番外編1【鏡】
「お嬢さん、この指輪なんてどうだい? 恋が叶うおまじないがかかってる、特別製の指輪だよ」
雑貨屋のおじさんは、木箱の中から一つの指輪を取り出した。
大きなサファイアがあしらわれた指輪は、一見すると魅力的だった。けれど、よく見ると宝石の輝きが妙に安っぽい。まるでガラス玉みたいだ。
「金貨十枚でいいよ」
「ガラス玉の指輪で金貨十枚!? 騙そうったって、そうはいかないんだから!」
私は呆れながら指輪をおじさんに投げ返した。
おじさんは慌てて指輪を受け止める。
「お、お嬢さんはなかなか目が肥えてるようだね。名前を聞かせてもらえないかな?」
「私はミーシャよ。こんな商売をしてるって町の憲兵さんに突き出してもいいのよ?」
そう言って、私は鋭い爪をおじさんの目の前に突きつけた。
「わ、悪かったよ! 秘蔵の品をあげるから、黙っててくれないかな?」
「あこぎな商売をやめるなら、黙っててあげる」
おじさんは困ったように眉を下げ、仕方ないといった様子で頷いた。
「敵わないね。分かったよ。これからは真っ当に生きるさ」
ぶつぶつと文句をこぼしながら、おじさんは装飾の施された美しい鏡を差し出した。
「綺麗な鏡ね」
「ああ。でも、美しいだけじゃないんだ。自分の分身を生み出せるんだよ」
おじさんは鏡を自分の顔に向けた。
すると、鏡の表面が水面のように揺らぎ、そこからもう一人のおじさんが姿を現した。
「凄い! どうなってるの!?」
思わず身を乗り出す私に、おじさんは得意げに胸を張った。
「詳しい仕組みまでは分からないが、鏡に施された装飾の一つ一つが複雑な術式になっているんだ。だから、こんなに精巧な分身を作り出せるのさ」
「こんな凄いもの、本当にもらっていいの?」
私が鏡を受け取ろうと手を伸ばした、その時だった。
おじさんは素早く鏡を懐にしまい込んだ。
「気が変わった! 二人なら、お嬢ちゃん一人くらい押さえつけられるからな!!」
「……はあ?」
呆れる私をよそに、おじさんと分身が同時に飛びかかってきた。
けれど、二人がかりとはいえ、動きは単純だった。
私はひょいと身をかわすと、すれ違いざまにそれぞれの首元へ一撃をお見舞いした。
二人は揃って地面に倒れ込んだ。
私はおじさんと分身を縛り上げ、駆けつけた憲兵に引き渡した。
ところが、憲兵が来る頃には分身の姿が消えていた。
どうやら、分身には活動できる時間に限りがあるらしい。
鏡は迷惑料としてもらい受けることにした。
こうして思いがけない戦利品を手に入れた私は、ラルクたちの待つ宿へと戻った。
ラルクたちと合流した後、私たちは食事をするために町の店へと出かけた。
「聞いてよ。ガラス玉の指輪を買わされそうになったのよ」
「どこにでも悪人はいるもんだな。ミーシャが無事で良かったよ」
白パンをかじる手を止め、ラルクは安堵したように優しい笑みを向けてくれた。
「私だって強いんだから、大丈夫よ」
私は照れ隠しに笑ってみせた。
けれど、ラルクが心配してくれたことが嬉しくて、頬が緩みそうになってしまう。そんな顔を見られたくなくて、必死に笑みをこらえた。
ああ、尻尾まで揺れてきちゃった。
「そうだぞ! ミーシャは筋肉があるから心配ないぞ! でも、魔力も筋肉もないイリアの方が心配だぞ! ほら、アウラの肉を分けてやるから食べるといいぞ!」
そう言うと、アウラは自分の皿にあった肉の塊をつまみ、イリアのサラダの皿へと移した。
「あ、いえ、私は……」
イリアは困ったように眉を下げ、皿の上の肉を見つめた。
普段からあまり肉を食べないイリアにとって、アウラの好意はありがたいものの、どう反応すればいいのか分からないらしい。
「こら、アウラ! イリアはお肉が苦手なの。無理に食べさせちゃ駄目でしょ!」
私が注意すると、アウラは不満そうに頬を膨らませた。
「……肉は美味いのに」
そう呟くと、アウラはイリアの皿に移した肉の塊を、少年の姿のまま大きな口を開けて一口で頬張った。
「おい、そんな変な食べ方をしたら、ドラゴンだってばれるぞ」
ラルクが呆れたように注意する。
