決着の時
「あ、ああ……。魔力が、力が抜けていく……」
ギルバートは、皮と骨だけになったような自分の手を眺め、失意の声を漏らした。
「これで終わりだ、ギルバート! もう二度と人々を苦しめないと誓うなら、命だけは許してやる!」
しばらくの沈黙の後、ギルバートは狂ったように笑い出した。
「慈悲をかける気か? そんな甘っちょろい考え方には虫唾が走るよ。私は君たちの手の届かない場所へ行く。そして君たちは、最悪の結末を味わうんだ!!」
そう言い放つと、ギルバートは不気味な笑みを浮かべた。
「いやぁああ!!!」
アシュリーが悲鳴を上げる。
決別したとはいえ、実の父親が目の前で命を落としたのだ。動揺するのも無理はない。
俺はすぐに治癒魔法をかけた。
だが、傷が塞がるだけで、ギルバートの鼓動が戻ることはなかった。
裏で大勢の人々を苦しめてきた魔王の最期は、あまりにもあっけないものだった。
「ラルク! 離れろ!」
アウラが俺の袖を咥え、強引に引っ張った。
その直後だった。
ギルバートの遺体から、ドス黒い魔力の塊が溢れ出したのは。
あれに触れてはいけない。
直感的にそう悟った。
「皆、ここから離れるぞ!」
アウラは俺とバロックを背に乗せ、アシュリーを抱えると、その場から一気に飛び立った。
俺たちが王宮から離れた直後、ドス黒い魔力が王都を包み込んだ。
上空から王都を見下ろしていると、黒い魔力に触れた人々が次々と倒れていく。
「あれに触れたら、魂を抜かれるようだな。ギルバートの最後の悪あがきか」
なんて忌々しいやつだ。
「あれはきっと、お父様の呪いよ。どんなことが起きるか分からないけど、きっと恐ろしいことになる……」
「どうすればいい?」
「……浄化できればいいんだけど、あれほどの怨念を清めるのは難しいわ」
アシュリーはドス黒い魔力を見つめ、表情を曇らせた。
娘だからこそ、父親の力の強大さを知っている。その彼女が難しいと言うのだから、相当なものなのだろう。
「諦めるなよ。俺に当てがある」
俺は首元にぶら下げた青い笛を握りしめた。
「何をする気だ?」
バロックが尋ねるよりも早く、俺は笛を吹いた。
すると、空に巨大な青い扉が現れた。
直後、大地を震わせるほどのドラゴンの咆哮が辺りに響き渡る。
「ようやく出番か?」
扉の向こうから現れたのは、人の姿をしたマスタードラゴンだった。
「ギルバートの呪いを祓い清めてくれ」
マスタードラゴンは、王都を覆うドス黒い魔力を一瞥した。
「よかろう。ただし、あの魔力を少し移動させてくれ。浄化する際、あれが王都の者たちに何をするか分からんからな」
「分かった。やってみよう」
俺たちは、いったん王都から離れた場所へと降り立った。
「あなた、アウラ様だけじゃなくて、マスタードラゴンとも知り合いだったのね」
「まあな。それより、あいつをどうやって移動させる?」
「アウラが浄化の炎を吐けば、あいつも嫌がって動くと思うぞ!」
「その手があったか。よし、やってみよう!」
俺はアウラと共に、ドス黒い魔力の塊へと近づいていった。
ドス黒い魔力に俺たちが近づくと、羽の生えた白い球体のようなものが生み出された。
それが何なのかは分からない。だが、ギルバートの呪いから生まれたものが安全なはずもない。俺たちは距離を取った。
白い球体はカチカチと歯を鳴らし、近くにあったレンガ造りの建物を、まるでリンゴでもかじるかのように容易く食いちぎった。
「早く倒さないと……!」
俺は風の魔術で切り裂こうとした。
しかし、その攻撃は届かなかった。
唐突に現れた紫色の渦に、風の刃が吸い込まれてしまったのだ。
これはヴォークスと同じ魔法だ。
どうやらギルバートの呪いは、配下の魔族が使う魔法まで扱えるらしい。
「ラルク!」
遠くからアウラの声が聞こえた。
次の瞬間、俺は広々とした馬車の中にいた。
そこには見覚えのある顔があった。
「あれ? 君は確か、ラルクだよね。どうやってここに?」
アルバート劇場の裏方、ヴィルだ。
どうやら、ここはアルバート劇場が使っている馬車の中らしい。
「悪い。魔法で飛ばされたんだ。すぐに出ていくよ」
「ゆっくりしていってもいいけど、取り込み中なんだろ? 今度会ったら、ペルシャとも話してやってよ」
ヴィルは朗らかに笑った。
俺が転移魔法を使おうとした、その時だった。
