第11話 第一工区施工* 前編
あたしは、旅に出る前、送魔技師というものをあまり信用していなかった。
村へ来る王都の人間は、だいたい高い部品の話をする。
長い手順を言う。
そして、村にないものを前提にする。
それで直らないと、村の手入れが悪いと言う。
そういうものだと思っていた。
レンは違った。
違ったが、最初から安心できる人でもなかった。
よく見すぎる。
見えたものへ、すぐ近づきすぎる。
井戸の金具、排水管路、峠の石垣。
危ない場所を見つける目が、そのまま危ない場所へ足を向ける。
それでも、レンは逃げなかった。
王都を追われた話を、言い訳にはしなかった。
瘴気事故をなくしたいという言葉も、ただの大げさな目標には見えなかった。
まだ誰も倒れていない場所で、倒れる前の形を探している。
その執念が、目の付け所を変えているのだと思う。
リゼは、もっと静かで、もっと頑固だった。
疲れです、と言われたものを、疲れだけで終わらせない。
危険値ではありません、と言いながら、問題なしとは書かない。
測定値だけで人の不調を消さない。
症状だけで設備を断定しない。
あたしには、最初それが少し遠回りに見えた。
でも、ベルノの鉱夫も、白石峠の旅人も、水門庭園の庭園番も、遠回りの紙がなければ消えていたかもしれない。
リゼの細かさは、誰かが軽く扱われるのを止めている。
レンとリゼは、似ていない。
レンは未来に起こることを捕まえる。
リゼは過去に起こったことを捕まえる。
そこにあたしがいる意味も、少し分かってきた。
二人の言葉は、長い。
正しいけれど、足場の上では読めない。
だから、短くする。
現在やるべき対応策を、目の前の現場で起こすために。
グラントールでは、それにカルムの番号と、ガルトの責任が加わった。
現場は、急に大きくなった。
けれど、手で触る場所は、今日も一つずつだ。
*
紙が、朝から音を立てていた。
職人組合の倉庫前で、カルム・ヴェイスが箱を開く。中から出てきたのは、領主庁の印が入った札だった。
資材通行証。
道路占用札。
雨天時立会い願い。
三枚とも、右下に同じ番号がある。
南外暫一。
青い縁の雨天時立会い願いは、水門庭園管理室へ別便で回す。今日ここで使う札ではない。だが、同じ番号を持っている以上、第一工区の外側にある別の現場、というわけでもなかった。
マルカは、その番号を見て、少しだけ口を曲げた。
同じ顔の札が三枚。
同じ番号。
でも、行き先は違う。
村の縄なら、赤い紐を結ぶか、端を焼くか、結び方を変えれば済む。紙は、ぱっと見ただけでは分かりにくい。だから間違える。だから、カルムみたいな人間が必要になる。
そこまで考えて、マルカは自分で少し意外に思った。
紙が必要、などと考える日が来るとは思わなかった。
「紙って、同じような見た目で区別つかないね」
「同じ見た目にはしていません」
カルムは真面目に答えた。
「資材通行証は赤い縁。道路占用札は黒い縁。雨天時立会い願いは青い縁です」
「見れば分かるけど、急いでたら間違えそう」
「だから、箱を分けました」
カルムは足元の箱を指した。
職人組合へ渡す箱。
市場組合へ見せる箱。
送魔局へ戻す控え箱。
昨日までなら、ただの紙束に見えただろう。今朝は、少し違って見えた。
紙が三つに分かれると、人の流れも三つに分かる。
資材を見る者。
道を空ける者。
後で記録へ戻す者。
紙の上の順番が、そのまま荷馬車の順番になっていく。
「紙って、ちゃんと現場に出ると、けっこう仕事するんだね」
そう言うと、カルムは少しだけ目を丸くした。