「ラルクが言うなら、次からしないぞ!」
アウラは元気よく答えると、何事もなかったかのように食事を再開した。
楽しく談笑しているうちに、私は鏡のことを思い出した。
「そういえば、迷惑料代わりに鏡をもらったんだった」
「どんな鏡なんですか?」
イリアが興味深そうに尋ねてきた。
「ええと……」
私は鏡を取り出そうとして、ふと思い出した。
しまった。鏡は宿に置いてきたんだった。
そう思った瞬間、肩に掛けた布袋がずしりと重くなった気がした。
不思議に思って中を覗くと、そこにはさっきまで宿に置いてきたはずの鏡が収まっていた。
「あれ? なんで……?」
思わず首を傾げたけれど、考えても答えは出そうにない。
ひとまず鏡を取り出すと、ラルクたちは興味深そうにそれを眺めた。
「素敵な鏡ですね」
「自分の分身が作れるみたいよ。こうやって……」
私は雑貨屋のおじさんがやっていたように、鏡に自分の姿を映してみた。
けれど、いくら待っても分身が現れる気配はない。
「あれ? おかしいわね……」
「出なくて正解かもな。こんな場所で分身が出てきたら、皆大騒ぎだ」
ラルクは苦笑しながら、場を和ませるように言った。
「……そうね」
確かにラルクの言うとおりかもしれない。
それでも、せっかく不思議な鏡を手に入れたのに、何も起こらないのは少し残念だった。
一度きりしか使えない魔法だったのかな?
そんなことを考えていると、アウラだけが黙り込んだまま鏡を見つめていることに気づいた。
いつもの無邪気な表情は消え、どこか険しい顔をしている。
「その鏡、壊した方がいいぞ」
「駄目よ! もったいないじゃない!」
私は慌てて鏡を布袋にしまい込んだ。
「どうしてそう思ったんだ、アウラ?」
ラルクが尋ねると、アウラは鏡の入った布袋をじっと見つめながら答えた。
「ラルクたちには分からないと思うけど、良くない魔力の臭いがするぞ。きっと、持ってると不幸になるぞ」
その口調には、いつものふざけた様子がなかった。
冗談で言っているわけではなさそうだ。
「……自分で始末するから大丈夫よ」
私はそう答えたものの、布袋を握る手に思わず力が入った。
アウラはそれ以上、何も言わなかった。
「あれ、おかしいな……」
宿に戻ると、布袋に入れていたはずの鏡がなくなっていた。
どのみち処分しなければならなかったのだから、ちょうど良かったと喜ぶべきなのだろうか。
そう思いながらも、私はどこか物足りなさを感じていた。
しばらく空っぽの布袋を眺めた後、私はベッドに横になった。
ちゃぷん、ちゃぷん。
不意に、どこからか水の音が聞こえてきた。
……誰かが夜中に洗濯でもしているのかしら?
少し気になったものの、疲れていた私は、そのまま目を閉じた。
翌日、私たちは四人で町を散策していた。
「この町は、果物を冷気魔法で凍らせたシャーベットが美味しいみたいよ。あそこのカフェが特に有名なの」
私は皆をカフェへと案内した。
「早くシャーベットを食べたいぞ!」
アウラは待ちきれないといった様子で、目を輝かせている。
「おいおい、そんなにはしゃがなくてもシャーベットは逃げていかないぞ」
ラルクは少し困ったように笑った。
その姿は、まるでアウラのお父さんみたいで、何だか微笑ましかった。
カフェはテーブル席が五つしかない、こじんまりとしたお店だった。
店内には落ち着いた空気が流れ、先に来ていたお客さんたちも静かにシャーベットを楽しんでいる。
「落ち着いた雰囲気ですね。ミーシャさんは、お店探しがお上手です」
イリアが羨望の眼差しを向けてくる。
昨日、一人で町を散策して、あちこちで評判を聞いて回った甲斐があったみたい。
私は少し得意な気分になった。
……ところが、ふと大事なことに気づいた。
「あっ、ごめん! 荷物を宿に忘れてきちゃった!」
「その間、ここで待ってるから、早く戻ってこいよ」
「うん、ごめんね!」
私は皆に謝ると、慌てて宿へと引き返した。
布袋を手に取り、再びカフェへ向かう。
ところが、いくら歩いてもカフェにたどり着けなかった。
道は間違っていないはずなのに、どうして?
