のこの言葉には、絶句した。その通りなのかもしれないが、うなずくわけにはいかない言葉だった。

「リヒノフスキーさん」

 とにかく、なるべく冷静に説明してみた。

「音楽家の中にもいるらしい。優れた才能を持っていながら、自分を庇護(ひご)してくれる貴族たちの前では彼らに媚びへつらう。そのあまりに自分の感覚機能を台なしにしてしまう(やから)が。

 たとえ王の意見だろうと、間違いは間違いだ。貴族の評論だろうと、馬鹿げているものは馬鹿げている。その事実を明らかにすることが対立を引き起こすからと言って、自説を曲げるのが、あなたの言う尊ぶべき自己犠牲ですか。誰の前でも優れたものは優れていると言い、正しいものは正しいと言う。たとえそれが自分のことであっても。それが自己愛ですか」

「いや、そういうわけでは……」

「嘆かわしいことですよ。優れた人間が誰の前でも真実であろうとすれば、必ずあなたのような見当外れな批判をする者が出てくる。これは芸術に理解のない凡庸な者の戯言(たわごと)と言って片付けられる罪ではない。その無知ゆえの傲慢さが、この地上から美を追放し、汚濁(おだく)にまみれさせているのです。何千人もの、何万人もの、絶望者を救えるほどの何かを生み出すことが、どれだけの精神力を必要とするか、あなたは分かっていない。本当の真実から少しでも逸れるわけにはいかないのです。自分の持ち得る力を最大限に発揮してでも、常に真実であらねばならない。仲良くワイワイ音楽ごっこをやっているようでは、真の芸術家になどなれはしないのです。あなたはモーツァルトの音楽に感動していながら、その愛が分からないのか」

「……」

 彼は、この問いに一言も答えず、それからあとはもう何も話さなくなった。


 プラハに着いて驚いた。

 町の美しさもさることながら、そこではモーツァルトの音楽ばかりが響いていたのだ。それも毎日だ。毎日毎日、彼女のオペラが、ニ長調のシンフォニーが、ハ長調のピアノ協奏曲が、そこかしこで演奏されていた。天から降り注ぐ太陽の光そのもののような荘厳さが、音の数ほどに分離して大気を輝かせている。

「これはすごいですね」

 と思わず呟くと、

「この町はモーツァルトの町さ。くれぐれも彼の悪口は言わないように。君には不要な助言かな」

 とリヒノフスキーは笑う。

「即興演奏する場合は、必ずモーツァルト・オペラの主題によること。そうすれば成功間違いなしだ」

 と私に細々と注意してくる。だが、彼の助言などもう耳に入らない。こんな美しい場所がこの地上にあろうとは、今の今まで知らずにいた。

「ベートーヴェン、聞いてるのか? 重要なことだぞ」

「聞いてますとも。ここは素晴らしい町です。何が美しく、何が価値あるものなのか、よく分かっている町だ。これらを聴いてください。みんなモーツァルトだ!」

 彼は私の興奮を微笑ましげに見ていた。

 私は言った。

「私はモーツァルトになるぞ」

「は?」

「自分を忘れて、あの人に成り切るんですよ。今は指を失くしたあの人の代わりに、私が弾かなくては」

「ベートーヴェン?」

 彼は心配して私のおでこに手を当てたりしたが、熱はなかったらしい。


 さて、演奏会だ。私は言われるまでもなく、『フィガロの結婚』や『ドン・ジョヴァンニ』から主題を取って、彼らの前で弾いた。大成功だった。彼らは私を〝第二のモーツァルト〟と呼んだ。

「まるでモーツァルトの霊があなたを助けているように見える」

 そう言って涙を流す老婦人もいた。やはりあの人の力が働いているのか。彼女の指輪をはめているためもあろう。鍵盤に向かえば指が勝手に動く。まるで何かに操られているかのように。私は彼女に使われているだけ。かと言って、私の思想がそこにないわけではない。彼女に全く同意する自分はいる。やっと彼女のために生きることができる自分になれたのだ。

 魂の奥底から、こんな日々がいつまでも続くことを望んでいる。私にとって、あなたとともにいられること以上の喜びはないから。不滅の恋人よ。あなたは私のすべてだ。

【参考文献】


★『ベートーヴェン』(上)(下)

      メイナード・ソロモン著 徳丸吉彦、勝村仁子訳(岩波書店)

★『ベートーヴェンの生涯』(上)(下)セイヤー著 大築邦雄訳(音楽之友社)

★『ベートーヴェンの生涯』青木やよひ著(平凡社)

★『ベートーヴェン 生涯篇』属啓成著(音楽之友社)

★『ベートーヴェン書簡選集』小松雄一郎訳(音楽之友社)

★『ベートーヴェンの虚像をはぐ』武川寛海著(音楽之友社)

★『古代の宇宙論』

    C・ブラッカー、M・ローウェ編 矢島祐利、矢島文夫訳(海鳴社)

★『世界創造の神話』

    M=L・フォン・フランツ著 富山太佳夫、富山芳子訳(人文書院)

★『ギリシアの神々』曽野綾子、田名部昭著(講談社)

★『ギリシア・ローマ神話事典』

    マイケル・グラント、ジョン・ヘイゼル著 

     木宮直仁、西田実、入江和生、中道子、丹羽隆子訳(大修館書店)

★『プロメテウス―ギリシア人の解した人間存在』

         カール・ケレーニイ著 辻村誠三訳(法政大学出版局)

★『作曲家別 名曲解説ライブラリー ベートーヴェン』(音楽之友社)

★『作曲家別 名曲解説ライブラリー ハイドン』(音楽之友社)

★『コンスタンツェ・モーツァルトの結婚―二度ともとても幸せでした―』

                 〈音楽選書65〉

       ヴィゴー・ショークヴィスト著 高藤直樹訳(音楽之友社)

★『シカネーダー伝―『魔笛』を書いた興行師』原研二著(新潮社)

★『現代医学のみた大作曲家の生と死 ハイドン/モーツァルト』

       アントン・ノイマイヤー著 礒山雅、大内典訳(東京書籍)

★『ハイドン(1970年)(永遠の音楽家16)』

        ピエール・バルボー著 前田昭雄、山本顕一訳(白水社)

★『モーツァルト』メイナード・ソロモン著 石井宏訳(新書館)

★『比類なきモーツァルト』

        ジャン=ヴィクトル・オカール著 武藤剛史訳(白水社)

★『ベートーヴェン事典』平野昭、土田英三郎、西原稔編著(東京書籍)

★『ベートーヴェン大事典』

      バリー・クーパー著 平野昭、横原千史、西原稔訳(平凡社)

★『モーツァルト大事典』ロビンズ・ランドン監修 海老澤敏訳(平凡社)

★『ベートーヴェン全集』(講談社)

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