残る痛みと新たな疑惑
役目を果たしたマスタードラゴンは、何も言わずにドラゴンたちを引き連れ、青い扉をくぐって帰っていった。
その顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。
俺は、ギルバートの呪いがあった場所を眺めているアシュリーに声をかけた。
「今までは形だけの魔王だったが、ギルバートが亡き今、正式にお前が魔界を治めるんだな」
「分かってるわ。でも、私にできるかしら?」
アシュリーは自信がなさそうだった。
魔王として、これからどう振る舞えばいいのか悩んでいるのかもしれない。
「……俺も手伝おう。お前が一人前の魔王になれるようにな。俺を信じられないなら、無理にとは言わないが……」
バロックが申し出たが、アシュリーはすぐには答えられないようだった。
操られていたとはいえ、自分を殺そうとした男を信じるのは難しいのだろう。
「考えておくわ」
アシュリーは伏し目がちに答えると、どこかへと姿を消した。
「操られていた俺は、相当アシュリーをひどい目に遭わせたらしいな……。どうやって償えばいいのか……」
「支えてやれよ。たとえ断られたとしてもな。そうすれば、いつかアシュリーも、お前が本当の悪人じゃないって理解してくれるだろ」
「ああ……。ラルク、世話になったな。この礼はいつか必ずさせてもらおう」
そう言い残し、バロックも姿を消した。
しばらくの間、沈黙が流れた。
「ラルク、ミーシャたちのところに戻るか?」
「ああ。ギルバートの呪いは消えたけど、球体の魔物がまだ残っているかもしれないしな。ミーシャとイリアが無事か確かめに行こう」
俺はアウラの背に乗り、ミーシャたちのもとへ向かった。
ミーシャたちは、領主リンドバーグが治める町にいるようだった。
「ラルク! こっちよ!」
町の高台から、アウラに乗った俺を見つけたミーシャが手を振っている。
「ミーシャ、どうしてこの町に?」
「ラルクに力を貸してくれる人を探していたんだけど、その途中で球体の魔物に襲われたの。逃げ回っていたら、リンドバーグさんが通信魔法で『ここは安全だ』って連絡してくれたのよ。それで、ゴブリンたちから預かっていた邪神の転移魔法で、イリアと一緒にここまで運んでもらったの」
そう言って、ミーシャは懐から木彫りの熊を取り出した。
「私だって活躍できるでしょ? 褒めてくださいよ」
「ミーシャたちを助けてくれたことには感謝するよ」
「素直に感謝してくれればいいのに。これで私は安全な魔物だって分かってくれたでしょ? 早く私の体を見つけてくださいよ。そしたら復活できるんですから。あ、生贄は人間五人分で我慢しますよ」
「痛っ!」
あまりにも図々しいことを言うので、思わず邪神の額にデコピンを食らわせた。
「絶対に戻してやるもんか。……あ、そういえば、お前の体は消滅させたんだったな」
「ええっ!? あのナイスバディな体を!! この人でなし! 悪魔!!」
「生贄を要求する奴がよく言うよ。それに、お前の体は化け物としか言いようのない姿だったぞ」
「嘘ー!! きっと誰かが私の体を改造したんだ! うわーん!」
邪神は木彫りの熊の姿のまま、泣き崩れた。
「ミーシャ、イリアを呼んで、一緒に飯でも食べよう」
「そうね。アウラもお腹が空いたでしょ?」
「お腹ペコペコだぞ! この町のトンカツって料理は最高だから、たくさん食べたいぞ!」
俺たちは邪神を放っておき、食事をすることにした。
世界を救った祝いにしては、豪華とは言えない食事だったかもしれない。
だが、俺にはそれで十分だった。
俺自身、大したことをしたという自覚はなかった。それに、うまい飯をみんなで食卓を囲みながら食べられるだけでよかったのだ。
「ラルク! 腹具合でも悪いのか?」
「いや、じっくり料理を味わっていただけさ」
