第24話 冷徹王太子の「最高の淑女」へのプロポーズ
「おわりだわ……」
王宮の最奥、一般の貴族は立ち入ることすら許されない「白銀の謁見の間」。
重厚な大理石の扉が開いた瞬間、エレノア・フローレンスは、まるで処刑台へと向かう罪人のような、悲壮極まる面持ちで一歩を踏み出した。
今日のドレスは、一切の華美なフリルを排した、深いネイビーブルーの夜会服。ハチミツ色の美しい髪も、いつもより低めの位置で厳かにまとめられている。
(……完璧だわ。これこそ、すべてを失い、静かに王都を去りゆく『悲劇の没落令嬢』にふさわしい、完璧な終活コーディネートですわ)
エレノアは心の中で、とめどなく流れる血の涙をぬぐっていた。
前方の高座には、いつもと変わらぬ端正な容姿に、最高位の礼服をまとったフェルナンド王太子が座っている。その隣には、相変わらず胃が痛そうな顔をした筆頭側近のシド・ヴァレンタインが、何やら厳重に封印された羊皮紙を抱えて控えていた。
(あの羊皮紙が……私の婚約破棄と、南部のお山への強制送還命令書ね。ああ、殿下。お会いした瞬間に『このゴリラ女、二度と私の前にツラを出すな』って冷たく罵られる覚悟はできておりますわ。せめて最後は、フローレンス家の誇りにかけて、おしとやかに泣き崩れてみせますわ!)
エレノアはフェルナンドの前まで進み出ると、完璧な角度のカーテシーを披露した。その所作は、あまりにも洗練されており、一寸の乱れもない。
「――エレノア・フローレンス、お呼び出しにより参上いたしました、フェルナンド殿下。此度の狩猟祭におきましては……私の、その、はしたない……お上品ではない暴挙を皆様の前でお晒ししてしまい、誠に、誠に申し訳ございませんでしたわ。どのような処分もお受けいたします……」
エレノアは、ハチミツ色の瞳にうるうると涙を溜め、今にも消え入りそうな声で頭を下げた。これで婚約は完全終了。明日からは熊の肉を干す生活だ――そう確信し、彼女がギュッと目を閉じた、その時だった。
「……何を言っているんだ、エレノア」
高座から、衣服の擦れる音が聞こえた。
フェルナンドが、ゆっくりと階段を降りて、エレノアの目の前まで歩み寄ってきたのだ。
エレノアが恐る恐る顔を上げると、そこにいた冷徹王太子は――なんと、その端正な顔を、これまでにないほど赤く染め、琥珀色の瞳を信じられないほどの熱量で爛々と輝かせていた。
「で、殿下……?」
「処分だと?暴挙だと?お前は一体、何を勘違いしているんだ。……シド、例のものを読め」
「は、はいっ!」
シドが慌てて抱えていた羊皮紙の封印を解き、朗読し始めた。
「フローレンス男爵令嬢エレノア。此度の王都狩猟祭における魔獣大発生の危機に際し、単騎にて古代の災厄『ベヒモス』を含む数千の敵を蹂躙――ゴホン、駆除し、王太子殿下の御命、ならびに我が国の最高貴族数百名の命を救った、救国の英断を称え……」
シドが書類を読み上げる中、フェルナンドは、あろうことかエレノアの前に、完璧な宮廷作法をもって――そっと片膝を突き、跪いた。
「へ……?」
エレノアの思考が、完全に停止した。
王太子が、一介の男爵令嬢に対して跪くなど、王国の歴史上、ただの一度もあり得ない異常事態だった。
「エレノア。私はあの日、お前のあの神々しいまでの姿を見て、魂を完全に奪われた」
フェルナンドは、エレノアの白く、しかし握力80キロを秘めた右手をそっと両手で包み込み、狂おしいほどの愛着を込めてその甲に唇を寄せた。
「自らのドレスを引き破り、私の危機に一陣の風となって駆けつけ、大剣一振りで世界を平伏させたあの瞬間のお前は……誰よりも気高く、誰よりも気風が良く、そして、息が止まるほどに美しかった」
「は、はひ……!?う、美し……え!?」
「お前は自分の武力を『はしたない』などと卑下するが、そんなわけがないだろう。己の力に溺れず、愛する者のためにすべてをかなぐり捨てて戦える女を、人は『戦女神』と呼ぶのだ。他家のお上品ぶった無能な令嬢どもなど、お前の足元にも及ばない。お前こそが、我が国の王妃にふさわしい、最高の、極上の『淑女』だ」
フェルナンドの琥珀色の瞳は、もはや疑惑や冷徹さなど微塵もなく、エレノアという「美しくも強靭な怪物」に対する、底なしの独占欲と溺愛で完全に満たされていた。
「エレノア・フローレンス。もうおしとやかな猫をかぶる必要はない。そのままでいい。その圧倒的な暴虐の美しさを持ったまま、私の妻になってくれ。一生、私の隣で、その規格外の愛を私だけに注いでほしい」
「………………はえ?」
謁見の間に、エレノアの間の抜けた声が響き渡った。
彼女の脳細胞は、現在の状況を処理しきれずに完全にフリーズしていた。
(……ちょっと待って。殿下はいま、何ておっしゃったの?怒ってない?婚約破棄じゃない?むしろ『ドレスを破ってベヒモスを解体した姿が最高にセクシーで戦女神みたいだったから、そのままのゴリラ姿で俺の妻になれ』って、世界一甘い声でプロポーズされたの……!?都会のスパダリの癖、歪みすぎじゃないかしらァァァ!!!)
エレノアは顔を真っ赤にして、恥ずかしさと衝撃で卒倒しそうになっていた。
だが、フェルナンドの目は、どこまでも本気だった。
「……どうした、エレノア。受けてはくれないか?」
少しだけ不安そうに首をかしげる王太子の美貌は、破壊力抜群だった。
「あ、う……お、お受けいたしますわぁぁぁ!!!」
エレノアはパニックになりながらも、本能的にそのプロポーズを承諾していた。こうして、勘違いの絶望から一転、エレノアのお妃ライフは、まさかの「全面解禁」という驚愕の方向で継続することになったのである。
しかし、フェルナンドの「歪んだ愛の情熱」は、これだけでは終わらなかった。
「素晴らしい。……ではエレノア。我が妻となるための、最後の『最終試練』を執り行おう」
フェルナンドは不敵に笑い、立ち上がった。
「へ?最終試練……ですか?」
「ああ。……私と、全力で手合わせをしてもらう」




