第19話 愛娘と失われかけた約束
「知りたければ力づくで聞けばいいじゃろう。老いた体じゃ。たやすく苛め抜けるじゃろうて」
「……そんな方法じゃなくて、あなたの本心が知りたいんです」
「はっ! 甘いの。口では何とでも言える。人間の本音は生と死の境界でこそ暴かれる」
「……だったら、僕が何をするまでもないじゃないですか」
「何?」
もし仮に今の言葉を本音だとするのなら、ロヌマードさんは今まさに生と死の境界にいて、つらくて、隠してきた本音をこぼしてしまいたい状況にある。
逆に今の言葉を建前だとするのなら、生と死の境界にいなくても本音は零せるということになる。
真と置いても偽と置いても。
ロヌマードさんは本音を打ち明けられるはずだ。
「……小賢しい小僧め」
「それも、本心ですか?」
「ああ! そうじゃよ!」
「じゃあ、教えてくださいよ。何が、ロヌマードさんをそんなに苦しめているんです」
「……」
ロヌマードさんは一度医院に視線を送った。
それからどこか、遠い場所を見つめるように目を細めて、一つ息をついて口を開いた。
訥々、と言葉が紡がれる。
「――娘がいたんじゃ。まだ年の齢七つの、愛くるしい娘じゃった」
*
これは記憶の物語。
ロヌマードがまだ、一人でも多くの人をこの手で救いたいと思えていたころに起きた、悲劇の物語。
「パパ―!」
「どうしたんだい?」
「あのねあのね! ちょっとおめめをつむって!」
「はいはい、こうかい?」
ロヌマードが、隣町へと医学交流会に向かった帰り道のことです。彼らはもう、何度目かわからない休憩を取っていました。
(もっと高い金を払えば元気な馬の馬車にも乗れたんだが……)
このころのロヌマードは清貧に甘んじて生きていて、そんな大金を捻出する余裕などありませんでした。代わりに乗り込んだのは年老いた馬が引くぼろい馬車。
「もうおめめ開けてもいいよ!」
「ん? これは?」
「はなかんむり! 昨日しゃふさんにこっそり教えてもらったの! パパにプレゼントするために!」
額に手を持っていけば、花弁の柔らかな感触が指を伝う。
(こんな旅路で、文句の一つでもあるだろうに)
泣き言の一つも言わずけなげにふるまう娘。
すごくすごく、大事な娘。
「ありがとう。今度はパパからも何かプレゼントしてあげるね」
「うん! やくそくだよ!」
ロヌマードは、そんな平穏な日々に、充足感を覚えていました。
*
少しして、また馬車が動き出しました。
しかしほどなくして足止めを喰らうことになります。
「どうしたんです?」
ロヌマードが車夫さんに声を掛けます。
「土砂が堆積してて通れない。もう少しで撤去作業が終わるみたいだから待とうと思います」
娘がロヌマードの裾を引きました。
ロヌマードが視線をやると、顔に不安の色を浮かべています。
「ねぇ、ママと会えるの、遅くなりそう?」
「……」
少しでも早く、つらい旅を終わらせてあげたい。
ロヌマードの中でそんな気持ちが膨れ上がります。
「大丈夫だ」
ぽんと、娘の頭に手を乗せると、娘はぎゅっと目をつぶりました。口元は緩んでいて、こんな時間を大事にしたいと思わせます。
ですが、そのためには障壁を除かなければなりません。
「私も撤去作業を手伝ってきます。それと、もしよければ一緒に手伝ってくださる方がいらっしゃれば」
人出が増えれば撤去も速やかに終わるはずだ。
そうロヌマードが呼びかければ、長旅にうんざりしていた他の旅客や、ロヌマード同様できるだけ早く帰りたい者が呼びかけに応えてくれました。
「パパ?」
「大丈夫、すぐ戻ってくるから。いい子にしてるんだぞ?」
「……うん」
*
……突然の出来事でした。
あと少しで馬車が通れるだけの道を確保できる。
それくらい撤去作業が進んだ時でした。
轟音。
そり立つ壁が地響きを上げて、新たな土砂を運んできたのです。
ロヌマードの目に映ったのは、大量の土砂に飲み込まれる、先ほどまで自分が乗り込んでいた馬車でした。
「……は?」
わけが分かりませんでした。
思考が停止して、目の前が真っ白に移り行きます。
