さまよう影
アビーの部屋は、石化した彼女が発見された場所から離れたところにあった。
少なくとも、部屋の中で襲われたわけではないらしい。
「あ、開けましたよ」
乗組員が予備の鍵で扉を開けると、俺に先に入るよう促した。
女性の部屋に入るのは少し気が引けるが、今はそんなことを言っている場合じゃないだろう。
「イリアは扉の前で少し待っててくれ誰か潜んでる可能性もあるしな」
「分かりました」
「ひぃ〜! 私も外に……」
「お前は、俺と一緒に部屋を調べるんだよ」
何とも情けない乗組員だと俺は呆れていた。
中に入ると、テーブルの上にティーポットと紅茶のカップが置かれていた。
誰か客人でも招いていたのだろうか?
「このティーポットとカップは、アビーの持ち物か?」
「いえ、ルームサービスのものです。二時間ほど前に、アビーさんが紅茶を飲みたいと、私とは別の乗組員に声をかけたそうです」
乗組員はメモ帳を開き、記録を確認しながら答える。
「ルームサービスの注文内容まで、乗組員が把握しているのか?」
「ええ。以前、乗組員が飛行船の食料をちょろまかして解雇されたことがありまして。それ以来、簡易的な通信魔法を使って、誰が何を注文したのかまで細かく共有するようになったんです」
「他に共有していることは?」
「顧客の名前、年齢、健康状態ですね」
俺は怪訝な顔をする。
「健康状態なんて、見ただけじゃ分からないだろ」
「この飛行船には、客室に健康状態を測定する魔石が仕込んであるんです」
乗組員は何でもないことのように答えた。
「ラルクさんも、今日は少し睡眠不足ですよね」
そこまで細かく把握されているとは思わなかった。
「もしかしたら、それが役に立つかもしれないな」
「何がです?」
「例えば、石化する病気に冒された人間がこの船に乗っていて、その病気がアビーに感染したとか」
「あ、有り得ませんよ」
乗組員は、呆れたような顔をする。
「そんな重病の方は事前にお断りしますし、乗船後にそのような病気が発覚した場合も、提携している病院へ転移魔法で移送することになっていますから」
「なら、その線は無いか……」
思った以上に徹底した管理体制らしい。
それに病気なら悲鳴はあげないだろうな。
乗組員からは、「とんでもないことを言う客だ」とでも言いたげな冷たい視線を感じる。
病気でないのなら、事故か事件だろう。
俺は部屋の中を改めて見回した。
二時間前まで、アビーはここで普通に紅茶を飲もうとしていた。
ならば、彼女はいつ、どこで石化したのだろうか?
そして誰が、彼女を石化させたのか?
紅茶に毒が入っている可能性も考えた。
だが、客室内で体調に異変が起きれば、健康状態を測定する魔石によって乗組員にも伝わるはずだ。
そう考えると、紅茶に毒を入れたという線も薄いだろう。
「ラルクさん、何かそこにありませんか?」
扉の前にいるイリアが、床を指差した。
見ると、カップとティーポットが置かれたテーブルの下に、茶色いクッキーの欠片が落ちている。
「このクッキーもルームサービスのものか?」
「いえ。クッキー自体はありますが、チョコクッキーはありません」
俺は床に落ちたクッキーの欠片を見つめた。
ルームサービスにないものなら、アビーが自分で持ち込んだのか、それとも誰かが持ってきたのか。
少なくとも、このクッキーが事件と無関係だと決めつけるのは早い。
「調べてみるか」
もしかしたら、犯人に繋がる手掛かりかもしれない。
部屋にあった、アビーの物らしいバッグも調べてみた。
だが、他に手掛かりになりそうなものは見つからない。
俺達は部屋を後にした。
「このクッキーの匂いがする奴を探せばいいのか? 分かった、やってみるぞ!」
俺はアウラを呼び、クッキーの欠片を嗅がせた。
食べ物に関しては誰よりも嗅覚の鋭いアウラなら、匂いの元を見つけるのは容易いはずだ。
アウラは鼻をひくつかせながら、船内をふらふらと歩き回る。
やがて甲板へ出ると、景色を眺めていたらしい、小柄な少女の前で立ち止まった。
茶色の髪。
そして、右目には眼帯をしている。
「この子だぞ!」
「な、なんですか?」
突然アウラに指を差され、少女は警戒するように身構えた。
「話を聞かせてほしいんだ。アビーの部屋に行ったか?」
「あのお姉さんのことですか?」
少女は少し考えると、答えた。
「何時間か前に、一緒に紅茶を飲みました。でも、紅茶だけじゃ物足りなかったので、クッキーも持っていったんです」
クッキーは、この少女のものだったのか。
なら、彼女がアビーを石化させた犯人なのか?
俺は悟られないように少女を観察しながら、体内におかしな魔力の流れがないか探る。
すると、眼帯の下あたりから、ほんの数秒だけ、妙な魔力の流れを感じた気がした。
「……申し訳ないが、その眼帯を外して見せてくれないか?」
「これですか?」
少女は特に抵抗することなく、眼帯を外した。
だが、その下にあったのは空洞だった。
俺は一瞬、言葉を失った。
「失礼なことをした。許してくれ」
「いえ、気にしないでください」
少女は気にした様子もなく、微笑んだ。
「義眼をなくして困っていたんですが、もうすぐこの目も治るんです」
失われた目が治るなんて話は聞いたことがない。
「魔法で失われた体の一部を治す方法があるとは聞いたことがあります。ですが、途方もない金額がかかるんです」
イリアが俺に耳打ちした。
この飛行船に乗れるくらいなのだから、ある程度の金は持っているのだろう。
だが、十代そこそこの少女が、そんな大金を持っているものなのだろうか。
「実家が金持ちなのか?」
「あ、いえ。むしろ貧しいくらいです」
少女は首を横に振った。
「でも、アビーさんが私の目を治療するために、この飛行船のチケットを買ってくれたんです」
「アビーが?」
「はい。治療するまでのことを本に書かせてもらっていいなら、という条件で」
お互いにメリットがあるってことか。
アビーは本の題材を得られる。
少女は失った目を治してもらえる。
そう考えると、二人が一緒に紅茶を飲んでいたことにも納得できる。
だが、俺はふと疑問を覚えた。
アビーの部屋には、そんな話を記したメモなどはなかったはずだ。
俺達が見落としたのか?それとも犯人が持ち出したのか?
「アビーが襲われたのは知っているか?」
「えっ!?」
少女の顔から血の気が引いた。
「アビーさんが? 無事なんですか!?」
「命に別状はない。でも、彼女を救うためには、襲った犯人を突き止めないといけない。何か心当たりはないか?」
少女は黙り込んだ。
しばらく俯いていたが、やがて意を決したように、ゆっくりと口を開いた。
「……アイちゃんが、アビーさんを襲ったのかもしれません」
「アイちゃんが?」
聞き慣れない名前に、俺は眉をひそめる。
「どんな奴だ?」
「青い髪の女の子です」
少女は不安そうに答えた。
「私が片目を失った時から、ずっと私の心の中にいて励ましてくれたんです」
「心の中に?」
「はい。でも……」
少女は失った右目にそっと触れた。
「義眼をなくしてから、アイちゃんが消えてしまったんです」
心の中にいた存在。
それが、義眼を失ったことをきっかけに消えた。
そして今、アビーは石化されている。
少女が言うには、そのアイちゃんが青い髪の少女の姿をしているらしい。
心の中にいた存在が、義眼と一緒に外へ出て悪さを働く。
……そんなことが、本当にあり得るのか?
俺には、とても信じられなかった。




