第18話 王都狩猟祭の開幕と、愛情弁当
「……うふふ、完璧だわ。この美しく、かつ規則正しく並んだ直方体の芸術。これぞ都会のスパダリに捧げるにふさわしい、愛の重箱ですわ!」
王宮の特別馬車に揺られながら、エレノア・フローレンスは、膝の上に抱えた漆塗りの三段重を愛おしそうに見つめていた。
異国の暗殺部隊を「社交ダンス」によってエレガントに踊り倒してから数週間。ついに王宮最大の伝統行事であり、王太子妃内定のお披露目の場とも噂される「王都狩猟祭」の日がやってきたのだ。
エレノアが「森の中で殿下とピクニックだわ!」と張り切って作ったそのお弁当の中身は――領地より取り寄せた最高級のゴボウを、彼女の神速の指先で寸分の狂いもなく切り刻んだ『ゴボウ尽くし三段重箱』であった。きっと殿下はゴボウが大好きに違いないと確信のもとに。
「お嬢様、本日の戦場は『王定の森』にございます」
隣に座るメイドのマーサが、いつも以上に鋭い目つきで窓の外を睨みつけている。
「すでに領地からは、お嬢様の『王宮武力制圧』の最終局面を援護するため、お旦那様と若旦那様方が先遣隊として王都に到着されております。いつでも突撃の合図を」
「だからクーデターじゃないって言ってるでしょうがァァァ!!!私は今日、殿下が仕留めた獲物を『まぁ、殿下、素敵ですわ♡』っておしとやかに応援するだけの、可愛い観客なの!!誰も制圧なんて求めてないわよ!」
エレノアはふんぬとペパーミントグリーンのドレスの胸を張り、馬車を降りた。
◇
狩猟祭の会場となる王定の森の広場には、きらびやかなテントが立ち並び、着飾った大貴族たちで埋め尽くされていた。
その中央、最も豪華な天幕の下で待っていたのは、プラチナ色の髪を揺らしたフェルナンド王太子。そしてその隣には、彼の手綱を握る苦労人として知られる筆頭側近、シド・ヴァレンタイン侯爵嫡男の姿があった。
「――ようこそ、我が愛しの怪物」
フェルナンドは琥珀色の瞳に極上の愉悦を浮かべ、彼女を迎え入れた。
「まぁ、フェルナンド殿下。お会いできて光栄ですわ。今日のために、殿下の大好きな『ゴボウの千切り』をお弁当に持ってまいりましたの。おほほ……」
エレノアが生まれたての小鹿の笑顔で重箱を差し出すと、横にいた側近のシドが、早くも顔を引きつらせて小声でフェルナンドに耳打ちした。
「で、殿下……。これが噂の、首席文官を精神崩壊させ、暗殺部隊をダンスで肉片に変えたという、フローレンス家の……。重箱から微かに、刃物のような殺気が漂っているのですが……」
「気にするなシド。彼女の愛だ。後でじっくりと味わう」
「殿下の胃袋の強靭さに乾杯したい気分です、私はもう胃が痛い」
苦労人シドが早くも胃薬を探し始める中、会場の入り口から、地響きのような重い足音が近づいてきた。
「がーっはっはっは!エレノア!健気にやっておるな!」
「お、お父様!?お兄様!?」
エレノアは思わず淑女の仮面を落としそうになった。
現れたのは、フローレンス男爵家の現当主であり、歩く要塞と恐れられる父バルト。そして、筋肉の塊のような長男ライナスをはじめとする兄たちだった。彼らは「観客席」のはずなのに、なぜか全員が私物の【巨大なバトルアックス】や【鉄製の戦鎚】を背負い、今から戦争にでも行くかのようなギラついた目をしている。
「フローレンス男爵、よく来てくれた」
フェルナンドが不敵に笑いながら挨拶すると、父バルトは巨大な胸を叩いた。
「王太子殿下!我が娘が大変なご迷惑をかけているようで!ですがご安心召されるな、もし王宮内に不届き者が現れた際は、我が一族の筋肉がお味方いたしますぞ!」
「あの親にしてこの娘ありか……」
シドはフローレンス一族の放つ圧倒的な野生のオーラに、めまいを覚えていた。
◇
しかし、この賑やかな祭りの裏で、どす黒い陰謀の歯車が完全に噛み合っていた。
天幕から遠く離れた森の深部。木々の物陰に潜んでいたのは、失脚したマルキーズ公爵家の残党と、隣国の過激派スパイたちだった。
「ククク……、集まったな、フローレンス家の怪物どもめ。そして王太子」
残党の男が、不気味な赤色に発光する古代の魔導遺物――『魔獣狂躁の角笛』を地面に突き立てた。
この遺物は、周囲数十マイルの森に張られた王宮の防護結界を反転させ、内部の人間を閉じ込める「隔離結界」へと変貌させると同時に、地中に眠るあらゆる魔獣を狂暴化させて呼び寄せる禁忌の兵器だった。
「どれほど個人の武が優れていようとも、数百匹の魔獣の嵐の前に、一溜まりもあるまい。王都の喉元で、全員無惨に噛み砕かれるがいい!」
ゴォォォォォン……!
突如、大地を揺るがす不気味な地鳴りが、王定の森全体に響き渡った。
晴れ渡っていた空が、瞬時に禍々しい漆黒の結界によって覆い尽くされ、太陽の光が遮られていく。
「な、何事だ!?」
「結界が……!外に出られないぞ!?」
貴族たちがパニックに陥る中、森の奥から、数千の獣の足音と、空を裂く不気味な咆哮が近づいてきていた。
王都狩猟祭は、一瞬にして、血で血を洗う「魔獣の包囲網」へと変貌を遂げたのである。