馬車が突然、急ブレーキをかけたかのように止まった。
「シルベンに何かあったのか?」
ヴィルが馬車の外へ出ると、白い球体の魔物たちがシルベンを取り囲んでいた。
シルベンは器用にハーネスを引きちぎると、低く唸り、一匹の魔物を踏みつけた。
しかし、ほかの球体の魔物たちが一斉に飛びかかる。シルベンの白い毛並みが、少しずつ赤く染まっていった。
俺はすぐさま風の魔力を放ち、球体の魔物たちを切り裂いた。
どうやら一匹一匹はそれほど強くないようだ。だが、数が多すぎる。
町や村がこいつらに襲われたら、ひとたまりもないだろう。
「シルベン! 怪我はしているが、無事のようだな。ラルク! 君が助けてくれたのか?」
座長のオーラムが馬車から降り、俺に駆け寄ってきた。
「たまたまここに飛ばされただけさ。またあの魔物が現れるかもしれないから、気をつけろよ」
「待ってくれ! 仲間を助けてもらったのに、礼もせずに別れるわけにはいかない。アルバート劇場の座長としての名が廃るからな。つまらないものだが、持っていってくれ」
そう言って、オーラムが差し出したのは魔石の欠片だった。
「魔法の使えない私には使い道がないものだが、君なら役立てられるだろう?」
「ありがとな」
俺は転移魔法を使う前に、シルベンの傷を治してやった。
すると、シルベンは感謝するように「ワオーン!」と雄叫びを上げた。
こうして再び転移魔法で移動している最中、テオドールが話しかけてきた。
「ラルクさん、緊急事態です。島の結界が破られ、魔物が押し寄せてきました!」
「被害は?」
「今のところ、ゴブリンさんたちの活躍で人への被害はありません。しかし、ラズベリルさんの畑が食い荒らされてしまいました。このままでは、長くは持たないかと……」
テオドールの声は弱々しかった。
俺が行かなければならないだろうか?
だが、ギルバートの呪いを放っておくわけにもいかない。
どうしたらいいものか……。
そう考えていると、聞き覚えのある笑い声が響いた。
「ガハハハ! 弟子たちを守るのは師匠の役目だ! 俺がこの島を守ってやるから安心しろ!!」
ラグナード。
自らを剣聖と称していた男だ。
実力は認めている。だが、ギルバートの命令でリリスを攫おうとしていたのも事実だ。
「今度は何を企んでやがる?」
「企んでなどいない。言っただろう? 弟子のためだと。この島のゴブリンたちは筋がいい。十年もすれば、俺を超えるだろうな!」
確か、ゴブリンたちは強くなりたいと言っていた。
それにしても、よりによってこいつに弟子入りしていたとは……。
「今は信じてやる。だが、何かあったらただじゃおかないぞ」
「武人は約束を違えん。俺を信じろ!」
どうにも信じきれないが、今は信じるしかない。
俺はようやくアウラの元へ戻った。
アウラは一心不乱に、ギルバートの呪いへ浄化の炎を吐き続けていた。
「待たせたな、アウラ!」
「ラルク! もう少しでこいつを動かせそうなのに、魔物が邪魔なんだぞ!」
バロックとアシュリーも球体の魔物たちを蹴散らしていたが、倒しても倒しても、次々と新たな魔物が生み出される。
「任せろ、アウラ! バロック、アシュリー! 今から雷雲を作る。それに魔力をぶつけてくれ!」
「分かった!」
二人はそれぞれ炎と風の刃を放ち、俺が作り出した雷雲へと魔力をぶつけた。
すると、炎と雷が入り交じった嵐が巻き起こり、球体の魔物たちへと降り注いだ。
魔物たちは次々と切り裂かれ、その姿を消していく。
邪魔者がいなくなったと見るや、アウラは勢いよく浄化の炎をギルバートの呪いへと浴びせた。
すると、ドス黒い魔力の塊が、少しずつ動き始めた。
数十分かけて、ようやくギルバートの呪いを王都から遠ざけることができた。
その時、マスタードラゴンが姿を現した。
「行くぞ!」
その声に応じるように、空に浮かぶ青い扉からドラゴンたちが次々と現れた。
千……いや、万を超えるほどのドラゴンが、一斉に息を吸い込む。
そして、無数の浄化の炎がギルバートの呪いへと浴びせられた。
まるで氷が溶けるように、ドス黒い魔力の塊はみるみる小さくなっていく。
やがて、断末魔のような声を上げながら、完全に消滅した。
ギルバートの呪いは、ついに消え去ったのだ。
まだ、やるべきことは残っている。
だが、今はこの脅威が消えたことを喜んでもいいだろう。