「褒めていますか」
「たぶん」
「たぶん、ですか」
「紙を褒めるのに慣れてないから」
カルムは、返事に困ったように視線を落とした。
けれど、口元は少しだけ緩んでいた。
カルムは、褒めるとすぐ顔に出る。
村の男衆のように、照れ隠しで怒鳴ったりしない。できたことをできたと言われると、紙の上の字まで少し姿勢を正すような顔をする。
見ていて、面白い。
少しだけ、扱いに困る。
倉庫の奥から、ベリオ・ガンツの声が飛んだ。
「おい、若いの。紙を見てるだけなら、荷は動かんぞ」
「はい」
カルムが返事をするより先に、マルカは腕まくりをした。
「じゃあ、動かしちゃおうか」
倉庫の扉が開く。
中には、昨日選んだ線束と留め具と白冠陶片が並んでいた。
主線用。
灯り用。水場不可。
灯り用。主線不可。水場不可。
翌朝も濡れる場所。普通鉄不可。
煌銅留め具は直接触れさせない。
表には職人の言葉。
裏には局の番号。
南外材一。
南外灯二。
湿倉保一。
湿区留一。
煌留絶一。
マルカは、札を一つずつ読んだ。
線束の重さは、昨日触った時と変わらない。
けれど、札が付いただけで、置き場所が違って見える。
ただの蒼銅線ではない。
どこへ行ってよい線か、どこへ行ってはいけない線かが決まった線だ。
「南外材一。これは南水門側と西外縁優先」
「はい」
カルムが控えを見る。
「主線用。均相済み。予備一割まで。追加買付は不可です」
「一割って、少ないね」
「領主判断です」
「間違えると足りないから……」
マルカは短く言い、職人たちへ振り返った。
「主線用は赤紐の箱。灯り用は黄紐の箱。灰色は保留。青斜め線は水場に使わないで。読めない人は色を見る。色が分からない人は字を見る。どっちも見ない人は、持たないで!」
若い職人が笑った。
「最後が一番分かりやすい」
「分かりやすいでしょ」
マルカは赤紐の付いた主線用の木枠へ手を掛けた。
重い。
村の線とは違う。
ノルク村の屋根裏から出した癖の強い短尺とは、まるで別物だった。戻りが素直で、油紙越しにも、線がきちんと休んでいる感じがする。
ただ、それでも線は線だ。
荷を持つ人が足を滑らせれば落ちる。
縄の掛け方が悪ければ曲がる。
濡れた石の上へ置けば、昨日分けた意味が消える。
「地面に直置きしないで。台木を先に」
マルカが言うと、水門課から来た人足が首を傾げた。
「少し置くだけでもか」
「少し置いた線が、後で『床に接していた側が怪しい』って言われるんだよ」
リゼ・カトルが、近くで測定プローブを布に包みながら頷いた。
「濡れた床なら、短時間でも記録に残します」
「ほら。記録に残される」
人足は、少しだけ嫌そうな顔をした。
「怖いな」
マルカは台木を二本置かせ、その上に線枠を下ろした。
カルムが、すぐに控えへ書く。
南外材一。
職人組合倉庫発。
台木上に積載。
床直置きなし。
「そこまで書くの?」
マルカが訊くと、カルムは顔を上げた。
「後で反応が出た時、ここで床に置いたのか、現場で置いたのか分からなくなります」
「今日は、いいこと言うね」
「今日は、ですか」
「昨日も少し言ってた」
「少し……」
「増えてるよ」
カルムは、筆先を少しだけ止めた。
「では、増やします」
「うん。増やして!」
それだけ言って、マルカは荷馬車の縄を取った。
*
資材通行証は、万能の札ではなかった。
それは、マルカにもすぐ分かった。
職人組合から南水門側へ抜けるには、市場北口の横を通る。だが、朝市の最中は通せない。領主庁の資材通行証にも、はっきりそう書いてあった。
朝市中、通行不可。
