四十七話 正徳寺の対面 日の本一のできた女房
信長は、正徳寺の別室で衣箱の蓋を見ながら、出立前の妻の顔を思い出していた。
あれだけ衣を広げ、二枚を取り替えては迷っていた濃が、その夕方、わざわざ槙を通じて自分を呼び戻したのである。
何か足りぬ物でも見つけたかと思えば、机の上の控えには手も触れず、妙に澄ました顔でこちらを迎えた。
「三郎様。かぶいて、正徳寺へお入りなさいませ」
信長は、妻を見た。
濃は笑っている。堪えても口元からこぼれてしまうような、悪戯を思いついた娘の顔だった。
「その様な格好をするなと申していたではないか!」
「お会いになる時には、こちらを」
妻が示した先には、二人で選んだ肩衣を納めた箱がある。
「初めから終いまで、あの格好でいていただきたいのではございません」
「入る時だけ、うつけであれと」
濃は頷きかけ、少し考えてから首を振った。
「三郎様は、いつものお姿で。父上が、どう御覧になるかを」
それを聞いて、信長は妻の笑みから箱へ目を移した。
舅が何を聞き、何を信じて会いに来るのかは、こちらには分からぬ。初めから相手の気に入る姿を整えて出れば、相手が顔を繕う前の様子も見えない。
だが、そんな利口な話だけを、濃が思いついたようには見えなかった。
「父上を、驚かせたいか」
妻は、すぐに否定しない。
「少しは」
そこだけ声が小さくなり、また笑った。
「私が選んだ衣も、よく見ていただけますし」
自分の手間まで取り戻すつもりらしい。
信長は箱の縁を指で叩いた。行きの姿は、自分で決めてよい。髪を結い直す者を連れ、着替える物を取り出せるようにしておけば済む。
「では、そうするか」
濃の目が明るくなった後、ふと庭へ向いた。
「母上には……」
「そなたが申せばよかろう」
言うと、濃は困った顔になった。
母を驚かせたいのではないのだろう。かといって、舅を驚かせる支度をしておりますと、自分から言いに行くのもためらわれるらしい。
「お帰りになってから、お姿のお話も、私からいたします」
「母上が、それまで黙っておられるか」
信長が笑うと、妻は箱から手を離した。
その迷いまで引き受けてやるとは言わなかった。衣を選ばせたからといって、この先、誰が何と言うかまで濃に預けるつもりはない。
舅の前へ出るのは、自分である。
*
出立の朝、那古野の門へ向かう板敷で、土田御前は歩みを止めた。
末森を発つ前には、帰蝶の文へ添えた返事のことを思っていた。自分が顔を見せれば、支度に気を張る嫁も、少しは落ち着くだろう。着くと帰蝶は礼を述べ、届いた返書も読んだと、食事を案じてくれた言葉にまで頭を下げた。
その嫁が、今は息子の傍らで、静かに控えている。
なのに、三郎の身なりはどうしたことか。
袖のない衣の衿は開き、腰には袋や瓢箪が下がっていた。柄を長く巻いた刀が目を引き、髪は立てて束ねたまま、萌黄の紐が風に動く。昨日、町を歩いていたと聞かされても不思議ではない姿であった。
帰蝶が選んだという衣は、どこにある。
土田御前は息を吸い、言おうとした言葉を、長い溜息にして吐いた。
亡くなった政秀なら、ここで何と言っただろう。その名を持ち出せば、三郎は聞くより先に顔を背けるかもしれない。死んだ者を、残った者が言うことを聞かせるために呼び出したくはなかった。
「三郎。その姿で、利政殿に」
「用意はしております」
息子は、脇へ控えた者の持つ箱に目をやった。
それだけでは、何を用意したのか分からぬ。詳しく問えば、分かっておると先を塞がれるのだろうか。
「帰蝶の父御です。そなた一人が、何と言われてもよい話ではありませぬ」
「承知しております」
素直な返事なのに、土田御前の気は晴れなかった。
帰蝶は何も言わない。嫁の前で、息子を子どものように叱り続けたくもない。三郎がこちらを立てて聞いている今なら、なおさらだった。
帰蝶が一歩進んだ。
「母上。お越しいただき、ありがとうございます」
その顔には、叱って止めてほしいという困惑がない。
土田御前は、いっそう分からなくなった。帰蝶が息子を諦めてしまったのでなければよいが、と願う。
「道中、粗略のないように」
供の者にも聞こえる声で告げた。
三郎は頭を下げ、門へ向かう。袋の一つが腰に当たり、小さく鳴った。
その音が遠ざかってから、土田御前は嫁の方を見た。
「支度をした物は、持たせたのですね」
「はい。三郎様が、お決めになった物を」
嫁を責めても仕方がない。
土田御前は、帰蝶の衿元に触れかけた手を引き、袖の中へ戻した。食べる物まで忘れていないかと案じたのは、この娘の方だったはずである。
「そなたも、休みなさい。皆を働かせたまま、一人で座ってはおれぬと思っているのでしょう」
