第15話 令嬢たちの「お茶会襲撃」と、優雅な人間防壁
「……うふふ、見てちょうだいマーサ。今日の私のドレス、いつも以上にフリルが繊細で、まるで初夏の妖精のようですわ」
睡蓮離宮の広大な庭園へと向かう回廊で、エレノア・フローレンスは、ペパーミントグリーンの爽やかなドレスの裾をつまみ、ステップを踏むように優雅に歩いていた。
前回の抜き打ちテストにて、都会の首席文官を「ただのお勉強という名の、三分での国家機密解読」によって情熱的に敗走させてから数日。エレノアのポジティブ脳は、ますます絶好調を迎えていた。
(殿下もきっと、私の溢れんばかりの知性と可憐さに、今頃は胸を高鳴らせていらっしゃるに違いないわ!今日は緑豊かな庭園での単独お茶会。大自然の中で、おしとやかにお紅茶をいただく私の姿を見たら、いよいよイチコロね!)
一方、後ろを歩くメイドのマーサは、周囲の生け垣の陰を鋭い目で見つめながら、ドレスの袖口に仕込んだ暗器にそっと手をかけていた。
「お嬢様、油断召されるな。前回の『知略戦』でお嬢様に大敗を喫した都会の狐どもが、ついに正気をもぎ取られて『物理的な実力行使』に出るという情報が、我が家の密偵から入ってございます」
「だから物騒な情報を仕入れてこないでちょうだい!!」
エレノアは上品に、しかし地響きが立ちそうなほどの気迫で振り返った。
「いい、マーサ?私は今日、王子様を待つか弱きプリンセスとして、お茶会を楽しむの。物理的な実力行使なんて、そんなはしたない真似、都会の高貴な令嬢たちがするはずがないでしょう。おほほほ!」
ふんぬと豊かな胸を張り、エレノアは用意された東屋へと向かった。
◇
庭園の奥、美しい薔薇と白樺の木々に囲まれた一角に、エレノアのための小さなティテーブルが用意されていた。
講師や他のお嬢様たちの姿はない。本日は「優雅な孤高の時間をいかに美しく過ごすか」という、これまた名目のよく分からないお妃教育の一環だった。
エレノアが席につき、目の前のハーブティーにそっと口をつけた、その時だった。
ザザッ、ザザザッ。
白樺の木々の隙間から、庭師の衣服をまとった数人の男たちが、音もなく姿を現した。
しかし、その足取りは庭師のそれではない。完全に「重心を低く保ち、いつでも得物を抜ける傭兵」の足腰だ。男たちの手には、剪定用にしてはあまりにも鋭利すぎる大型の鎌や、鉄製のスコップが握られている。
(……あら?庭師にしては、ずいぶんと目つきが血走っているおじ様たちね。それに、あの構えは……南方の裏社会で悪名高い『戦斧傭兵団』の戦闘歩法じゃない)
エレノアはハーブティーのカップを持ったまま、瞬時に男たちの正体と実力を見抜いた。
ノイローゼの極みに達したマルキーズ公爵令嬢が、ついに理性を失い、「あの田舎娘の顔に消えない傷をつけろ!」と、大金を叩いて裏社会の荒くれ者を王宮内に引き入れたのだ。
「おい、男爵令嬢。ちょっとツラを貸してもらおうか」
リーダー格の巨漢の傭兵が、下品な笑みを浮かべながら間合いを詰めてくる。
(……困ったわね。私の『神速の鉄拳』を使えば、コンマ二秒でこのおじ様たちの顎を粉砕して、庭の肥やしにできるのだけれど――)
エレノアは、超人的な動体視力と気配察知能力により、庭園のはるか遠く、本宮のバルコニーの物陰に、フェルナンド王太子の護衛騎士たちが待機しているのを察知した。
(ここで私が拳を振るったら、せっかくここまで築き上げてきた『か弱くおしとやかな男爵令嬢』のメッキが剥がれて、ただのゴリラ令嬢だとバレてしまうわ!私は騎士様に『ひゃあ、助けて!』って守られるヒロインになりたいのよ!!)
