第23話 お山へ帰ります……絶望の引きこもり令嬢
「……おしまいだわ。私の人生、完全に幕を閉じてしまいましたわ」
王都にあるフローレンス男爵邸の広々とした自室で、エレノア・フローレンスは、魂が口から半分飛び出したような顔でベッドの端に腰掛けていた。
ハチミツ色の美しい髪は、数日間ブラッシングをしていないかのようにボサボサ。いつもなら凛と伸びている背筋は、今や収穫を終えたばかりの熟しきった稲穂のように、ガックリと深く折れ曲がっている。
あの忌まわしき――いや、エレノアにとっては人生の終わりを告げた「王都狩猟祭」の魔獣大発生事件から、すでに三日が経過していた。
「見てちょうだい、マーサ。この、都会の華やかな流行をすべて詰め込んだ、私の愛しいドレスたちを……。これを着て、フェルナンド殿下と手を携えて、優雅に夜会のバルコニーでシャンパンを傾けるのが私の夢でしたの。それなのに、それなのに……っ!」
エレノアは、クローゼットにかかったパステルカラーのドレスたちを抱きしめ、大粒の涙をポロポロと床にこぼした。
「すべては、あのドブイノシシのせいですわ!あやつが殿下を踏み潰そうなんて不届きな真似をするから、私がちょっと、ほんのちょっとだけ、ドレスをビリビリに破いて、重さ五十キロの鉄塊を振り回して、そのへんの魔獣を何百匹かミンチにして、ベヒモスの首を大地に叩きつけて骨折させてしまったじゃないの!!!」
「お嬢様、落ち着かれませ。声の気迫だけで部屋の窓ガラスが振動してございます」
隣で旅の荷造りを進めていたメイドのマーサが、淡々と、しかし手際よくトランクに衣類を詰め込みながら声をかけた。
「落ち着いていられるわけがないでしょう!?見られてしまったのよ!殿下だけじゃない、都会の軟弱な……いえ、都会の高貴な貴族様たち数百人の前で、私の『フローレンス流一刀術・奥義山颪』の、一番エグい全力が大公開されてしまったのよ!今頃、王宮では『フローレンスのゴリラ令嬢』『ドレスを脱ぐと山をも砕く戦闘狂』って噂が、音速レベルの速さで拡散されているわ!!」
エレノアは頭を抱えてベッドに突っ伏した。
(終わったわ。完全に終わったのよ。殿下だって、最後は完全に呆然とされていたもの……。あんな、お上品な王子様が、ドレスを引き破ってスパッツ姿で魔獣を虐殺するような女を、お妃に迎えてくれるはずがないじゃない。今日か明日には、地獄のような冷たい文字で書かれた『婚約破棄および南部への強制送還命令書』が届くに決まっているわ!)
「ああ、お山へ帰るのね……。またお兄様たちと、夜食のラーメンのチャーシューを賭けて、ガチの果し合いをする日々に逆戻りだわ……。さようなら、私のきらきらした都会のスパダリライフ……」
――バァン!!!
エレノアがシクシクと泣いていると、部屋の扉が 勢いよく蹴破られた。
「がーっはっはっは!エレノア!何をシケた面をしておるか!」
現れたのは、フローレンス男爵家の現当主であり、歩く要塞の異名を持つ父バルト。そして、筋骨隆々の長男ライナスをはじめとする兄たちだった。彼らはなぜか、朝っぱらから最高級の高級酒のボトルを抱え、顔を真っ赤にして大宴会の真っ最中だった。
「お父様、お兄様……。ノックくらいしてくださいまし。私は今、人生の敗戦処理で忙しいのですわ」
「敗戦処理だと?バカを言うな!」
兄のライナスが、エレノアの肩をバシバシと力強く叩いた。その衝撃だけで普通の令嬢なら脱臼しかねない強さだが、エレノアの強靭な肉体はビクともしない。
「お前は、我が国の次期国王である王太子殿下を、古代の災厄から単騎で救い出したのだぞ!今や我がフローレンス家の名声は王都の裏社会……いや、表の貴族社会でもうなぎ登りだ!領地からは『若お嬢様が都会の生ぬるい魔獣を皆殺しにしたぞ!』と、領民たちが総出で祝賀の踊りを踊っていると早馬が来た!」
「誰もそんなバイオレンスな名声求めてないわよ!!! 私は『まぁ、殿下お強いのね♡』って守られるハチミツ色の小鳥になりたかったの!!なのに何よ、皆殺しって!祝賀の踊りって!ますますゴリラ扱いが強固になってるじゃないの!!」
エレノアが枕を投げつけると、枕は音速を超えて壁に激突し、粉々に砕け散った。
「まぁ良いではないか。武を重んじる我が一族にとって、これ以上の誉れはない。さぁ、お前もこの熊の足の燻製を食って、元気を出すのだ!」
父バルトが、どこからどう見てもお上品な令嬢の部屋にはふさわしくない「巨大な肉塊」を差し出してきたその時。
コンコン、と部屋の入り口に、男爵邸の執事が青ざめた顔で立っていた。
「……失礼いたします。エレノアお嬢様。王宮より、フェルナンド王太子殿下の筆頭側近、シド・ヴァレンタイン侯爵が、直々の『御触れ書』を携えてお見えにございます」
部屋の空気が、一瞬で凍りついた。
(……つ、ついに来たわ)
エレノアはゴクリと唾を飲み込んだ。
「おお、ついに恩賞の間への呼び出しだな!」
父と兄たちは呑気に盛り上がっているが、エレノアには分かる。これは恩賞などではない。公式な「婚約破棄」と、王都からの「実質的な追放令」に違いないのだ。
エレノアは、残された中で最も地味で、しかし最も仕立ての良い、墨染めの夜空のような、落ち着いたネイビーブルーのドレスに身を包んだ。せめて最後くらいは、王太子の婚約者候補だった者として、完璧におしとやかに、エレガントに、破滅を受け入れようと心に決めたのだ。
「――お嬢様、行ってらっしゃいませ。万が一の際は、我ら一族一同、いつでも王宮の門をへし折る準備はできております」
「だから絶対に門をへし折らないで頂戴ね!!!」
実家の男たちの不穏すぎる応援を背に受けながら、エレノアは、運命の審判が待つ王宮へと、馬車を走らせるのだった。そのハチミツ色の瞳には、悲壮なまでの「覚醒した淑女」の覚悟が宿っていた。