何度も周囲を見回しながら歩いていると、前方からラルクたちがやってくるのが見えた。
「あっ、待たせすぎちゃった? ごめんね。なんだかカフェにたどり着けなくて……」
「ん? 何言ってるんだ?」
ラルクは不思議そうに眉をひそめた。
「あの後、すぐに戻ってきて、俺たちと一緒にシャーベットを食べてただろ? 食べ終わった後にミーシャがいなくなったから、心配してたんだぞ」
「……え?」
私は思わず言葉を失った。
ラルクは何を言っているのだろう。
私も彼と同じくらい、怪訝な顔をしていたに違いない。
「私が戻ってきたの?」
「そうだよ。カフェを出たと思ったら、勘違いだったって言って、すぐに戻ってきたじゃないか。それで、スイカのシャーベットを食べてただろ?」
「それ、私じゃない……」
ちゃぷん、ちゃぷん。
また、水の音が聞こえた。
昨夜、宿で聞いたのと同じ音だった。
「ミーシャの偽物がいるのか?」
ラルクは神妙な面持ちで尋ねた。
「……分からない。でも、そうとしか思えない」
自分の声が震えているのが分かった。
その時、不意に温もりに包まれた。
気づくと、ラルクが私を抱きしめてくれていた。
「偽物は俺が捕まえる。だから安心しろ」
「……ラルク」
まだ恐怖は消えなかったけれど、ラルクのおかげで、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた。
「でも、厄介な相手だぞ。アウラでさえ、あれが偽物だと見抜けなかったんだからな。魔力も声も口調も、それに仕草までミーシャと同じだったぞ」
アウラは複雑そうな顔をして、何かを考え込んでいた。
何もかも同じ……?
それに、あの水の音。
「もしかしたら、鏡の分身が暴走しているのかも……」
「鏡はどこにある?」
「……それが分からないの。気づいたら消えていたんだから」
「突拍子もない話かもしれませんが、鏡そのものに意思があるのかもしれませんね。町のどこかに潜んでいる可能性もあります。探してみましょう」
イリアの提案に、誰も反論しなかった。
荒唐無稽な話に聞こえるかもしれない。けれど、今起きていることを考えれば、十分にあり得る話だった。
「アウラは上空から探してくれ。俺は路地裏や人通りの少ない場所を調べる。イリアとミーシャは大通りや人の多い場所を頼む」
「分かりました」
「分かったぞ!」
ラルクとアウラがそれぞれの持ち場へ向かうと、私もイリアと一緒に、人で賑わう繁華街へと走り出した。
「ごめんね。迷惑をかけちゃって」
「迷惑だなんて思っていませんよ。困った時はお互い様ですから」
イリアの優しい言葉に、思わず泣きそうになった。
騒動が終わったら、お礼に帽子か服でも買ってあげようかしら。
そんなことを考えていた時だった。
「そこの獣人、止まりなさい!」
突然、憲兵に呼び止められた。
「……私のこと?」
「とぼけるな! 服屋の主人がお前に服を盗まれたと言っているんだ!」
憲兵は鋭い眼差しを向け、まるで私が犯人だと決めつけているかのようだった。
「知らないわよ! 盗んだ覚えなんてないわ!」
「身なりからして冒険者だろう? 滞在している宿はどこだ!」
話を聞く気もなく、最初から私を犯人扱いしている。
もう、頭に来ちゃう!
「ミーシャさん、ここで言い争っても仕方ありません。宿まで案内しましょう。何もなければ、誤解も解けるはずですから」
「……そうね。こっちよ」
身の潔白を証明して、早く分身を探さないと。
焦る気持ちを抑えながら、私はイリアと一緒に宿へ戻り、私たちが泊まっている部屋へ憲兵を案内した。
「ここよ! 何もないでしょ……」
言いかけた私は、目の前の光景に言葉を失った。
部屋の中には、帽子や色とりどりの服が散乱していた。
「これはどういうことだ? 詰所で詳しく話を聞かせてもらおうか」
「待って! イリアも、私がやっていないって説明してよ!」
必死に振り返った、その時だった。
ちゃぷん、ちゃぷん。
水の音が聞こえた。
イリアは、私にだけ見えるように笑っていた。
いつもの優しい微笑みとは違う。
口角を不自然につり上げ、にたにたと。
「……イリア?」
目の前にいるのは、本当にイリアなの?
