9.その質問にはお答えしかねます
そして金曜日。
ヘッドセットを付けていてもわかるほど、強い雨が降っていた。
「あーあ、せっかく新しいスカートにしたのに」
隣の席で陽菜がぼやく。
いつもより気合いの入ったメイク。爪の先まで抜かりない。
「あと1本対応したら終わりかなぁ」
「予定があるときに限って、やっかいな問い合わせが来るからね」
カスタマーセンターの営業は19時まで。あと5分を切った。
――ポンッ。
私のモニターに「チャット相談」の通知が届いた。
電話、メール、そしてリアルタイムでのチャット。ランダムで待機しているオペレーターに繋がる仕組みだ。
私のシステム画面が『待機中』から『対応中』のステータスに変わる。
〈相談内容:通信の不具合について〉
私は慣れた手つきで、定型文を打ち込む。
『担当の朝倉です。ご不便をおかけして申し訳ございません。お困りごとの詳細な状況を教えていただけますか?』
数秒の沈黙。タイピング中を示す三点リーダーが点滅する。
『スマホに通知がない』
スマート家電のよくある問い合わせだった。
専用アプリと製品が、リンクされていないのだろう。
『会員登録をされていますか?』
『いいえ』
『それでは、製品番号と型番、本体裏側に記載のシリアル番号をお教えください』
いつも通り、必要な情報確認をしようとした。
『返答がない理由は?』
あれ?システムエラーか何かだろうか。
私が送ったメッセージが届いていないようだ。
『失礼しました。再送します。製品番号と型番を』
そこまで打ち込むと、すぐに相手からの返信が届いた。
『生きてるなら、スタンプひとつくらい返信よこせ、バカ』
――え?
今朝、スマホで見たのと同じメッセージ。
タイピングの指が固まる。すると、すぐに追加のメッセージ。
『収録が始まるから、さっさと回答して』
――収録って。
相手がサクヤであることが、確信に変わる。
返信がないからって、わざわざ職場の窓口に連絡してくるなんて。
公私混同がバレてクビになったらどうしてくれるのか。
小さく息を吐いてから、キーボードに指を置く。
『こちらはペット用品のサポート窓口でございます。当社の製品に関する質問以外はお答えできません』
『今夜は無理ってこと?』
『恐れ入りますが、お問い合わせ先をお間違えのようです』
『むかつく』
見覚えのある、吐き捨てるような一言。
『大変申し訳ございませんが、他にご質問が無ければ終了させていただきます』
周囲を見渡すと、他のオペレーターたちも後処理を終え、次々と席を立ち始めていた。
陽菜が心配そうにこちらを見る。
私は「先に行ってて」と殴り書きしたメモを見せた。
陽菜は一瞬ためらったが、小さく頷くとオフィスを出て行った。
『ピンクのパンダ』
――え、なんて?
画面に叩きつけられた最後の一文。
〈切断されました〉
一方的に切られたため、画面からチャットウィンドウが消える。
『対応中』から『後処理中』のステータスへと変わった。
「朝倉さん、何かトラブル?」
上司に声をかけられハッとする。
「いえ、すみません。対応ログを残したら上がります」
カスタマーセンターは個人情報を扱うため、他の部署とは区切られたオフィスになっている。
気付けば私は最後のひとりだった。
ピンクのパンダって?
サクヤが残したキーワード。
いつだったか、記憶がふいによみがえる。
「なに、それ?」
「猫のおもちゃ。新商品のサンプルなの」
テーブルの上に置いたのは、小さなパンダのぬいぐるみ。
猫の爪や犬の牙にも耐えられるように、分厚い帆布でできている。
「あぁ、ペット用品の会社に入ったんだっけ?」
「うん。桃太郎に使ってみるんだ」
「なんか……ぶさいくだな」
思わず吹き出しそうになる。
この少し意地の悪い目つきが、どこかサクヤに似て見えたから。
「まだ試作段階で、色もこれから決めるんだって」
「パンダなら白黒だろ」
サクヤの髪、ピンクのメッシュに目が止まる。
「ピンクなんてどう?」
「は?」
サクヤが、わずかに眉をひそめる。
「ピンクのパンダ。かわいいじゃん」
「ふぅん」
サクヤはぬいぐるみを一瞥すると、すぐに視線を逸らした。
それだけの、どうでもいい会話だった。
――そうだ。それから少し経って、ゲームの「彼」がピンクのパンダを連れてきた。
対応ログには『窓口間違いの問い合わせ』と打ち込んだ。
勤怠システムで退勤を打刻し、シャットダウンする。
高層階の窓を叩く雨音が、オフィスに響いていた。