いえ、その表現は的確ではありませんね。
――土砂の向こうには娘の遺体が転がっているのではないか。
そんな予感を、ロヌマードは本能で拒絶したのです。
ですが。
「パパ」
「……! 無事なのか⁉」
「うん。私は、大丈夫。大丈夫、だから、そっちに、ケガ人は、いない?」
「……っ」
医師として、責務を果たすべく、ロヌマードは周囲を見渡しました。こちら側には、土砂災害に見舞われて負傷した患者が何名もいます。
「本当に、本当の本当に何でもないんだな?」
「うん。パパは、しんぱいしょうだなー」
ロヌマードの胸中で、何か嫌な予感が蠢きます。
父としての本能と、医師としての本性が、ギリギリの部分でしのぎを削っていました。
「お願い。行って」
「っ」
……血を吐く思いでした。
ですが、それが娘の願いというのなら。
「……すぐに戻ってくる!」
「うん。待ってる。ずっと、ずっと」
ロヌマードは己を殺し、医師として腕を振るいました。
*
「わしはこちら側の負傷者を片っ端から治療したよ。人手が増えれば、娘との間に降った土砂の撤去もすぐに済むと思うたからの」
ロヌマードさんは「だが」と前置きした。
その瞳は揺らいでいて、言葉はなかなか紡がれない。
どれだけ経っただろうか。
口を開いたり閉じたりを繰り返したロヌマードさんは、ようやっと決心がついたように続けた。
罪を告白するように。
「だがの、すべてが、終わった時、娘は、息を引き取っておった」
ロヌマードさんの体からこわばりが抜け、虚脱感が彼を支配していくように感じた。
「出血死じゃった。……なにが『私は大丈夫』じゃ。本当はあの子が、誰よりも苦しかったんじゃ。それなのに、それなのに……」
ロヌマードさんが握りこぶしを作り、自身の額にごりごりと押し付けた。
「わしはあの場で最善を尽くした! あれ以上何かができたわけではない!! じゃが、じゃが! もし医師として妥当な金銭を受け取っておれば、立派な馬車を使う金銭的余裕さえあれば! あの日あの事故現場に居合わせることも、娘を失うこともなかった!!」
ロヌマードさんが頭を抱え、うずくまる。
誰とも顔を合わせたくないとでも言うかのように、自分の殻に閉じこもる様に。
慟哭を上げる。
「娘を見殺しにした自分に腹が立って、そんなわしに礼を言う負傷者どもが恨めしくて、誰かを憎まなければ気が狂ってしまいそうで!!」
悲痛の叫びだった。
僕の方まで、胸を締め付けられる思いだった。
苦しくって、叫びたくて。
「だから、ロヌマードさんは悪徳医師なんてしていたんですね」
「……っ!!」
気が付けば、そんな言葉が口をついていた。
「だったら、そろそろ自分を許してあげてもいいんじゃないですか?」
「許す……? わしが、わしを……?」
「はい」
ロヌマードさんは目に見えて狼狽した。
それから、小さく、左右に首を振る。
「じゃが、わしにはもう、娘に合わせる顔が……」
「ロヌマードさん、もう一度娘さんの最後の言葉を思い出してください」
「……『お願い。行って』と」
「違います。『うん。待ってる。ずっと、ずっと』です」
「……」
ロヌマードさんの目が見開かれる。
白月がその瞳に映りこんだ。
「悔やむのは勝手です。ですが、いつまで娘さんを待たせれば気が済むんです。あなたの娘さんは、今もずっと医師ロヌマードの帰りを待ちぼうけたままだ!」
「だが!」
「あなたは医師としての務めを果たしたんだ! だったら! 胸を張って帰ればいいでしょう!!」
怒鳴っている自分を、どこか冷静な自分が不思議そうに観測していた。自分でも、どうしてこんなに必死になっているのかまるで分らない。
「いいのか、わしは、わしを許して」
「……それを決めるのは、ロヌマードさん自身だと思いますよ」
多分、自分を投影していたんだと思う。
「……裂華症は、わしが責任をもって根絶する」
「はい。お願いします」
こうして、ひとつの事件が幕を閉じた。
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