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剣を捨てたい男爵令嬢は、冷徹王太子の心を【物理的に】射止めたい!  作者: 初 未来
第4章 王都狩猟祭、ついに秘密兵器の本領発揮

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第19話 異変!隔離された森と、動き出す冷徹王太子

 ドゴォォォォン……!


 不気味な地鳴りは収まるどころか、むしろ大地の底からせり上がってくるかのようにその震動を増していた。

 王定の森を包み込んだ漆黒の結界は、まるで生き物のようにおぞましくのたうち回り、外の世界との光も空気も完全に遮断していく。


「ひっ、お、お助けになってぇぇぇ!」


「結界に触れるな!騎士の剣が腐食して溶けたぞ!?」


 さっきまで優雅にワインを傾け、狩猟の成果を競い合おうとしていた大貴族や令嬢たちは、一瞬にして色を失い、逃げ場のない広場で蜘蛛の子を散らすように右往左往していた。


 だが、真の恐怖はそこからだった。


 グルルルル、ギャァァァアアアオオオン!!!


 引き裂かれた漆黒の帳の向こうから、無数の赤い眼光が浮かび上がる。

 姿を現したのは、通常なら森の最深部にしか生息していないはずの、凶悪な魔獣たちの群れだった。

 体長3メートルを超える巨体と鋼の毛並みを持つ『アイアン・ボア』、鋭い爪に猛毒を宿した『シャドウ・ウルフ』、そして上空からは、広大な翼で突風を巻き起こす『ワイバーン』が、何十、何百という文字通りの「嵐」となって、避難用の天幕へと一斉に押し寄せてきたのだ。


「――シド!即座に近衛の防衛陣形を組め!非戦闘員を中央の最も強固な天幕へ集め、円陣で持ちこたえるんだ!」


 パニックに陥る広場の中で、ただ一人、フェルナンド王太子の声だけが冷徹に、そして驚くほど正確に響き渡った。

 彼はすでに腰の宝剣を抜き放ち、その刃には王家特有の、まばゆいばかりの青い魔力が宿っている。


「は、はいっ!迎撃部隊、王太子殿下に続け!怯むな、我らには殿下がついている!」


 筆頭側近のシドは、迫り来る魔獣の圧倒的な数に冷や汗を流しながらも、即座に手下の騎士たちを統率し、即席の防衛線を構築していく。シド自身も細剣を構え、押し寄せる影狼の喉笛を正確に突き刺した。


 しかし、敵の数はあまりにも多すぎた。

 狂暴化の呪いによって理性を失った魔獣たちは、自らの肉体が傷つくことも厭わず、肉の壁となって騎士たちの防衛線を削りにかかってくる。


(……あらあら、大変なことになってしまいましたわ)


 避難民たちに紛れ、天幕の隅に控えていたエレノア・フローレンスは、ハチミツ色の瞳をすぼめて戦況を冷静に観察していた。


(あの魔獣たちの動き、完全に統率されているわ。どこかに狂暴化を呼びかけている『核』になる魔導遺物があるはずね。……それにしても、都会の騎士様たちのフットワーク、ちょっと腰が高くて見ていられないわ。あんな構えじゃ、アイアン・ボアの突撃を受け止めた瞬間に骨盤が砕けてしまうじゃないの。あぁ、じれったい。私が一歩前に出て、あのイノシシどもの首を一回転させてあげたいのだけれど――)


 エレノアはふんぬとペパーミントグリーンのドレスの袖を握りしめたが、すぐに頭を振って自己暗示をかけた。


(ダメよ、ダメダメ!私はおしとやかな男爵令嬢!ここでイノシシの首を素手でもぎ取ったりしたら、これまでの私の『可憐な努力』が水の泡だわ!殿下が『下がっていろ』とおっしゃったのだから、私はここで可憐に、震える小鳥のように待っていなくては!)


「きゃあ!怖いおじ様……じゃなくて、怖い魔獣さんたちがたくさんですわ~!」


 エレノアはわざとらしく両手で顔を覆い、天幕の柱の陰に隠れた。


 そんなエレノアの元へ、返り血を浴びたフェルナンドが疾風のような速さで駆け寄ってきた。

 彼のプラチナ色の髪は乱れ、鋭い琥珀色の瞳には、かつてないほどの緊迫感が宿っている。


「エレノア!無事か!」


「まぁ、フェルナンド殿下!私は大丈夫ですわ、殿下が守ってくださると信じて、心が洗われるような祈りを捧げておりましたの」


 フェルナンドはエレノアの無傷な姿を確認すると、一瞬だけホッとしたように表情を緩めた。しかし、すぐにその顔を険しく引き締め、彼女の肩を強く掴んだ。


「いいか、エレノア。今回の異変は尋常ではない。森の深部から、さらに強大な個体の気配が近づいている。私が近衛の精鋭を率いて、その『元凶』を叩きに打って出る」


「殿下自ら、最前線へ行かれるのですか!?」


 エレノアは驚いて目を見張った。王太子という最高貴の身でありながら、自ら死地に飛び込もうというのだ。


「当然だ。民を守るのが王族の義務。……それに、お前をこんな薄汚い獣どもの餌食にされては、私の今後の『愉しみ』がなくなってしまうからな」


 フェルナンドは不敵に笑うと、エレノアの額に、誓いを立てるようにそっと自らの額を合わせた。


「シドと数名の騎士をここに残す。フローレンス男爵たちもいる、ここが一番安全だ。エレノア、お前はここで待て。絶対に、私の目の届かないところで死ぬなよ」


「……殿下……」


 フェルナンドはそれだけ言い残すと、再び凄まじい魔力を吹き上げながら、魔獣が最も密集する森の奥へと向かって、一陣の風のように突撃していった。


「殿下ッ!ああ、行ってしまわれましたわ……」


 エレノアは胸元に手を当て、去りゆくスパダリの後ろ姿を見つめていた。その表情は一見、恋人の身を案じる悲劇のヒロインそのものだったが――


(……ちょっと待って。殿下が向かったあの方向、森の最深部から漂ってくる空気の重さ……あれ、ただの魔獣じゃないわよ。南方の最前線でも十年に一度しか目覚めないような、古の厄災クラス――【古代ベヒモス】の咆哮が聞こえるわ)


 エレノアの野生の、そして戦士としての勘が、最大級の警鐘を鳴らしていた。

 フェルナンドは確かに強い。人間の貴族の中では間違いなくトップクラスの剣士だ。だが、あのクラスの「化け物」を相手にするには、あまりにも人間としての倫理観がまともすぎる。


(このままだと……殿下が、私の大好きな殿下が、あの化け物に踏み潰されてミンチになっちゃうかもしれないじゃないの!!!)


 天幕の影で、エレノアのハチミツ色の瞳から、徐々に「おしとやか」の光が薄れ、フローレンス一族が戦場で見せる【捕食者の眼光】へと変貌しつつあった。


 しかし、彼女の前にはまだ、苦労人シドをはじめとする護衛の騎士たちが立ち塞がっている。

 エレノアの脳内で、淑女としてのプライドと、愛する男の命を天秤にかけた、人生最大の葛藤が始まろうとしていた。

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