搬入は朝市前、または昼前の短時間。
荷馬車道占用、二刻以内。
「二刻以内かぁ」
マルカは道路占用札を見て言った。
「二刻って、足場まで組むと短いよ」
「荷下ろしと仮置きまでです」
カルムが答える。
「線張りは、その後、道路脇の作業帯で行います。荷馬車道を塞いだままではできません」
「じゃあ、道を塞ぐ間にやることは三つ。荷を下ろす。通行線を張る。足場材を道の外へ逃がす」
マルカは地面に炭で三本の線を引いた。
「荷馬車はここ。人が通るのはこっち。水桶は動かさない。市場北口の現場札は触らない」
「水桶列の仮置き位置も維持です」
カルムがすぐ言う。
「そうだね。市場の人が戻したら、また灯具下が濡れるからね」
「戻す時は帳場へ言う、ですね」
「覚えてるじゃん」
「自分が番号を付けたので」
「それもそうだ」
市場北口では、ドランが腕を組んで待っていた。
顔は渋い。だが、昨日ほどではない。
マルカは道路脇へ白い縄を張りはじめた。
人の流れが少し変わる。
荷馬車が入る。
全部が同時に動くと、人は文句を言う。
でも、順番を付ければ、意外と動く。
まず、人の通り道。
次に、荷馬車の腹。
その後に、線枠を下ろす台木。
最後に、現場札。
紙の順番より、縄の順番の方が、マルカには分かりやすい。
けれど今日は、その二つが妙に似ていた。
カルムが道路占用札を、ドランと水桶番へ見せている。
「南外暫一。市場北口、昼前短時間占用。水桶列仮置きは維持。通行帯は白縄の外側。異常時は帳場と送魔局へ連絡」
「長いねえ」
水桶番が言う。
「要点は、白縄の外を歩く、桶を戻さない、です」
「あいよ」
マルカは、荷馬車の後ろから親指を立てた。
「カルム、今のはよかった」
カルムは一瞬こちらを見て、安堵したような表情をした。
荷馬車の車輪が、濡れた石を踏んで止まった。
マルカは、すぐに顔を仕事へ戻した。
「台木。先に台木。赤紐の線枠はこっち。黄紐はそっちじゃない、灯り用だから水門側へ入れない。青斜め線の札は、水場不可。南水門側へ持っていかない!」
最後の声に、若い人足がびくっとして止まった。
彼の手には、黄紐と青い斜め線の付いた線束があった。
「これも線だろ」
「線だけど、行き先が違うんだってば」
マルカは駆け寄り、札を見せた。
灯り用。水場不可。
「南水門は水場。水のそば不可って書いてある線を、水のそばに持っていったら、札の意味がない」
人足は、少しむっとした。
「そんな細かいことまで読めるか」
「読めないなら、持つ前に聞いて」
マルカは短く言った。
その時、ガルト・リーヴェルの低い声が後ろから来た。
「そのための札だ。読まない者は、送魔線を持つな」
人足は黙った。
マルカは、少しだけ息を吐いた。
怒鳴れば済むことと、責任者が言わないと済まないことがある。
今のは、後者だった。
カルムが、すぐに控えへ書く。
南外灯二、誤搬入未遂。
水場不可札確認。
荷役者へ持出前確認を指示。
「それも書くのかよ」
人足が言った。
カルムは顔を上げた。
「はい。責めるためではありません。次に同じ札を見た人が、間違えないためです」
人足は何か言いかけ、やめた。
マルカは、そのやり取りを見ていた。
カルムは、少し前なら謝って終わっていたかもしれない。
今は、書く理由を言った。
紙が、人を責めるものではなく、次の手を止めるものになる。
それは少し、いいと思った。
*
南水門側の第一工区は、思ったより狭かった。
水門の石垣、荷馬車道、市場へ抜ける通路、古い低圧灯、封瘴井の蓋、荷置き場。全部が半端な距離で寄り合っている。
