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剣を捨てたい男爵令嬢は、冷徹王太子の心を【物理的に】射止めたい!  作者: 初 未来
第2章 夜会の遭遇と、奇妙な執着

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第7話 完璧な淑女の登場と、冷徹な視線

 王宮の大舞踏会は、まさに光と色彩の海だった。

 天井に並ぶ無数のクリスタルシャンデリアからは、魔導の柔らかな光が降り注ぎ、大理石の床を鏡のように磨き上げている。宮廷楽団が奏でる華やかな旋律に合わせ、色とりどりのドレスをまとった令嬢たちと、洗練された礼服、イブニングに身を包んだ貴族たちが、シャンパングラスを片手に談笑していた。


 その光の海へ、ついに彼女が足を踏み入れる。


「フローレンス男爵家が令嬢、エレノア・フローレンス様!」


 高らかな給仕係の呼び出しと共に、会場の視線が入り口へと集まった。

 次の瞬間、大舞踏会にふっと静寂が訪れる。


 そこに立っていたのは、淡いラベンダー色のシルクドレスをまとった、息をのむほどに可憐な少女だった。

 蜂蜜色の髪は美しく巻き上げられ、背中で優雅に揺れている。王都の最高級サロンで仕立てたドレスは、彼女が動くたびにそよ風に揺れる花びらのようにひらひらと舞い、その白磁のような白い肌をいっそう際立たせていた。

 誰もが「南方の田舎男爵家から、なんと美しい妖精が迷い込んできたのか」と目を奪われた。


 しかし、当のエレノアの脳内は、完全に「実戦モード」の緊張感に包まれていた。


(よし……!第一関門突破よ。視線が集まった瞬間の私の歩き方、時速一キロメートル以下の完璧な『おしとやかキャットウォーク』だったわね。お兄様たちに背後から奇襲された時のような筋肉の緊張をすべて解き放ち、私は今、生まれたての小鹿……そう、儚い小鹿なのよ……!)


 エレノアは、周囲の令嬢たちにバレないよう、細心の注意を払って浅い呼吸を意識していた。

 うっかり深く息を吸い込むと、実家で鍛え上げられた美しい大胸筋と背筋がコルセットを内側から破壊してしまう恐れがあるからだ。衣服の破壊だけは何としても避けねばならない。


 エレノアが優雅に、かつ慎重に会場を進んでいると、ついにその時がやってきた。


 会場の最奥。一段高くなった王座の前に、その男は立っていた。


 フェルナンド・アレクシス・オルティス。

 近くで見奉るその姿は、新聞の挿絵などとは比べ物にならないほどの、圧倒的な覇気と美貌を放っていた。

 光の加減でプラチナ色にも銀色にも見える美しい髪。すべてを見透かすような、冷徹で切れ味の鋭い琥珀色の瞳。仕立ての良い黒を基調とした礼服を着こなすその体躯は、無駄な脂肪が一切なく、一国の支配者としての気高さに満ち溢れている。


(……あ、頭がクラクラするわ。本物のスパダリだわ……!あの冷たい瞳で『君しか見えない』なんて言われたら、私、本当に気絶してしまうかもしれないわ!)


 エレノアは心の中で黄色い悲鳴を上げながら、フェルナンドの前へと進み出た。

 周囲の令嬢たちが固唾をのんで見守る中、エレノアはこれまでの人生で最も美しい、教科書通りの完璧なカーテシーを披露した。


 ドレスの裾をそっと持ち上げ、片足を斜め後ろに引き、上体をまっすぐに保ったまま膝を曲げる。

 風に揺れる一輪のラベンダーの花のような、あまりにも優雅な礼。


「フローレンス男爵が娘、エレノアにございます。フェルナンド殿下、このたびは栄えある夜会にお招きいただき、身に余る光栄に存じます」


 鈴を転がすような、完璧に作り込んだ可憐な声。

 よし、完璧。これで殿下は私に一目惚れ――。


 そう確信してエレノアが顔を上げた瞬間、彼女を出迎えたのは、フェルナンドの「ぞっとするほど鋭い一瞥」だった。


 フェルナンドは、ぴたりと静止したエレノアの姿勢を、頭の先からつま先まで、なめるように観察していた。

 彼の琥珀色の瞳の奥に、怪しげな光が灯る。


「……なるほど。君がエレノア・フローレンスか」


 フェルナンドの声は、低く、心地よく響くものの、どこか氷のような冷たさを孕んでいた。

 彼はゆっくりとエレノアに一歩近づくと、彼女にだけ聞こえるような低い声で、信じられない言葉を紡ぎ出した。


「見事なカーテシーだ。上体のブレが一切ない。……通常、それほど深く膝を曲げれば、ドレスの重みで重心がわずかに前後するものだが。君の体幹は、まるで地面に根を張る大樹のようだな。相当な修練を積んでいると見える。……良い足腰だ」


「……えっ?」


 エレノアは、思わず素の声が出そうになるのを必死で飲み込んだ。


(えっ?いま、殿下なんておっしゃったの?『ガラス細工のように繊細な君』とかじゃなくて、今、私のお尻から太ももにかけての筋肉(大臀筋と大腿四頭筋)の安定感を褒められたの……!?)


 あまりの衝撃にエレノアの脳が一瞬フリーズする。

 しかし、目の前の冷徹王太子は、微かにその端正な唇の端を釣り上げ、挑発するような笑みを浮かべていた。


「い、いえ……お戯れを、殿下」


 エレノアは引きつりそうな笑顔をなんとか維持し、慌てて両手を胸の前で合わせた。


「私は、風が吹いただけでもよろめいてしまうような、ただのか弱い田舎娘にございます。足腰が強いだなんて、そんな……お恥ずかしいわ。おほほ……」


「ふん。そうか」


 フェルナンドはそれ以上追及せず、フッと視線を逸らした。

 しかし、その瞳の奥にある「疑惑」の炎は、消えるどころか、獲物を見つけた猛獣のようにギラギラと輝き始めていた。


(この女……。完璧な淑女を演じているが、呼吸の乱れが全くない。これだけの視線に晒されながら、いつでも次の動作に移れる完璧な脱力状態を維持している。ただの男爵令嬢なわけがない――)


 フェルナンドの胸の内に、かつてないほどの奇妙な執着が芽生えようとしていた。

 そしてエレノアは、冷や汗を背中に流しながらも、未だポジティブな妄想を捨てきれずにいた。


(い、いまのはきっと、都会風のハイレベルな照れ隠しよ!そうに違いないわ!次こそは絶対に、私の儚さで殿下をノックアウトしてみせるんだから!)


 すれ違う二人の思惑。

 完璧な淑女と、冷徹王太子の命がけの恋愛は、ここからさらに加速していく。

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