そう言って、甘辛く煮た魚を口に運ぶ。
「私のオムライスも食べていいですよ」
「このお寿司っていうのも美味しいわよ」
イリアとミーシャが、それぞれ自分の料理を俺の皿に取り分けてくれた。
仲間たちと囲む食卓。
こんな温かい時間を守るためなら、俺は何だってしてやろうと思うのだった。
食事を終えると、俺は空飛ぶ島へと向かった。
ラズベリルの畑は、何かに抉り取られたかのように、見る影もなくなっていた。
数軒の家も壁が失われ、今にも倒壊しそうな状態だった。
「兄さん!」
ゴブリンの一人が俺に声をかけてきた。
「無事だったか?」
「ええ。弟分たちとラグナードさんが頑張ってくれましたからね。負傷者は奇跡的にゼロです。でも、ラズベリルさんは落ち込んでますけどね」
ラグナードの奴は、本当にこの島を守ってくれたのか。
俺は感心しながら、辺りを見回した。
「ラグナードはどうした?」
「球体の魔物が来なくなったら、島から飛び降りて行きましたよ。本当にあの人、人間なんですかね?」
声を潜め、ゴブリンが尋ねてくる。
「さあな。あいつとは親しくないから、俺にも分からない。それより、ネイサはどうした?」
「生きてはいますが、目を覚ましません。ミアさんが言うには、体には異常がないから、何か魔法を施されているのかもしれないって話でしたよ」
ギルバートを倒した今、ネイサが何者なのかは、さほど気にする必要もないのかもしれない。
だが、ネイサには、誰かに知られたくない秘密でもあるのだろうか?
「目を覚ましたら、すぐにテオドールに知らせてくれ」
「分かりました。俺は家の修復にあたります」
ゴブリンが駆けていくのを見送り、俺は改めて島を眺めた。
元の状態に戻すには、何日かかるだろうか。
町を見回った後、俺も修復作業を手伝いに来よう。そう考えていた時だった。
足元に、誰かがしがみついてきた。
「ラルク……。私、何もできなかった。妖精王なのに。怖くて、逃げてばかりで……」
ラズベリルだった。
顔を涙でぐしゃぐしゃにし、鼻をすすっている。
自分の不甲斐なさを痛感し、打ちのめされてしまったのだろう。
「後悔してるなら、大丈夫だ。次に何かあったら、その気持ちがお前を立ち向かわせてくれるさ」
「でも、畑もめちゃくちゃになっちゃった。私のトマト、美味しいってリリスが言ってくれたのに……。トマト、なくなっちゃった」
リリスの名前が出た瞬間、俺の胸が締め付けられるように苦しくなった。
彼女は、もういないのだ。
「リリスはトマトが好きなのか?」
「そうよ。畑の手入れを手伝ってくれた時にあげたら、喜んでたわ」
「……そうか」
「リリス、今はラルクのところにいるんでしょ? 謝っておいて」
何と言えばいいのか分からず、俺はただ頷いた。
「……伝えておくよ。次にリリスが来るまでに、またトマトを育てたらいい」
「……うん。ラルクにも食べさせてあげるからね」
ラズベリルは、少しだけ元気を取り戻したようだった。
彼女が畑に向かって杖を振ると、荒れ果てた大地から植物の芽が顔を出した。
本当のことを伝えられなかった罪悪感を抱えながら、俺は島を後にした。
町に戻った俺は、リンドバーグに会いに行くことにした。
ミーシャたちを助けてくれた礼を伝えること。そして、勇者サキのことを話すためだ。
リンドバーグの屋敷へ向かう途中、俺は改めて町並みを眺めた。
……やけに綺麗すぎる。
球体の魔物が現れたばかりだというのに、町には被害の痕跡がほとんど見当たらなかった。
いや、それどころか、これまで魔物の侵入を許したことなど一度もないかのように、町全体が整然としている。
修復作業をした形跡すらない。
これは偶然なのか?
俺は今になって、リンドバーグが魔族とつながっている可能性を考え始めていた。
確かめるため、俺はリンドバーグの屋敷へと急いだ。