マルカは、最初に足元を見た。
水は流れている。
けれど、水たまりとして見える場所だけが濡れているわけではない。石の目地、荷馬車の轍の底、古い木杭の影。乾いたように見えて、押すと水が染み出す場所があった。
こういう場所は嫌いだ。
見えている水なら避けられる。
でも、乾いた顔をしている濡れは、足場を裏切る。
「そこ、足場の脚を直に置かない方が良いです」
レン・アルバートが、作業者の背中を避けながら横へ回った。
彼は、足を置く前に地面を見た。
濡れた目地を踏まず、線枠を運ぶ職人の肩先にも入らない。自分の体の置き方を気を付けているのか、現場での危なっかしさが減っている。
「石が沈みそうってこと?」
「沈むと思います。右の石の目地が、旧水門戻しの方向と揃っています」
「そんなとこまで見るんだ?」
「はい。ちょっと離れた所から見てるので」
マルカは、少しだけ感心した。
「じゃあ、足場板の下に台木を噛ませて、右の石は避けるよ」
「はい」
レンは頷いた。
リゼは、施工区域の端に白い測線紐を張っていた。
「ここから水門側は準汚染。清浄側は、荷馬車道の外。工具台は二つに分けます。清浄工具台と、使用後工具台。紙は清浄側に置いてください」
「紙も?」
水門課の人足が訊いた。
「紙も、濡れた手で触れば汚れます。濡れたものは瘴気を拾います。魔工具線のそばなら、なおさらです」
「紙までか」
「紙までです。測定器や記録紙の戻し先が汚れると、次に測った値まで疑うことになります」
リゼの声は揺れなかった。
マルカは、清浄工具台の位置を見た。
「そこだと荷が当たりそう。半歩後ろにできる?」
「半歩後ろでは、リゼさんの測定動線が遠くなります」
カルムが言う。
「遠くなるけど、荷でひっくり返すよりまし」
リゼも見て、頷いた。
「半歩後ろでよいです。測定の時だけ前へ出ます」
カルムが控えを書き直す。
「清浄工具台、白縄外。荷下ろし動線より半歩後方」
「カルム、線を引いて」
「えーと……」
「紙じゃなくて地面に」
「はい」
カルムは一瞬だけ戸惑い、それから白い石粉で地面に線を引いた。
まっすぐではない。
でも、これで人は動く。
マルカは頷いた。
「よし。清浄側、こっち」
「よし、は記録しますか」
カルムが真面目に訊いた。
「そんなことまでは、いらないよ」
「分かりました」
言い方が真面目すぎて、近くの職人が少し笑った。
笑いが出る現場は、悪くない。
ただし、緩むと危ない。
マルカは手を叩いた。
「じゃあ、足場組むよ。三脚は低く。滑車は一つ。線枠は吊りすぎない。主線用は曲げない。曲げるなら、レンに聞く前にベリオ親方の職人に聞く」
ベリオが、離れた場所で鼻を鳴らした。
「俺が判断する前提か」
「ベリオさんは聞かれる係」
「偉くなったもんだ」
「組合長でしょ」
「そうだな」
ベリオは短く笑い、若い職人へ顎をしゃくった。
「おい、そこ。主線用を肩で担ぐな。枠ごと持て」
現場が動き出した。
杭が打たれる。
縄が張られる。
台木が置かれる。
線枠が、ゆっくり動く。
紙の上では、一本の線だった。
でも現場では、一本の線を張るだけで、人が十人動く。
荷馬車が半歩ずれる。
水桶番が桶を見張る。
リゼが白縄を見て、カルムが番号を書く。
レンが作業者の邪魔にならない位置から、濡れた石の目地を指す。
マルカは、その全部を見ながら、少しだけ楽しくなっていた。
図面が、杭になる。
番号が、縄になる。
札が、手の動きになる。
こういうのは、嫌いではない。
【用語】
(ルビ:現代の電磁気・科学にて相当する語。)




