第4話 見上げる城門と、都会の洗練された風
広大な平原を一本の帯のように貫く中央街道を、フローレンス男爵家の馬車は進む。
道中、エレノアの「人知れぬ指先無双」によっていくつかの魔獣の群れが人知れず消滅したものの、表面上は極めて平穏な、のどかな旅路であった。
そして三日目の午後。
地平線の向こうから、ついにそれは姿を現した。
「お嬢様、見えてきましたぜ。あれが王国の心臓、王都グラン・オルティスの外壁です」
御者台からトムが弾んだ声を上げる。
エレノアは馬車の絹のカーテンをそっと引き、窓の外を覗き込んだ。
「……まぁ」
思わず、小さな感嘆の息が漏れる。
そこにあったのは、自然豊かなフローレンス領ののんびりとした景色とは完全に一線を画す、圧倒的な「人工の要塞」だった。
見上げるほどの高さを誇る白亜の城壁が、どこまでも果てしなく左右へと伸びている。太陽の光を浴びて鈍く輝く魔導結界の微光が、その壁の随所に走っており、一国の首都としての威厳と、絶対に侵入者を許さないという拒絶の意思を感じさせた。
馬車が近づくにつれ、城門へと続く並木道は、各地から集まった無数の馬車で埋め尽くされていく。
商人たちの荷馬車、遠方の領地からやってきた貴族たちの華やかな馬車。それらが、巨大なアーチ状の検問所に吸い込まれるようにして、何重もの列をなしていた。
(すごいわ……。これが、私の新しい人生が始まる舞台なのね)
エレノアは胸をときめかせ、ぎゅっと両手を組み換えた。
だが、周囲の馬車を観察していくうちに、彼女の蜂蜜色の眉が徐々に困惑へと歪み始める。
(……あら?何かおかしいわ。気のせいかしら?)
隣のレーンに並んでいるのは、どこかの伯爵家のものらしき、金色の細工が施された豪奢な馬車だった。
その窓からは、いかにも都会の洗練された空気をまとった令嬢が、退屈そうに扇で顔を仰いでいる姿が見える。その細い首、白磁のような肌、そして何より――今にも風に吹き飛ばされそうな、儚げな佇まい。
ひるがえって、自分の乗っているフローレンス家の馬車を見る。
(……黒い。そして、ものすごく厚みがあるわね)
エレノアは今更ながら、実家の馬車の異常性に気づいた。
マーサが「普通の馬車です」と言い張っていたそれは、都会の華美な馬車に比べて、二回りは頑強に作られていた。外装には、美観を損ねない程度にカモフラージュされた「装甲板」が仕込まれており、車輪の軸受けにいたっては、地竜の骨を削り出した超高強度のパーツが使われている。
周囲の馬車が『蝶』のように華やかにひらひらと舞っている中、フローレンス家の馬車だけが、まるで戦場に突撃する『装甲車』のような武骨なオーラを放っていた。
「ねえ、トム。うちの馬車、ちょっと周囲から浮いていないかしら?あそこのご令嬢が、さっきから何度もこちらを怪訝そうな目で見ていらっしゃるんだけど……」
「ははは、お嬢様、気にする必要はありませんよ。王都の軟弱な馬車どもは、見た目ばかり派手で、ちょっとイノシシが衝突しただけで大破しますからな。我がフローレンス家の誇るこの『アイアン・ローズ号』なら、地竜の突撃にも三回までは耐えられます!」
「だから、そんな耐久力は夜会に行く令嬢には必要ないのよ……!」
エレノアは頭を抱え、なるべく隣の馬車の視線に入らないよう、椅子の奥へと身を沈めた。
隠しきれない実家の「戦闘狂」のセンスが、王都の入り口という公の場で、すでに彼女の「完璧な淑女計画」に静かな一撃を与えていた。
やがて、フローレンス家の馬車の番が回ってきた。
検問所に立つのは、銀色の鎧に身を包んだ王都の近衛兵たちだ。彼らは鋭い目つきで馬車の紋章を確認し、それから御者台のトムへと声をかける。
「フローレンス男爵家だな。通行証の提示を」
「へい、こちらに」
トムが羊皮紙の書類を差し出す。兵士はそれを厳格な態度でチェックしていたが、ふと、馬車の足回りに目を留めた。
兵士の目が、一瞬にしてプロのそれへと変わる。
「……おい。この馬車、車軸の補強が尋常ではないな。それにこの重量感……中に何を積んでいる? まさか、中央への無届けの重兵器の持ち込みではあるまいな」
「へっ!?い、いや、滅相もない!ただの田舎の男爵家ですんで、荷物が少し多いだけでして……」
トムが珍しく冷や汗を流す。
兵士たちの間にピリピリとした緊張が走り、数人がかりで馬車の周囲を取り囲み始めた。
(しまっ、たわ……!お兄様たちが仕込んだ防刃ドレスとか、チタンの扇を完全に没収しておかなかったから……!?)
