第5話 都会の洗練されたお買い物、ただし精神は戦闘モード
巨大な城門をくぐり抜けたフローレンス家の馬車は、王都の目抜き通りを進んでいた。
窓の外には、石畳の道路の両脇に建ち並ぶレンガ造りの美しい建物、そして色鮮やかな看板がひしめき合っている。行き交う人々は皆、最新の流行を取り入れた衣服をまとい、領地の素朴な農民たちとは明らかに違う華やかさがあった。
「まぁ……。本当に、おとぎ話の国みたいだわ」
エレノアは窓にピタリと張り付き、目を輝かせた。
やがて馬車は、貴族街の一角にあるフローレンス家の別邸へと滑り込む。
普段は領地に引きこもっている一族ゆえに、数年ぶりに使われるその邸宅は、小ぢんまりとしてはいるものの、歴史を感じさせる落ち着いた佇まいだった。
「お嬢様、到着いたしました。まずは旅の埃を落とし、それから例の場所へ向かいましょう」
「ええ、頼むわね、マーサ。私の『運命の夜会』のための、本当のドレスを仕立てに行かなくては!」
数時間後。
すっかり身綺麗になったエレノアは、王都で最も格式高いとされる高級サロン『パピヨン・ローズ』の重厚な扉を叩いていた。
中に入ると、まばゆいばかりのシャンデリアが天井で輝き、壁にはため息が出るほど美しい絹織物が飾られている。
「いらっしゃいませ、フローレンス様。お待ちしておりました」
現れたのは、洗練された身のこなしの女性店主だ。
エレノアは事前に実家が予約しておいた特別室へと通される。そこには、夜会用として大まかに形作られた、最高級のシルクドレスのサンプルが用意されていた。
「まぁ、素敵……!」
エレノアがその淡いラベンダー色のドレスに見とれていると、背後からクスリと、どこか刺のある上品な笑い声が聞こえてきた。
「あら、珍しいお方がいらっしゃること。フローレンス男爵家といえば、確か南方の……あのごつい、武骨な領地のかたかしら?」
振り返ると、そこにはいかにも「都会の公爵令嬢」といった風情の、縦ロールの髪を揺らした少女が、二人の知人の令嬢を連れて立っていた。彼女の胸元には、名門マルキーズ公爵家の紋章が輝いている。
(出たわ……!本物の都会のいじわる令嬢よ……!)
エレノアの胸に、かつてない感動が突き抜けた。
領地には、朝から自分に木刀を振り下ろしてくる筋肉質な兄たちしかいなかった。それに比べて、なんと洗練された、嫌味なポーズだろう。扇を口元に当て、目を細めて見下ろしてくるその仕草は、まさにエレノアが絵本で読んだ「都会の社交界」そのものだった。
「初めまして、マルキーズ公爵令嬢とお見受けいたします。フローレンス家のエレノアにございます」
「ふん。挨拶だけは一人前のようね。でも、フローレンス男爵領のお水は、ずいぶんと『鉄の味』がすると聞き及んでいますわ。そんな泥臭い土地の令嬢が、フェルナンド殿下の夜会にどのようなドレスを着ていくおつもりかしら?まさか、騎士の鎧でも着て踊るのではなくて?」
取り巻きの令嬢たちが「おほほ」と上品に笑う。
普通の田舎の令嬢なら、ここで恥ずかしさに顔を赤くして涙ぐむところだろう。
しかし、エレノアの脳内変換フィルターは、常人とは決定的に異なっていた。
(素晴らしいわ……!なんてお上品な煽り方かしら!『鉄の味』だなんて、比喩表現がとっても文学的!お兄様たち普通の会話なら『おいエレノア、今朝はどっちの敵の首をへし折る?』だもの。都会の女の子の会話は、なんて儚くて可愛いのかしら!)
エレノアはマルキーズ公爵令嬢の手をガシッと握りしめたい衝動を必死に抑え、完璧な「守られヒロイン」の顔を作った。瞳をわずかに潤ませ、痛みに耐えるように胸元に手を当てる。
「……まぁ、マルキーズ様。私のような至らない田舎娘をお気にかけてくださるなんて、なんてお優しいのでしょう。おっしゃる通り、私は不器用で、風が吹けば倒れてしまうようなか弱い身。王都の洗練された皆様の足元にも及びませんわ……」
儚げに微笑むエレノア。
そのあまりにも完璧な「被害者」の演技に、マルキーズ公爵令嬢は一瞬、毒気を抜かれたように言葉を詰まらせた。
「え、ええ……?分かっているなら、身の程をわきまえることですわ。……さあ、私達はあちらの最新作を見に行きましょう」
どこか調子を狂わされた様子で、公爵令嬢たちは去っていった。
それを見送りながら、エレノアは心の中で小さくVサインを掲げる。
(勝ったわ。都会の言葉のキャッチボール、完全に私の勝ちね。この調子で、おしとやかな令嬢の座を不動のものにしてみせるわ!)
その後、エレノアは店主に向き直り、きっぱりと告げた。
「店主。このドレス、裏地に金属ワイヤーは入っていなくて?パニエにナイフを仕込む隙間も不要。本当に、ただの柔らかくて、触れたら破れてしまいそうな、最高のシルクだけで仕立ててちょうだい」
「……かしこまりました、エレノア様。本当に……よろしいのですね?」
なぜか店主が、まるで戦場に丸腰で赴く戦士を見るような悲壮な目で確認してきたが、エレノアは力強く頷いた。
完璧なドレスの採寸を終え、大満足で別邸へと戻ったエレノア。
しかし、彼女の知らないところで、王都の裏社会、そして王宮の影は、静かに動き始めていた。
◇
その日の夜。
王宮の最奥、フェルナンド王太子の執務室。
暗闇が支配する室内に、パチパチと暖炉の火だけが赤く揺れている。
フェルナンドは、机の上に置かれた一枚の報告書を指先でトントンと叩いていた。それは、今日王都の検問所で起きた「ある奇妙な事件」の記録だった。
「……重量超過の異常な馬車。近衛兵のベテラン隊長を、一瞬で骨抜きにした男爵令嬢」
フェルナンドの唇が、冷ややかに、しかし確かに愉しげに弧を描く。
「フローレンス家のエレノア。面白いな。我が国の近衛兵は、ただの『か弱い令嬢の涙』で検問をスルーするほど無能ではないはずだが。……一体、どのような魔術を、あるいは『技』を使った?」
彼は立ち上がり、窓の外に広がる王都の夜景を見下ろした。
退屈極まりない社交界に、突如として現れた、計算の合わない存在。
冷徹な王太子の心に、小さな、しかし消えない好奇心の火が灯っていた。




