闇夜の開戦
まさか、こんなことをする羽目になるとは。
城塞の殺風景な厨房で、俺は無心になってジャガイモの皮を剥き、木桶に放り込んでいた。
「結構剥いたわね。これくらいあれば十分よ。あとは私に任せて」
木桶を受け取ったミーシャは、ジャガイモを一口大に切り、次々と鍋に放り込んでいく。
サイモンに協力し、魔物退治を手伝うことになった俺たちだったが、ロックウェルの兵士たちの食事事情を聞いたミーシャは、目を見開いて驚きの声を上げた。
「えっ! 料理をしないの!?」
「恥ずかしながら、料理のできる者がほとんどいないのです。肉を焼いたり、野菜を茹でたりして、簡単に済ませているんです」
サイモンは恥ずかしそうに頭を掻いた。
そんな食事事情を聞いて、ミーシャは放っておけなかったのだろう。
「それなら私が料理を作ってあげる!」
そう意気込んだ結果、俺まで厨房でジャガイモの皮を剥くことになったわけだ。
料理の心得があるミーシャは、手際よく野菜を刻み、鍋の中の食材を木べらでかき混ぜていく。
これなら安心して任せられるだろう。
俺は厨房を後にし、城内を見て回ることにした。
城内に華やかさはない。年季の入った石壁を、カンテラの頼りない明かりが照らしている。
そんな中、ある一室から呻き声が聞こえてきた。
気になって覗いてみると、そこは救護室だった。
手足に重傷を負い、身動きもできない兵士たちが、シーツを敷いただけの硬い床に横たえられている。
兵士たちを魔法で治療していた男たちは、一度こちらに視線を向けた。
だが、構っている余裕はないのだろう。すぐに治療へと戻っていった。
長居は無用だと思い、部屋を後にしようとしたときだった。
部屋の隅で治療に当たっているイリアの姿が目に入った。
「ここで何をしているんだ?」
「頼まれたわけではないんですが、兵士の方々を治療しているんです」
聖女としての使命感からか、それともイリア自身の性分なのか。
彼女には、傷ついた人々を放っておけないのだろう。
一人でも多くの命を救いたい。ただそれだけを考えて行動しているのだ。
俺が手を貸せば、兵士たちの傷など一瞬で癒やせる。
だが、それが当たり前になってしまえば、兵士たちは俺の力を頼りにし、負傷することへの警戒を怠るようになるかもしれない。
もちろん、そんなことになると決まったわけではない。
それでも、俺はあえてその場を離れることにした。
「無理しすぎるなよ」
「ええ。力を使いすぎて倒れてしまったら、かえって迷惑をかけてしまいますからね」
イリアはそう答え、再び兵士の治療に取りかかった。
俺は彼女を残し、城内の見回りを続けた。
*
特に異常もなく、俺は何気なく城の最上階にある円形の展望台へと足を運んだ。
三日月に照らされた平原は、あまりにも静かだった。
その静けさが、かえって不気味に思えた。
そう感じた、そのときだった。
何かがこちらへ向かって飛んでくる。
一瞬身構えたものの、すぐにその正体がアウラだと分かり、警戒を解いた。
俺の目の前に降り立ったアウラは、ドラゴンの姿のままだった。
その表情は、どこか真剣だった。
「何をやってたんだ?」
「腹が空いたから、獣でも食べようと思って森を散策してたんだぞ。でも、嫌な魔力がこっちに近づいてきたんだぞ。だから戻ってきた!」
「変な魔力?」
俺は意識を研ぎ澄ませた。
ごく微かだが、東門の方角から魔力が流れ込んできている。
「東門だ! 何か来るぞ!」
アウラは何も言わず、俺に背を向けた。
俺はその背中に飛び乗り、東門へと向かう。
道中で兵士を見つけると、俺は声を張り上げた。
「皆、備えろ! 東門から何か来るぞ!!」
兵士たちは一瞬、顔を見合わせた。
しかし、俺の切迫した声にただならぬものを感じ取ったのか、数人が東門へ向かって駆け出していった。
東門に到着すると、紫色の渦が五つ、宙に静かに浮かんでいた。
どうやら、幻術で隠されたこの城塞を探知できる厄介な魔物がいるらしい。
そのうちの一つから、大きな花が生み出された。
花の中央からは女性の上半身が生え、こちらに妖艶な笑みを浮かべている。
植物の魔物、アルラウネだ。
人を惑わす花粉を撒き散らし、蔓を器用に操って襲いかかる危険な魔物である。
「焼かれたくなかったら、大人しく帰りな」
俺は掌に魔力を集中させ、火球を放った。
火球はアルラウネの足元に着弾し、爆炎が夜空を赤く染め上げる。
熱風が城壁を吹き抜けた。
しかし、アルラウネは怯むどころか、可笑しそうにくすくすと笑っていた。
「おい! 止めろ!」
背後から悲鳴が聞こえ、俺は振り返った。
虚ろな目をした数人の兵士が、仲間に斬りかかっている。
アルラウネに目を向けると、花から黄色い粉が撒き散らされていた。
花粉だ。
あれで兵士たちを操っているのか!
アウラが弱い雷魔法で兵士たちの動きを止めたのを確認すると、俺は指先に魔力を集中させた。
冷気が夜気を凍らせるように広がり、白い霧となって指先に集まっていく。
狙いを定め、アルラウネに氷の魔術を放った。
花も蔓も、一瞬にして氷に閉ざされる。
これで終わりか。
そう安堵しかけた、そのときだった。
紫色の渦が怪しく脈動した。
渦の奥から、新たな気配が溢れ出している。
この渦を破壊しなければ、魔物が次々と現れるかもしれない。
試しに、渦の一つへ魔力を放ってみた。
紫色の渦は抵抗することなく、音もなく霧散した。
その直後だった。
別の方角からも、同じ禍々しい魔力が次々と湧き上がるのを感じた。
目の前の渦と同じ魔力だ。
東門だけではない。城塞のあちこちで、魔物が現れようとしているのかもしれない。
「この魔力の主を叩かないと駄目か……。アウラ、一旦城に戻るぞ!」
俺は目の前に残る渦を破壊すると、ミーシャたちのことが心配になり、城内へと向かった。
城内のあちこちから兵士たちの雄叫びが響き、剣と剣がぶつかり合う甲高い音が夜を裂いていた。
争いの火蓋が切られたことを、俺は改めて実感した。