馬車の中で、エレノアの心臓が激しく鳴る。
ここで馬車を解体でもされたら、フローレンス家の「異常な武装」が白日の下に晒されてしまう。そうなれば、「か弱い令嬢」としての夜会デビューはおろか、危険思想の持ち主として王宮からブラックリストに載せられかねない。
エレノアはゴクリと唾を飲み、覚悟を決めた。
(やるしかないわ。私の、完璧な『おしとやかスキル』を発動させるのは、今よ……!)
エレノアはそっと馬車のドアを開け、ゆっくりとステップを踏んで外へと降り立った。
その瞬間、周囲の空気がふわっと変わったような錯覚を、近衛兵たちは覚えた。
現れたのは、蜂蜜色の髪を揺らし、薄ピンク色のドレスをまとった、息をのむほど可憐な少女。
彼女は、まるで触れれば壊れてしまうガラス細工のような、怯えた瞳で近衛兵たちを見上げた。そして、胸の前で小さく両手を合わせ、鈴を転がすような、かすれがちな声で話しかけた。
「……あの、騎士様。フローレンス家のエレノアと申します。私の馬車に、何か不手際がございましたでしょうか……?長旅に不慣れなもので、このように大勢の方に囲まれますと、その……胸が苦しくなってしまって……」
エレノアは、完璧な角度でまつ毛を伏せ、わざとらしく、しかし最高に自然に、自分の華奢な胸元へ手を当てた。
その姿は、都会のいかなる劇団の女優よりも「か弱く、守るべき深窓の令嬢」そのものだった。
「あ、いや……これは失礼いたしました、フローレンス様」
先ほどまで鋭い目をしていた近衛兵の隊長が、あからさまに頬を染め、慌てて姿勢を正した。
後ろに控えていた若い兵士たちにいたっては、「おい、なんだあの可愛い令嬢は……」「天使か?」と小声でザワついている。
「怪しい荷物などではございませんの。実家の父や兄たちが、私が王都で寂しくないようにと、領地の甘いお菓子や、刺繍の道具を……たくさん、たくさん詰め込んでくれたものですから、それで重くなってしまって……。お疑いでしたら、どうぞ中をお調べくださいませ」
エレノアは、うるうるとした瞳で隊長を見つめた。
「疑うわけがないだろう!」という無言の圧力を、その可憐さだけで叩きつける。
「い、いえ!フローレンス男爵家の忠誠心はかねてより聞き及んでおります! これ以上の検査は不要です。……長旅でお疲れのところ、お引き止めしてしまい申し訳ありませんでした。どうぞ、王都へお入りください!」
隊長はビシッと敬礼し、部下たちに道をあけるよう指示した。
「ありがとうございます。騎士様の優しさに、救われましたわ」
エレノアは完璧な、そよ風のようなカーテシーを披露し、再び馬車へと戻った。
パタン、とドアが閉まった瞬間。
「シャアッ!!!」
馬車の中で、エレノアは音を立てずに全力のガッツポーズを繰り出した。
(見たかしら!?私のこの、完璧な『儚げ令嬢演技』!王都の精鋭である近衛兵すら、私のこの可憐さの前に一瞬でひれ伏したわ!これならフェルナンド殿下のハートなんて、瞬殺もいいところね!)
馬車がゆっくりと城門をくぐり、王都の賑やかな市街地へと入っていく中、エレノアは自らの「淑女としての才能」に絶対の自信を深めていた。
まさか、その検問所での近衛兵たちの「一連の報告(不自然に重量のある馬車と、それを一瞬で丸め込んだ奇妙な男爵令嬢の存在)」が、その日の夕方にはすでに、王太子フェルナンドの机の上に届くことになるとは知らずに――。