エレノアの脳内で、重大な戦術方針が決定された。
【方針:一切の手出しをせず、おしとやかに逃げ惑うこと】
「いや、いやよぉ!怖いおじ様たちですわァァァ!!!」
エレノアはガタッと椅子から立ち上がると、両手を頬に当て、さも怯えたようにわざとらしく「きゃあきゃあ」と叫びながら、ドレスの裾を翻して走り出した。
「ハッ、逃げんじゃねえよ!」
巨漢の傭兵が、鉄製のスコップを大上段からエレノアの背中に向けて振り下ろす。
しかし、エレノアの「逃げ惑うステップ」は、フローレンス一族に伝わる極限の回避歩法『木の葉舞い』そのものだった。
――フッ。
「うわあ、転びそうですわ~!」
エレノアが、わざとらしく体を斜めに傾けた瞬間、スコップの刃はその蜂蜜色の髪の毛一筋の隙間をすり抜け、勢い余って、すぐ隣にいた仲間の顔面へとクリーンヒットした。
「ぶふっ!?」
仲間の一人が鼻血を噴き出して崩れ落ちる。
「て、てめえ何しやがる!」
「違う、今のはあの女が急に――うわっ!?」
今度は、もう一人の傭兵が大型の鎌を横一文字に振るった。
「まぁ、虫が飛んできましたわ!」
エレノアは、蝶のようにひらりと身を翻してその刃を避ける。
すると、勢いの止まらない鎌の刃は、そのまま、正面の巨漢の傭兵のズボンの紐をスパーンと鮮やかに切断した。
「おわっ!?ズ、ズボンが――ぶふぉっ!?」
巨漢が慌ててズボンを押さえた瞬間、エレノアが「キャッ!」とわざとらしく後ろ向きに尻もちをついたように見せた。実際には、空気イスの要領で、無音のスクワット姿勢をとっていた。その拍子に、エレノアの肘が、巨漢の傭兵の股間へと『偶然』カウンター気味に突き刺さる。
「ガ、ハ……ッ……」
巨漢の傭兵は、この世の終わりを迎えたような顔になり、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「な、何なんだこの女は……!まるで攻撃が当たらねえどころか、俺たちが勝手に自滅して――」
残された最後の二人が、恐怖に顔を歪めながらエレノアを挟み撃ちにしようと突撃してくる。
「もう、あぶないわ~!」
エレノアは両手をバタバタと振るいながら、二人の突撃の軌道が完全に交差する位置へと滑り込んだ。そして、衝突の直前、ドレスのフリルを美しく翻して、ツバメのように上空へと跳躍、周囲の目には、ただつまずいて浮き上がったように見せた。
ドゴォォォォン!!!
残された二人の傭兵は、時速四十キロの速度で正面衝突し、お互いの頭部を激しくぶつけ合って、そのまま綺麗に気絶した。
わずか数十秒。
ペパーミントグリーンのドレスを着た少女が「きゃあきゃあ」と可愛らしく逃げ惑っただけで、裏社会の精鋭傭兵5人が、一人もエレノアに触れることすらできず、勝手に血を流して全滅していた。
「まぁ……。皆様、お庭の剪定でお疲れだったのかしら。急にダンスを始められたと思ったら、重なるようにして寝てしまわれて……。都会の庭師さんは、随分と個性的でいらっしゃるのね。おほほほ」
エレノアは、乱れた髪を優雅に手ぐしで整えると、何事もなかったかのように再びティテーブルへと戻り、少し冷めたハーブティーを上品に口に含んだ。
(よし!今回も完璧に『ただの偶然と自滅』として処理できたわ!私は一発も殴っていないし、ただ怖くて逃げ回っていただけだもの。これぞ究極の、おしとやかセルフディフェンスね!)
◇
しかし。
その様子を、本宮の時計塔の最上階から、これまた特注の高性能な遠眼鏡でバッチリと観賞していた男がいた。
フェルナンド王太子である。
彼は、エレノアがドレス姿で『木の葉舞い』の歩法を完璧に使いこなし、敵の攻撃の軌道をすべて誘導して、仲間同士で潰し合わせた瞬間を一瞬たりとも見逃さなかった。
「……クック、ハハハハ!本当に、どこまで私を楽しませれば気が済むんだ、あの女は」
フェルナンドは遠眼鏡を机に置くと、片手で額を抑え、込み上げる極上の愉悦に肩を激しく震わせていた。
敵に一切の手出しをさせず、衣服に泥一つつけさせず、自らの「歩法」と「空間誘導」だけで戦況を完全支配してみせる。それは、並大抵の剣豪でも不可能な、神の領域の戦術眼だった。
「歩くだけで敵を自滅させる『か弱い令嬢』がどこにいる。……美しいな、エレノア」
フェルナンドの琥珀色の瞳には、もはや彼女に対する狂おしいほどの独占欲と、底なしの愛着が渦巻いていた。
「これほどまでの傑作を、マルキーズごときの下らん嫉妬で傷つけさせるわけにはいかん。……そろそろ、ネズミどもの掃除を本格的に始めるとするか。そして――」
フェルナンドは、窓の外で優雅にお茶をすするハチミツ色の少女を見つめ、不敵に、そして甘く目を細めた。
「エレノア、私の可愛い怪物。次はお前を、私の腕の中でじっくりと『見極めて』やる」
冷徹王太子の胸の中で、彼女を絶対に手放さないという「奇妙な愛の執着」は、爆発寸前となっていた。




