8.オフ会の誘い
数日後、仕事から帰宅した私はPCの電源を入れた。
ステラ・クロノスのログイン画面を抜ける。マルタ遺跡の前で東洋風アバターの彼が、ピンクのパンダを連れて静かに佇んでいた。
『久しぶりだね』
『仕事で海外に行ってたから、忙しくてゲームできなかった』
『大変だね』
いつも通りの何気ない会話。
『この前はごめんね、ちょっと情緒不安定かもw』
私は自虐的な衝動に突き動かされたことを反省し、なんとなくキーボードを叩いた。
そのまま、軽く流してくれてよかったのに。
『オフ会しない?』
彼から送られてきたのは、これまでの数年間で一度も口にされたことのない言葉だった。
指先が止まってしまう。
『もしもーし?あれ、寝ちゃった?』
『ごめんね。ちょっと驚いたから』
『いや?』
画面の向こう側にいる、顔も本名も知らない人に会う。
そもそも、彼なのか彼女なのか、年齢だってわからないのに。
『会いたいけど――』
彼とは、もう何年もゲーム内で一緒に戦っている。
私は防御に特化した重装備。大型モンスターの素材を惜しげもなく使った装備で、正面から攻撃を受け止める。
敵の注意を引きつける、いわゆるタンク役だ。
一方で、彼は違う。
スタイリッシュな軽い装備でフィールドを駆け回り、敵の弱点を突いていく機動型。
私が受けて、彼が仕留める。そうやって、ゲームの中では連携して戦ってきた。
それがとても楽しい時間だった。
もし会ってしまったら、この心地よい幻想は音を立てて崩れてしまうだろう。
現実世界の寂しさを紛らわせてくれる、大事な世界なのに。
『今度の金曜日の夜はどう?』
『ごめん、金曜日は合コンだ』
『え?』
しまった、せめて飲み会と返せばよかったかも。
画面の中の彼が、目に見えて凍りついたように動かなくなる。
いつもなら機敏に反応するピンクのパンダも、主人の動揺に同期したのか、その場で小さく震えているように見えた。
『やっぱり、ゲームの中で仲よくしよう!』
私は強引に会話を閉じ、クエストのため遺跡の中へと入って行った。
難解なクエストに苦戦していると、テーブルの上でスマートフォンが震える。
『金曜の夜、こっち来れない?』
いつもどおりの、自分勝手な誘い。
音楽番組の生放送、dulcis〈ドゥルキス〉が出演するのは知っていた。
夜10時の放送終了後に来いというんだろう。
『この前の新作ゲーム、できるようになった』
いつもなら、どんなに傷ついていても、どんなに疲れていても「空いてるよ」と即答していた。
けれど私は、初めてその通知を左へスワイプし、未読のまま画面を伏せた。
――キスしたくせに!
どんな顔して会えばいいのか。
――なかったことになんて、できないよ。
画面の中では、強固な鱗を持つドラゴンが咆哮を上げている。
私の装備では到底、大した傷はつけられない。
いつもなら、タンク役として前線に立ち、仲間を守るために冷静に立ち回るはずなのに。
この日はどうにもむしゃくしゃして、死ぬのが分かっていて無謀に突っ込んでしまった。
『やられるぞ!下がれ!』
彼からの警告チャットが飛ぶ。
ピンクのパンダも必死にサポートを試みるが、暴走する私のHPは一瞬で削り取られていく。
結局、あっという間に戦線離脱。
『MISSION FAILED』
真っ暗な画面に文字が冷たく浮かんだ。
薄暗い部屋の中で、PCのファンが回る音だけが空虚に響いている。
現実のサクヤを無視し、ゲームの彼からも逃げ出した私は、一体どこへ向かえばいいのだろう。
そのまま、ログアウトしてベッドに倒れこんだ。
「にゃあ」
猫の桃太郎が、あきれたように鳴いた。
そして、翌朝。
『生きてるなら、スタンプひとつくらい返信よこせ、バカ』
深夜2時に届いていたメッセージに、返事ができないまま出社した。




