11.はじめてのキス
「じゃあ、次は『初めてキス、そのシチュエーションは?』だって」
陽菜が手元のスマホ画面を掲げた。
合コンお決まりの質問ゲームアプリ。さっきから、私には少しばかり毒の強い質問が続いている。
「俺は小春さんの話が聞きたいな」
サクヤ似らしい彼が、こちらを覗き込んでいる。
どうやら、ロックオンされているのは感じていた。
「うーん、披露できるような面白い話なんてないかな。陽菜はどうだった?」
「えっと~、わたしはね、高2の文化祭のあとに……」
ほろ酔いの陽菜が、待ってましたとばかりに楽しそうに語り始める。
その声を遠くに聞きながら、手元の結露したグラスを見つめた。
――初めてのキスも、最近のキスも、どっちも苦い。
そして、どっちも相手はサクヤだ。
高校生の頃。
あの日も、今日みたいに窓の外では雨が降っていた。
「え、ドラマに出るの? サクヤが?」
「……まあ、ちょい役だけどな」
芸能事務所に入ったばかりのサクヤは、どこか他人事のようにそう言った。
当時はまだお互いに実家暮らしで、電車で2駅ほどの距離。
今の都心の豪華なマンションとは対照的な、サクヤの家の6畳ほどの子供部屋。
「ダンスだけできればよかったんだけど、そうもいかないみたいだ」
床に座り込み、慣れた手つきで格闘ゲームのキャラクターを操る。
「そのうち、ドラマでキスシーンとかあるんじゃない?ファンが泣いちゃうね」
「なんだよ、それ。バカじゃねえの」
サクヤが鼻で笑う。
「高校入ってから、急に色気づいてんのかよ」
「そんなんじゃないよ」
「あ、もしかして彼氏でもできた?」
思わず操作を誤り、サクヤが繰り出した必殺技を真正面から受けてしまった。
「……え?」
「え?」
図星だった。
つい先日、学校の先輩に告白されて返事に迷っていた私は、動揺を隠しきれずに肩を震わせてしまった。
カタン、と乾いた音がした。
サクヤに突然手首を掴まれ、持っていたコントローラーを床に落としてしまう。
「な、なに……? 急に」
「練習、しとこうか」
「え?」
「キスの」
聞き返す間もなかった。
サクヤの指先が私の頬に触れ、そのまま強引に顔を引き寄せられる。
逃げ場のない狭い部屋。雨音だけが響く静寂の中で、彼の顔が視界を埋め尽くしていく。
心臓の音がうるさくて、耳の奥が熱い。
彼の手のひらの温度が、肌を通じてじわじわと体中に回っていくのを感じた。
けれど。
「……冗談だよ」
唇が触れそうな距離で、サクヤの動きが止まった。
至近距離でかかる、彼の熱い吐息。
けれど、それだけだった。
頭の中が真っ白になり、私は震える声を必死に絞り出した。
「冗談でも、練習とか……そういうの、よくないと思う」
「あっそ」
「ちょっと、なによその態度!」
「別に減るもんじゃないけどな」
サクヤは面白くなさそうに視線を逸らすと、床に落ちたコントローラーを拾い上げた。
何事もなかったかのように、また画面の中の偽物の世界に没頭し始める。
「撮影始まる前に、髪色を黒に戻さないとな。せっかく染めたのにさ」
彼の言葉のすべてに、深い意味なんてない。
あの時も、そして、ついこの前の夜の、あのキスも。
全部、彼の気まぐれに過ぎないのだ。
そのはずだった。
ダイニングバーの騒がしい喧騒の中で、私は空になったビールグラスを見つめる。
あの頃から、私はずっと彼の「練習台」や「暇つぶし」の枠から一歩も外に出られていない。
――減るもんじゃない、なんて。
私の心の大事な何かが削り取られて、こんなに苦しいのに――!




