聖女の憂鬱
ある程度、島も人が住める環境になってきたので、俺達はレガリアから北東に位置する国、ラザムの城下町を訪れていた。
今はのんびりとカフェでデザートを楽しんでいる。
この町は魔法技術が発展しており、傷みやすい生クリームも長期間保存できるらしい。そのおかげで、ホイップクリームがたっぷりと乗ったシフォンケーキを堪能できる。
食に関する魔法技術を極めた結果、食料事情が安定し、戦争とは無縁の国になったのだという。
「肉も美味いけど、このケーキも美味い! 気に入ったぞ!」
アウラは五個目のケーキを頬張りながら、満面の笑みを浮かべていた。
こんなに嬉しそうな顔をされると、好きなだけ食べさせてやりたくなる。
「ねえ、ラルク。もう少しの間、島の管理はゴブリン達に任せて、のんびりしましょうよ。私達だって休息は必要よ」
楽園を作ると意気込んでからというもの、島を住みやすい環境にするために、あれこれ考えては行動してきた。
確かに、そろそろ休息を取るのも悪くないかもしれない。
「それも良いかもな」
これまで巡ってきた町では、幸いなことに種族や職業による差別は見かけなかった。
理不尽な目に遭っていたのが俺だけなら良いのだが……。
この世界には、まだ俺の知らない国や町がたくさんある。もう少し色々な場所を巡ってみようと思っていた。
カフェを出ると、通りの向こうに大勢の人だかりができていた。
「何かあったのかしら?」
ミーシャが興味深そうに人だかりを眺める。
その中心には、白い聖衣を身にまとった十代半ばほどの少女がいた。
少女は老人の目元に手をかざし、魔力を流し込んでいるようだった。
「目を開けてみてください」
「おお!! 見える! 見えるぞ! 五年前に光を失ったこの両目が、再び見えるようになるとは……。聖女様、本当にありがとうございます!」
老人は少女の手を握り、何度も感謝の言葉を口にした。
「聖女? あの娘がか?」
「あんた、知らないのか? 旅する聖女、イリア様だよ。ああやって病を治したり、慈善活動をしたりしているんだ。顔も可愛らしいし、聖女様なんて肩書きがなければ、俺だって遠慮なく告白するんだがな」
突然話しかけてきた中年の男の話を半分ほど聞き流しながら、俺は改めて聖女イリアの姿を眺めた。
肩まで伸びた金色の髪は、日の光を受けて柔らかく輝き、白い聖衣によく映えている。
猫のようにくりっとしたライム色の瞳には、無邪気さとともに、神への信仰に対する強い意志が宿っているように見えた。
これが聖女というものなのか。
俺が感心しながら眺めていると、イリアはふとこちらに気づいたようだった。
「仲間が来たようなので、私はこれで失礼しますね」
そう言うと、イリアは俺の手を取って歩き出した。
「お、おい!」
「しーっ! このまま町の入り口まで歩いてくれませんか? ええと、お名前は?」
「ラルクって呼んでくれ」
どうやら、聖女様も色々と苦労しているらしい。
隣からミーシャの嫉妬に満ちた視線が突き刺さるが、俺は人助けだと自分に言い聞かせ、そのまま歩き続けた。
「ここまで来れば良いか?」
町の入り口までたどり着いたところで尋ねると、イリアは柔らかな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。助かりました。まさか、あそこまで人が集まるとは思いませんでした」
「ははっ。聖女様は有名みたいだからな」
「私はただ人を助けたいだけで、名を広めるつもりはないのですが……。なかなか難しいですね」
こうした奥ゆかしいところも、彼女が人々から慕われる理由なのだろう。
「聖女様は、これからどうするんだ?」
「次の町へ向かおうと思います。助けを求めている人は、他にもたくさんいますから。皆さんにも、神のお導きがありますように」
イリアは俺達のために祈りを捧げると、街道へ向かって歩き出した。
「ラルク、あの女から変な臭いがしたぞ」
今まで黙っていたアウラが、神妙な面持ちで口を開いた。
「変な臭い? 俺には何も感じなかったぞ?」
「人間なのに、魔族のような臭いが混じっていた。あれは普通じゃないぞ」
