10´.モブな少女と主人公④
「なぁ、エイ。言いたくなかったら別にいいんだけどさ。昨日からちょいちょい出てくるもぶってのはなんなんだ? 同じマンガでもオレは知らない言葉なんだが……」
「あ、それウチも気になってたのよ。名前にも入るくらいだし、なにかAにとって重要な単語なのよね?」
「そ、それは――」
遂にきてしまったその質問にAは言葉を詰まらせる。元から主人公であるタクトは当然として、ターニャまで知らない以上どの世界でもモブという役割は認知されていないようだった。
そんな誰からも相手にされない役割を話すのがたまらなく恐ろしい。話してしまったことでまた前の世界のように孤独になってしまったら? 話したところで理解されなかったら? そんな考えばかりが頭を何度も駆け巡る。
「――その、あまり面白い話じゃないと思うけど、それでもいいかな?」
それでもやはり話さなくてはならないだろう。彼らとはこれから共に生活していく仲間なのだ。当然、隠し事などはしたくなかった。例え、それで孤独になったとしても自分のことを知ってもらいたい。なぜかそう思ったから。
二人はこちらをじっと見つめながらコクリと頷く。Aはそれを確認すると大きく息を吸った。そして、ゆっくりとその口を開く。
「モブっていうのはね――」
Aは二人に話した。ギャグ漫画世界のこと。モブとしての役割のこと。その上で自分が唯一感情を持ったモブだったこと。そのすべてを話した。
タクトもターニャも話している間は表情を変えることなく、真剣にこちらの話に耳を傾けているようだ。当然、途中で口を挟むこともなかった。
「こんな、感じ――かな。ど、どう?」
なんだか自分の境遇についても少し触れてしまった気がするが、それでもなんとか話し終えることができた。後は彼らの反応を待つだけ。先ほどからドクンドクンと響き続けている自身の胸に手を当てながらAは一度目を閉じた。
「――――ッ!?」
その瞬間。腹部に衝撃が走る。どうやら、なにかが飛び込んできたようだ。慌てて目を開き自身の腹部へと目線を下げる。すると、
「ターニャ……ちゃん?」
目に入ってきたのは金色の髪。そして、その持ち主であるターニャがAの腹部に頭を埋め、ピッタリと密着している光景だった。
「そんなの、そんなのってないわッ! せっかく特別な存在になれたのに、誰とも話せない。何者にもなれない。ただ、同じ毎日を耐えて、耐えて、耐えて……。そんなのAを傷つけているだけじゃない! なんでAの世界はそんな残酷なことができるのよっ!」
ターニャの表情は見ることができない。それでも震えているその声から泣いていることだけは分かった。
言葉を吐き出しながら泣きじゃくるターニャをそっと抱きしめる。自分の為に涙を流してくれる優しい少女にAはそれくらいしかできなかった。
それから数秒後。落ち着いたターニャはAから離れると目を何度も擦る。そして、カッと目を見開くと言い放った。
「Aっ、もうモブなんて役割捨てちゃいましょう? この世界じゃそんなの関係ないわ! なにが脇役よ。なにが替えの利く量産品よ。AはAよ! 誰かを際立たせるだけの装置じゃないんだから!」
「役割を捨てる……。そんなことできるの?」
「――あぁ、できるぜ」
Aの疑問に答えたのは先ほどまで押し黙っていたタクトだった。再び涙を流すターニャの頭をポンポンとなでながら話を続ける。その目は若干赤みを帯びているようにも見えた。
「とゆーより、この世界にきた時点でもう捨てているんだよ。もぶだったのはあくまで前の世界の話だろう? オレは求められたから主人公をやり続けているけど、それはオレ自身その役割を悪くないと思っているからだ。だからさ、Aが自分の役割が嫌いだってんなら、それを無理に張り続ける必要なんてない。オレはそう思うぜ?」
「私がもうモブじゃない……」
「そうだ、Aはもうサイクルの一員なんだ。脇役なはずがないだろう? ここではみんなが対等なんだからな! だから、オレが主人公だとか気にすんなっ。ここまで耐えてきたんだ。いい加減自由に生きてもいいんじゃないか?」
「そ、そんなこと急に言われてもっ」
いままでモブとしての人生しか歩んでこなかったのだ。突然別の生き方を見つけろと言われてもすぐに浮かぶはずがない。確かにモブではないなにかになりたかったのは事実だが、それでもAは自分の気持ちをうまくまとめることができなかった。
そんなAにタクトは「ははっ」と曇りのない笑みを浮かべながら、
「って、確かに急に言われちゃあ困っちまうよな! まあ、そんなに焦る必要ないって。ここには前と違ってオレたちがいるんだ。一緒に探してみようぜ。ここは異世界人の集まる学園サイクル。――もう、エイは一人じゃないんだからさ?」
「そうよ、ウチらはもうサイクルの仲間なのよ! むしろ一人になんてさせないわ。可能な限り付きまとってやるんだから。覚悟することね!」
「いや、それサダエさんとやってること同じだかんな?」
「ちょっとっ、よりにもよってあんな奴の同類になんてしないでちょーだいッ! ウチはただAと仲良くなりたいだけなんだから!」
なにかの動物の力を借りたのか人のものではないギザギザした歯でタクトにかぶりつくターニャ。タクトは顔の前でカチカチと音を鳴らしているその歯が自分へと届かぬよう必死に抵抗していた。だが、そんな中でも険悪な雰囲気は見られない。むしろ彼らの表情は明るかった。
きっとこれが彼らの日常なのだ。全員で戦って、一人一人が悩んで、それでも全員で励まし合って……。そして、最後には全員で笑いあう。
自分もその中に入っていいのだろうか。あんなキラキラとしている空間にモブである自分如きが入り込む余地などないようにどうしても思えてしまう。〝モブ少女A〟は脇役のさらに脇役なのだと決めつけてしまう自分がいる。
――それでも主人公は言った。もう自分はモブではないのだと。だから、嫌な役割に縛られ続ける必要はないのだと。
モブではない自由な生き方などAにはよく分からない。なにを目標にしたらいいのかすら定まらない。
それでも見つけたいと思った。自分だけの役割を。一人では到底無理でもみんなが一緒なら探し出せる。タクト達のおかげでそう考えられるようになった気がしたからだ。
「あのっ!」
Aの声にいつのまにか殴り合いにまで発展していた二人がピタリと手を止めてこちらに顔を向ける。争っていたからか少し汚れたその顔からはそれでも優しさを感じられた。
「私、モブ以外の生き方を探してみるよ。でも、きっと一人じゃ難しいから……。だからっ、二人にっ、サイクルのみんなに手伝ってほしいんだッ!」
体育館中にAの声が響きわたる。タクトとターニャは一度互いに顔を見合わせるとニッシッシと嬉しそうに笑った。
「おう、任せとけって!」「えぇ、ウチに任せなさいっ!」
「二人とも……、ほんとうにありがとう!」
流れ出しそうな涙をこらえながら二人の元へと駆け寄る。これから始まる生活に期待を抱きながら。――その時だった。
ダガァァーンッ。そんな轟音を響かせながら体育館が揺れ動く。その突然の大振動にAは立っていることすらできず床へとへたり込んだ。