第14話 ローズマリーと月桂樹
僕の父さんは何でもできた。
誰かにできることなら完璧に模倣できた。
だけど父さんは、いつもきまって僕に言うのだ。
『たとえ力が強くても、一人きりでできることなんてたかが知れている。信頼できる規格外を見つけろ』
父さんが何を伝えたかったのか。
僕はずっとわからなかった。
だけど、なんとなく。
僕はいまその答えに近づいている。
そんな予感がする。
「はぁ……はぁ……」
あたりは静まり返っていた。
月に叢雲がかかり、夜の闇がいつにもまして濃い。
気持ちばかりがはやり、足の遅さがもどかしい。
「着いた……ロヌマード医院……」
日が暮れてから見ると不気味さもひとしおだ。
一呼吸分のためらいが僕の足を止めた。
右手に握りこぶしを作り、心臓を胸板の上から叩いて弱い心を叱咤する。
「すみません! ロヌマード医師はいらっしゃいませんか⁉ すみませーん!!」
すりガラスの玄関を揺する。
ガシャンガシャンと大きな音が、夜の静寂を切り裂く。
「すみませ……」
「だぁ! うるさいわ! 何時だと思っておる!」
「ごめんなさい! でも、ロヌマードさんの腕が必要なんです!!」
何度目の呼びかけだっただろうか。
扉を開けて、一人の男が現れた。
でっぷりと肥えた矮躯。
モノクルの眼鏡。
ロヌマードさんだ。
「坊主。わしの医療費は高くつくぞ。坊主に払えるか?」
「……お金はありません、でも!」
「ふん! 話にならんわい!」
「待って……っ!」
フッと、さわやかな甘い香りが鼻腔をくすぐる。
つい最近嗅いだ香りだ。
「……ロヌマードさん、これは、ローズマリーの香りですか?」
「あん?」
「答えてください。あなたから感じる香りです。わからないはずありませんよね」
「……そうじゃよ。ローズマリーじゃ。それがどうした」
ロヌマードさんは歯切れ悪く口にした。
……きな臭い。
「そうですか。残念ですけど、これはローズマリーの香りではありません」
「なに?」
「この香りは、月桂樹です」
ロヌマードさんは嘘をついている。
いや、何かを隠していて、それを隠し通すために嘘をついた。
そして僕は、その何かに心当たりがある。
「僕、アストレアに来てから月桂樹って見たことないんですよね。こっちだと珍しい植物だと思うんです。でも一人だけ、月桂樹の香水を使ってる女性を知っています」
「……何が言いたいのですかな?」
ロヌマードさんが眉を顰めた。
僕は目をそらしたくなるのをじっと堪えて、目を見て口にした。
「――セフィリアさんに、何をしたんです」
自分でも驚くほど低い声が出た。
ロヌマードさんが、品定めをするように僕を見る。
獲物をなめ回す爬虫類のように。
それから、くつくつと笑い出した。
最初は堪えるように、それから少しずつ、タガが外れたように、狂ったように笑いの雨を降らす。
「雉も鳴かずば撃たれまい。実に愚かなことよ。ザイン! 働け」
階下から足音を立てずに一人の男が現れる。
その手には、無骨だがしっかりと整備された槍が握られている。
「へいへい、残業代は出るんだろうなぁ?」
「ふん。でかい口は活躍してから叩け」
「ちっ、わぁったよ」
ザインと呼ばれた冒険者は手の内でびゅんびゅんと槍を唸らせて、それから穂先の照準を僕の眉間にあわせた。
「そういうわけだ。死ね」
ザインが一足に間合いを詰める。
彼の震脚が響かせた轟音が僕の耳をつんざく。
僕は最小限の動きで矛先から身をそらすと、空間魔法で愛刀を取り寄せた。
鯉口を切り、一閃。
「っと、あぶねぇ! ハッ、なめてかかると痛ぇ目みそうだな!」
「……」
避けられた。
表情にこそ出さないが、僕は少なからず動揺した。
(――カウンターを仕掛けてこない?)
僕は今、コンマ数秒先に向けて斬撃をはなった。
刀身が走る軌跡と実際に迸る斬撃にタイムラグが生じている。斬撃を紙一重で躱してカウンターを仕掛けようとする相手に対するカウンター返し。
(まさか、見透かされた?)
だとしたら厄介だ。
「くはっ、分かるぜぇクソガキ。こう考えてるんだろ。槍の間合いに、剣でどうやって立ち向かうか、ってな。剣で槍の相手をするには3倍の実力が必要だからなぁ?」
そう、剣は槍と相性が悪い。
相手は、一見で初見殺しの一撃を看破する実力者。
固唾が喉を下る。
「俺はかつて剣士喰らいと呼ばれた元Aランク冒険者だ。お前に勝ち目はねぇ!」
「元Aランク冒険者だって⁉」
道理で。
僕はずっと攻めあぐねていた。
ザインは僕の目からしても明らかに隙だらけだったからだ。だけど、今のでようやく理解した。
(誘っているんだ、僕の一撃を)
カウンターのカウンターを見破ったうえで、カウンターで僕を下そうとしているのだ。それをするだけの実力が相対する彼には備わっているのだ。
「くっ、僕の武器は剣だけじゃない! 凍てつく夜よ、白銀世界より来たれ! ≪白銀世界の怠惰領≫!」
体内の魔力が世界に弾ける。
エネルギーが術式によって摂理を書き換える――はずだった。
「……あれ?」
線香花火のように、魔法がフッと掻き消える感覚。
訪れるべき結果が訪れず、書き変わるべき現実がとどまり続けている。
「くはは、そうか! てめぇ魔法剣士か! 残念だったなぁ? この医院には今、魔法阻害の結界が張られている!」
「なっ」
用意周到すぎる。
強者でありながら一切のおごりがない。
目の前の空間が歪んだ気がした。
実際にはそんなことはない。ただの錯覚だ。
すべての戦術が真っ黒に塗りつぶされる気がした。
圧倒的強者を前に、僕は勝ち筋が見えなくなった。
認めよう。
僕は弱い。
……それでも。
「……『冒険者どもは違う。死線に立った時、まず生き抜く方法を考える』」
「あん? なにぼそぼそ言ってんだ」
脳裏によみがえる、船乗りのゲンさんの言葉。
そうだ。冒険者に諦めるという選択肢はない。
「――死んで、たまるかぁぁぁぁぁ!!」
咆哮。
その刹那、僕の顔の真横を一陣の風が吹き抜けた。
ザインが目を見開き、槍で風の実体を叩き落とす。
カランと乾いた音を立てて、一本の矢が地面を走った。
「手こずってるみたいね、ロギア」
背後から聞こえる、凛とした声。
振り返る。
闇夜、月光に照らされて、彼女は立っていた。
「ミュトスさん!!」
柔らかく微笑むと、すぐに神妙な面持ちになって、ミュトスさんはこう言った。
「助太刀するわ」