アウラはイリアが去っていった方向をじっと見つめている。
アウラの嗅覚は並外れている。単なる勘違いとは思えなかった。
「この町で聖女様が何をしていたのか、聞き込みをしてみよう。もし怪しい動きがあったら、後を追って確かめるぞ」
「分かった。私は市場の方で話を聞いてみるね」
俺達は手分けして町の人々から話を聞いて回った。
しかし、聞こえてくるのはイリアが病人を治療したり、困っている人々を助けたりしていたという話ばかりだった。
彼女が悪事を働いているような証言は、一つも見つからなかった。
ただ、一つだけ奇妙な話があった。
イリアがこの城下町を訪れてからというもの、家畜の不審死が立て続けに起きているというのだ。
単なる偶然かもしれないが、確認する必要はあるだろう。
俺達はアウラにイリアの臭いを辿らせ、後を追うことにした。
彼女を見つけたのは、すっかり日が沈んだ頃だった。
街道から少し離れた場所に焚き火があり、その傍らには簡易テントが設置されていた。
俺達が近づくと、こちらの気配に気づいたのか、テントの中からあくびをしながらイリアが姿を現した。
「皆さん、どうかなされたのですか?」
「単刀直入に聞こう。お前は魔族なのか?」
「……あはっ! 半分正解よ」
イリアの口調が突然変わった。
「半年前、この子は私を退治したつもりだったけど、魂だけになった私は、この子に乗り移ったの。夜しか活動できないし、腹いせに人を殺す力もない。不便で仕方ないわ」
イリアの瞳が燃えるような赤色に変わり、その頭には二本の魔族の角が生えてきた。
聖女の身体に魔族が潜んでいたとは、何とも皮肉な話だ。
おそらく、城下町で家畜が死んでいたのも、こいつの仕業なのだろう。
「イリアの身体を乗っ取るとは……。俺に会ったことを後悔させてやる!」
「待ちなさい! この身体はイリアのものよ! 私を殺せば、イリアまで死んでしまうの! 分かっているの!?」
急に慌て始めた魔族を無視して、俺はイリアの額に手を触れた。
そして、純白に輝くイリアの魂から、どす黒い魔族の魂だけを引き離すイメージを思い描く。
すると、イリアの身体から黒い靄のようなものが抜け出し、魔族の魂が引きずり出された。
「なっ!? 何をしたの!?」
自由になった魔族の魂は、逃げるようにその場を離れようとした。
しかし、アウラが尻尾を振るうと、魔族の魂は一撃で砕け散った。
「私は……何ということを……」
魔族の魂が消えた途端、イリアはその場に崩れ落ちた。
憑依されていた間の出来事を、思い出したのだろう。
「お前のせいじゃないさ」
「いいえ……。私が不甲斐ないばかりに、罪のない命が奪われてしまったのです……。私は、どうしたら良いのでしょう……」
イリアは困惑と不安の入り混じった表情を浮かべ、今にも泣き出しそうだった。
俺はそんな彼女をそっと抱きしめた。
「大丈夫だ。落ち着け。皆を笑顔にする聖女様が泣いてどうする。もう何も起こらないから、安心しろ」
その言葉を聞いた途端、イリアは堰を切ったように声を上げて泣き始めた。
聖女と呼ばれていても、彼女は俺達と大して変わらない年頃の少女なのだ。これまでずっと人々を助けてきた彼女だって、誰かに頼りたくなることはあるだろう。
しばらくして、ようやく落ち着いたイリアは涙を拭った。
「私ったら、みっともない姿を見せてしまってすみません」
「気にしなくていい。聖女だからって、人間なんだから泣いたっていいんだ」
「ありがとうございます。そんなことを言われたのは、生まれて初めてです」
「ラルクは私のなんだから、取らないでね」
何故か顔を赤くしているイリアの前に、ミーシャが割って入った。
「そ、そんなつもりはありません。ただ、少しの間、一緒に旅をしてほしいなと思っただけで……」
どうやら、イリアもまだ不安を感じているらしい。
しばらくは誰かが傍にいてやった方がいいだろう。
「イリアがもう大丈夫だと思えるまでで良いなら、喜んで付き合うさ」
その直後、ミーシャに浮気だと顔を殴られた理由が未だに分からない。




