第21話 ドレス破砕!小鹿の令嬢の大覚醒
「――ここまで、か」
森の最深部。王太子フェルナンドは、無数に転がる魔獣の屍のただ中で、折れた宝剣を地面に突き立て、かろうじてその身を支えていた。
プラチナ色の美しい髪は泥と返り血に汚れ、呼吸はひどく荒い。
彼の目の前にそびえ立っていたのは、山を思わせる漆黒の巨躯を持つ、災厄の化身――『古代ベヒモス』。
地脈の呪いによって狂暴化したその巨獣は、フェルナンドが放った最高位の魔力斬撃すら、その鋼の皮膚で容易く弾き返してみせた。地響きを立てて迫り来るベヒモスの巨大な前足が、今まさに、限界を迎えた王太子の頭上へと振り下ろされようとしていた。
フェルナンドは死を前にしながらも、その琥珀色の瞳の奥で、傲然と不敵に笑っていた。
(……フッ、私の運命もここまでか。だが、悔いは――)
彼が静かに目を閉じようとした、その刹那だった。
――結界に閉ざされた空間そのものを激しく震わせる、凄まじい「風切り音」が、天から轟いた。
「――キェェェェエエエーーーイッ!!!!!」
それは、可憐な少女のものとはおよそかけ離れた、大気を力尽くで引き裂くような、フローレンス一族秘伝の苛烈なる「戦吼」。
ドゴォォォォォンッ!!!!
すさまじい衝撃波とともに、フェルナンドとベヒモスの間に、一筋の閃光が突き刺さった。
あまりの着地の衝撃に、周囲の直径数メートルもある白樺の巨木がドミノのようにバキバキとへし折れ、爆風が土煙を巻き上げる。
「な……っ!?」
フェルナンドが驚愕に目をみはる中、土煙の向こうから、一人の「戦女神」が姿を現した。
そこにいたのは、エレノア・フローレンスだった。
しかし、その姿は普段の「おしとやかな令嬢」のそれとは、あまりにもかけ離れていた。
「動きを邪魔するフリルなんて、戦場には必要ありませんわ!!!」
エレノアは凛とした声で言い放つと、高級シルクで仕立てられたペパーミントグリーンのドレスのスカートを、自らの両手で「ビリビリビリィッ!!!」と容赦なく引き裂いた。
飛び散る繊細なレース。引き破られた布地の下から露わになったのは、実家で特訓する際に愛用している、極薄ながらも強靭な黒のインナースパッツに包まれた、引き締まった美しい太ももだった。
夕闇のわずかな光を浴びて、彼女のハチミツ色の髪が、まるでオーラを纏うように美しく逆立つ。その瞳には、もはや猫かぶりの欠片もない。戦場を支配する、苛烈で、圧倒的で、そして恐ろしいほどに美しい「武の絶対強者」の輝きが宿っていた。
エレノアは、兄から受け取った重さ五十キロは下らないであろう重厚な鉄製のグレートソードを、まるで一本の指揮棒であるかのように右手一本で軽々と掲げた。
「我が婚約者に、その汚い前足を向けた罪……万死に値しますわ、このドブイノシシ」
その瞬間、エレノアの体から、目に見えるほどの濃密な「白銀の闘気」が爆発的に吹き荒れた。
あまりの気迫に、狂暴化の呪いで理性を失っていたはずの古代ベヒモスが、本能的な恐怖によって、その巨体をビクリと震わせて一歩後退した。
「エ、エレノア……?お前、その姿は……」
背後で呆然とするフェルナンドの声など、今の彼女の耳には届かない。彼女の全神経は、目の前の「害獣」をいかに美しく、効率的に、徹底的に駆除するかだけに集中していた。
ガルルルッ……、ギャァァァアアオン!
ベヒモスの背後から、さらに数千の魔獣の群れが、エレノアを排除せんと一斉に牙を剥いて飛びかかってくる。
「――フローレンス流一刀術、一番」
エレノアの美しい唇が、静かに紡ぐ。
彼女が一歩を踏み出した瞬間、大剣の刃が、夕暮れの森に一筋の完璧な放物線を描いた。
――一閃。
それは、剣聖の領域すら遥かに超越した、ただの「純粋なる暴力の具現化」だった。
大剣が一振りされただけで、前方に放たれた真空の刃が、襲いかかる数千匹の魔獣の群れを、その骨ごと、肉ごと、まとめて遥か彼方へと吹き飛ばした。
ズドォォォォン!
直線上の木々が文字通り一瞬で消滅し、森に巨大な「道」が出来上がる。
「ワン、ツー、スリー♪」
エレノアは、かつて舞踏室でフェルナンドと踊ったあのワルツのステップを、今度は「死の舞踏」として刻み始めた。
背後から迫る影狼の群れを、振り返ることもなく、ドレスを破り捨てた美しい足のハイキック一発で頭骨ごと粉砕する。
上空から襲いかかるワイバーンに対しては、大剣を大上段から振り下ろし、その風圧だけで地上へと叩き落として、そのまま踏み潰した。
その一挙手一投足は、あまりにも強靭で、あまりにも圧倒的で――そして、言葉を失うほどに、美しかった。
飛び散る魔獣の血飛沫すらも、彼女のまばゆい白銀の闘気に触れた瞬間、蒸発して輝く霧へと変わっていく。
「さぁ、次はお前ですわ、おデブさん」
エレノアは、ついに残された最後の敵――古代ベヒモスへと視線を向けた。
大剣を両手で構え直す。彼女の背筋は、どんな高貴な夜会よりも完璧に、そして凛と伸びていた。
ベヒモスは、目の前にいる小柄な少女が、自らの命を刈り取る「死神」そのものであることを完全に理解した。巨獣は絶望の咆哮を上げながら、その全質量をかけて、エレノアへと突撃してくる。
しかし、エレノアのフットワークは、すでに人間の限界を超えていた。
――フッ。
ベヒモスが激突する直前、エレノアの姿が、その場から完全に「消失」した。
フローレンス家秘伝の最速歩法。彼女が次に現れたのは――ベヒモスの遥か上空、漆黒の結界の直下だった。
夕日を背に浴び、ドレスを破り捨てた戦女神が、大剣を天に掲げて見下ろしてくる。
その美しくも冷徹な瞳と視線が交差した瞬間、ベヒモスは完全に戦意を喪失し、その巨体をガタガタと震わせた。
「これで、終わりですわ!!!」
エレノアは重力の加速度をすべて大剣に乗せ、彗星のごとき勢いで垂直に急降下した。