どうして、そんな顔で笑っているの?
イリアは答えず、ただ不気味な笑みを浮かべていた。
その瞬間、私は悟った。
イリアも、いつの間にか分身と入れ替わっていたのだ。
「イリアをどこにやったのよーっ!!」
私の叫びもむなしく、憲兵たちは容赦なく私を取り押さえた。
こうして私は、身に覚えのない盗みの罪で、詰所へと連行されてしまった。
「お前がやったんだろ?」
「違うわよ! 被害分のお金なら払うから、早く解放して! このままじゃイリアが……!」
いくら訴えても、憲兵は私を解放してくれそうになかった。
ちゃぷん、ちゃぷん。
また、あの水音が聞こえた。
私は思わず辺りを見渡す。
「おい! 真面目に話を聞いているのか!」
憲兵が怒鳴りつけてきた。
その直後だった。
憲兵の姿が、音もなく消えた。
「え……? 何が起きたの?」
気づけば、詰所には私一人しか残されていなかった。
次の瞬間、目の前に一枚の鏡が現れた。
鏡面が揺らぎ、そこから無数の手が伸びてくる。
「いやああああっ!!」
手が私の身体をつかみ、鏡の中へと引きずり込んだ。
叫び声は虚しく響くばかりだった。
気がつくと、私は無数の鏡が並ぶ奇妙な空間にいた。
「ここはどこ……? イリア!?」
少し離れた場所に、イリアが倒れているのが見えた。
「うぅ……」
意識はあるみたいだけど、かなり消耗している。
早くここから出さないと……!
私は周囲を見回した。しかし、どこにも出口らしきものは見当たらない。
「ラルク! 私はここよ! ここにいるの!」
必死に叫んだ。
けれど、返事はなかった。
その時、周囲の鏡が一斉に揺らぎ始めた。
そこから現れたのは、無数の私とイリア、そして憲兵たちだった。
偽物たちは、私たちを取り囲むように迫ってくる。
……私たちを消すつもりなんだ。
そう悟った私は、迎え撃とうと身構えた。
けれど、身体が思うように動かない。
立っているだけなのに、凄まじい勢いで体力を奪われていく。
これじゃ、戦えない……。
もう駄目なの?
諦めかけた、その時だった。
「待たせたな、ミーシャ!! イリア!!」
聞き慣れた声が響いた。
アウラに乗ったラルクが、鏡の中へと飛び込んできたのだ。
次の瞬間、アウラの放った炎が空間を駆け抜け、迫っていた偽物たちを焼き払った。
「ラルク! どうしてここに!?」
「変な鏡が俺の姿を映そうとしてきたんだ。だから、その前に捕まえてやった。鏡の中からミーシャとイリアの気配を感じたから、飛び込んだんだ。二人とも、無事で良かった……!」
ラルクの声を聞いた途端、張り詰めていた気持ちが一気に緩んだ。
私は彼の胸に顔を埋め、声を上げずに泣いた。
「いちゃつくなら、後にしてほしいぞ……」
アウラが呆れたように呟く。
「い、いちゃついてない! 行くぞ!」
ラルクは照れ隠しのように咳払いをした。
アウラが空間を切り裂くと、私たちは鏡の中から外へと脱出した。
その後のことは、よく覚えていない。
鏡はラルクが叩き割り、店の主人とも話をつけて、事件は大事にならずに済んだらしい。
「本当に、みんなに迷惑をかけてごめんね」
申し訳なさでいっぱいになり、私は皆に頭を下げた。
「もう解決したんだから、気にするな。死人も出なかったしな。ただし、今度から怪しい道具には近づくなよ」
「うん……」
まだ少し気まずい気持ちで頷くと、イリアが優しく微笑んだ。
「ミーシャさん、デザートでも食べて元気を出しましょう。私が奢りますから」
「うん!」
私は元気よく答え、皆と一緒にカフェへ向かった。
ちゃぷん……。
「……え?」
足が止まった。
今の音は……?
私は恐る恐る辺りを見渡した。
「どうかしたか?」
ラルクに尋ねられたけれど、すぐには答えられなかった。
まだ終わっていないの?
血の気が引くのを感じながら、音のした方を探す。
すると、噴水に子供が飛び込んだところだった。
「……何でもない。何でもないわ」
自分に言い聞かせるように呟く。
「早く行きましょう」
私は皆を急かし、逃げるようにその場を後にした。




