戯言
チヒョンが歯磨きペーストのようなチューブを手にして戻ってきた。
「これを塗ると痣が残りにくいんだ。凄く効くから塗った方が良いよ」
私は起き上がり、チヒョンから塗り薬を受け取って蓋を開けた。ハーブの香りがする。少し指に取り、適当に首に塗ってみた。
「あ、見えないから塗りにくいよね」
チヒョンは私のいるベッドに上り、向かい合うようにして座った。
「貸して。塗ってあげる」
鏡を貸してくれるのかと思ったけど、素直にチヒョンに薬を渡した。
「顎、上に向けて」
言われたとおりにすると、チヒョンは私の首に少しずつ薬を塗り始めた。少しくすぐったいし、なんだか恥ずかしい。
「いゆは俺に気を使って一緒に帰って来たんだよね。なのにこんな目に遭わせちゃって」
「チヒョンのせいじゃないって」
「俺が守ってあげられなかったから」
「大丈夫。チヒョンが一緒にいてくれてよかった。だから気にしないで」
薬を塗るチヒョンを見ていたら目があって、彼は微笑んだ。これがホラールだったらきっと私は・・・なんて考えても、もう何も感じなくなった。あんなに好きだったのに、態度一つで見る目が変わってしまった。私の一方的な恋にもさようならだ。
首に薬を塗るのに近づく度に、チヒョンから良い匂いがする。ボディソープの匂いか、お姉さんに会う為に使った香水の匂いなのかは分からないが、これは薬の匂いではないし、地獄の住人の臭いとは似ても似つかない。
私はこの匂い好きだな。犬達は、何であんなに臭い地獄の臭いがするなんて言うんだろう。そんな事言わなければ、今でもみんな仲良しでいれたのに。
「チヒョン、良い匂いするね。全然地獄の臭いなんてしないよ」
「あははっ。サンキュ」
慰めで言ってると思ったかな。
「本当だよ。冗談じゃなくて」
「分かってる。はい、終わり。これあげるよ。多分明日にはその痣が消えていると思うけど、消えてなかったらまた塗ってみて」
「うん。ありがとう」
チヒョンは指に付いている薬を自分のお腹塗った。
「ねえ、前に、地獄の生き物は生まれ変わったら百パーセントの確率で何かを失うって言ったじゃない?て事は、生国で大けがした人や、家族を失ったり、何かしらの障害を持った人はみんなもともと地獄の人間だったって事?」
机に戻ろうと立ちあがったチヒョンがベッドの淵に座った。
「いゆって、生国にいた時、悪い事をした事ない?嘘をついたり、誰かの悪口を言ったり、分別をせずにゴミを捨てたとか」
「え・・・あるよ」
思い当たる節が多すぎて目を逸らして答えた。
「たとえ小さくても、それも罪なんだよ。生き物は必ず何かしらの罪を犯しながら生きている。だから、次の人生では必ず家族の死に直面したり、ついてない日があったりするんだ。そいう経験をするのは、地獄の住人だからと言うわけではなくて、それの代償。なんの悲しみも辛さも感じずに人生を終える事が出来る生き物なんていない。
神様はその人が乗り越えられない試練は与えないって言う人いるだろ?あれは生国の一般人が言ったただの戯言。神様は暇じゃないからわざわざそんな事はしない。自分のした事がそのまま戻ってきているだけなんだよ」
チヒョンが立ちあがった。
「ちょっと宗教じみた話になっちゃった。いゆは元々死国の人間だから安心して。疲れただろうし、もう寝た方が良いよ」
チヒョンは私を横にさせて布団をかけると「おやすみ」と言った。
なんだかお母さんみたい。ますます地獄の人間なんて信じられない。
目を閉じても、もう何も怖いとは感じなくなった。チヒョンの指がキーボードに触れる音が妙に心地いい。誰かが近くにいるって心強い。ろうそくのおかげか、塗り薬のおかげか分からないが、だんだんと眠くなり、私は眠りについた。




