第22話 蹂躙、そして「完全終了よ……」
――フローレンス流一刀術、奥義・『山颪』。
天高くから急降下するエレノアの放った一撃は、もはや剣の一振りの域を超え、神の鉄槌そのものだった。
白銀の闘気を極限まで纏った大剣が、古代ベヒモスの脳天へと垂直に突き刺さる。
ドガァァァァァァンッ!!!!
鼓膜を引き裂くような大爆音とともに、大地がアリの巣のようにつき崩れ、周囲数百メートルにわたって強烈な衝撃波が吹き荒れた。ベヒモスの鋼の皮膚は一瞬で爆砕し、その巨躯は地脈の底へと力尽くで叩きつけられる。
森を覆っていた漆黒の隔離結界さえも、その凄まじいエネルギーの余波に耐えきれず、まるでガラス細工のようにパリン、パリンと音を立てて木っ端微塵に砕け散っていった。
光が、戻ってくる。
漆黒の闇が払われた王定の森に、再び美しい夕暮れの琥珀色の光が差し込んだ。
ドサァァァ……。
山のような巨獣が、完全に物言わぬ肉塊となって、地響きを立てて横たわる。
静寂が支配する戦場の中心。大量の魔獣の屍が築いた山の頂で、エレノアは重い鉄の大剣を肩に担ぎ、ゼェゼェと肩を荒く揺らしていた。
引き破られたドレスの裾から覗く、黒のスパッツに包まれたしなやかな太もも。
蜂蜜色の髪は野生的に乱れ、返り血を浴びたその姿は、まさに戦場を蹂躙し尽くした圧倒的な「覇王」のそれであった。
「がーっはっは!見事だエレノア!流石は我が娘、都会のドブイノシシなど一撃であったな!」
結界が壊れたことで、後方から猛スピードで駆けつけてきた父バルトと兄ライナスたちが、大満足の笑顔で拍手を送っている。
その声で、エレノアの脳細胞が、限界を超えた戦闘モードから一気に現実に引き戻された。
(……あれ?いま、結界が割れて、夕日が綺麗に見えているわね。ということは……)
エレノアは恐る恐る、背後を振り返った。
そこには、折れた宝剣を手に、衣服をボロボロにしたフェルナンド王太子が佇んでいた。
さらに、結界の消滅とともに救出へ駆けつけた、側近のシドをはじめとする数百人の近衛騎士たち、そして避難していた他家の大貴族や令嬢たちが、全員、化石のように硬直してこちらを見つめていた。
静まり返る森。
誰も、一言も発することができない。
それもそのはずだ。彼らが見たのは、王太子妃内定と噂されるお上品な男爵令嬢が、「キェェェェイ!」と雄叫びを上げながらドレスを自らビリビリに引き破り、重さ五十キロの鉄塊を振り回して、国家転覆級の災厄を素手同然で解体した現場なのだから。
「あ……」
エレノアの顔から、すうっと血の気が引いていった。
(や、やっちゃったわ……。完全に、やらかしてしまいましたわ……)
脳裏に、これまでの血の滲むような「お妃教育」の日々が走馬灯のように駆け巡る。
スープに毒を入れられてもお上品に微笑み、大理石が落ちてきても優雅に回避し、必死に築き上げてきた『可憐で無知な、守ってあげたくなるおしとやか令嬢』のメッキが、今、ドレスの布切れと一緒に、跡形もなく消え去ってしまった。
(終わった。私のお妃様ライフ、今この瞬間をもって完全終了よ……!!!)
「う、うそ……。私、私はただ、虫が飛んできたから、ちょっと大きなピコピコハンマーを振っただけで……お、おほほ……ほ……」
エレノアは引きつった笑顔を浮かべようとしたが、周囲の貴族たちは「ひっ!」と短く悲鳴を上げて一歩下がった。もはや誰も、彼女を人間として見ていない。完全に『フローレンスの歩く天災』を見る目だった。
「あああ……もうお嫁に行けないわ……。南部のお山に強制送還されて、一生お兄様たちと熊を狩って暮らすんだわ……!!」
絶望のどん底に突き落とされたエレノアは、ついにガクガクと膝を震わせ、その場にガッカリと膝をついて、両手で顔を覆って泣きそうになってしまった。世紀末の覇王のような戦闘力を見せた直後の、あまりにも哀れな「完全敗北」のポーズであった。
一方。
そんなエレノアの絶望の姿を、フェルナンド王太子は、折れた剣を握ったまま――完全に、呆然とした表情で見つめていた。
彼の琥珀色の瞳は、これまでにないほど大きく見開かれ、その端正な顔はピクリとも動かない。
「で、殿下、大丈夫ですか!?フローレンス様のあの狂暴さ、やはり即刻婚約をお辞めいただかなければ、殿下のお命が――」
側近のシドが青ざめて駆け寄ってくるが、フェルナンドの耳には届いていなかった。
(……あそこまで、なのか)
フェルナンドの脳裏には、夕日を背に浴びてドレスを破り捨て、一切の迷いなく自分を救うために世界を蹂躙した、あの美しくも苛烈なエレノアの姿が、鮮烈な焼き付きとなって離れなくなっていた。
呆然と立ち尽くす冷徹王太子。
そして、屍の山の上で「私の淑女ライフがぁ……」と頭を抱えて絶望するゴリラ令嬢。
王都狩猟祭の惨劇は、一人の少女の圧倒的な武力によって幕を閉じたが、二人の婚約関係は、これ以上ないほどの「限界突破」を迎えたのであった。