帰蝶が、少し驚いたようにこちらを見た。
笑って頷く嫁へ、土田御前も頷き返す。
それでも門の方へ目を戻すと、末森に残った勘十郎の、整った姿が浮かんだ。言葉を重ねなくても、分かる形で示してくれる息子なら、こんな時に待つ者を不安にさせはしない。
そう思った自分を、帰蝶へは見せなかった。
*
富田の町外れ、正徳寺の門へ続く道を見通せる小家で、利政は板の隙間へ身を寄せた。
新九郎が、その少し後ろに立っている。帰蝶の兄である息子も、妹の嫁いだ相手を、まだ己の目で量ってはいなかった。
往来の人が脇へ寄る。
土を踏む足音に交じり、長い槍の柄が揃って進んでくるのが見えた。軒の低い所で先の者が目を上げると、後ろの者が少し間を空ける。弓も鉄砲も、一人の肩へ雑多に括りつけた荷ではない。
父がいた頃の物を、ただそのまま連れてきたのか。それとも若い主が、己で動かしているのか。
利政が見ていると、その中に信長が現れた。
思わず、板から顔を離す。
「……あれか」
目に映った物を確かめるように、もう一度覗いた。
腰へいくつも物を下げ、衿を開いた若者が、先を行く者へ顎を動かしている。髪を巻いた鮮やかな紐と、刀の長い柄が、きちんと身を整えた供の者の中で浮き上がって見えた。
新九郎も隙間へ目を寄せ、すぐには口を開かなかった。
利政は息子の耳元へ顔を近づける。
「帰蝶につけた、お梅の文の通りの大うつけではないか」
新九郎の目が、一度だけ父へ向いた。
「お梅が、父上へ」
声は同じく低い。
利政は短く頷き、道へ目を戻した。
「あれでは、帰蝶がかわいそうじゃ」
秋に読んだ紙の字が、目の前の男へ重なる。町での振る舞いを、娘のすぐ傍にいる者が書いてよこした。誇張の一つもあろうとは思っていたが、今、自分の見ている姿とは違わない。
娘は、この男の傍らで、どんな顔をして暮らしているのか。
「父上」
新九郎が囁いた。
「あの者たちは、笑っておりませぬ」
示された先を、利政も見る。
主の身なりに倣って、勝手に列を崩す者はいない。信長が立ち止まると、後ろの者が先へ出てしまうこともなかった。
「供がよければ、主もよいと申すか」
「そうは申しませぬ。ですが、主がおかしいと笑って済ませている供にも、見えませぬ」
息子の言葉を、利政はそのまま聞いた。
これから会う若者のために、己の目の方を狭めることはない。
信長は正徳寺の門をくぐった。利政の傍らに控えていた家臣も、その姿を追って眉を寄せる。
利政は、もう一度だけ通りへ目をやり、身を引いた。
「参るぞ」
お梅の文のことは、それ以上口にしなかった。
*
正徳寺の別室で、信長は屏風の向こうへ入り、髪を解かせた。
道中に聞いた町の声を、いちいち追いかける気はない。それより、こちらが門を入った時、縁に並ぶ男たちの目が、一斉に動いたことが面白かった。
先に笑う者もいた。口を結んだまま、こちらの供へ目を移す者もいる。舅がどういう者を並べたか、少しは分かった。
衣箱から出された長袴を、供の男が両手で広げた。
信長は腰の紐を締め、重なった布を整えさせる。裾が足元から床へ長く残り、いつものように大股では進めない。肩衣を肩へ掛けた男が、衿の辺りを直そうとして手を止める。
自分で合わせた所を、信長が押さえたからである。
「ここでよい」
脇を留め直した一枚だった。
妻が選び、自分が着ると答えた物が、ようやく一揃いになる。
髪は束を折り曲げて結わせ、腰の長い刀に代えて、用意してきた小さ刀を差した。先ほどまで腰で鳴っていた袋も瓢箪も、今は屏風の内側にある。
傍らの男が、息を止めたように黙っていた。
「何じゃ」
「いえ……御用意が、整いました」
信長は、その顔を見て笑った。
この姿を見せていなかった者には、さぞ珍しかろう。だが、これも自分であり、道を歩いてきた男も自分である。
濃が勧めたのは、見せる順だった。
「箱は、そのまま閉めよ。帰りに困らぬようにな」
屏風の端を抜けると、廊下へ明るい庭の光が落ちていた。
先へ立った寺の者が、行く部屋を示す。
信長は応じ、足を進めた。
*
利政は、対面の部屋で婿を待っていた。
上手へ座を取り、新九郎は脇に控えさせている。入口から続く廊下が見えるよう、戸は開けたままだった。先ほど縁へ並ばせた者たちの中から、対面の座へ入る者が位置を変え、衣擦れの音もやがて収まる。
利政は扇を膝へ置いた。
若い男を黙らせるには、人数を並べれば済むこともある。こちらを見て慌て、何から話すべきかを忘れれば、その後は思う方へ運びやすい。
だが、道を来た男は、こちらの年寄りたちを見ても、足を速めなかった。
廊下の向こうで、人影が止まる。
案内の者が脇へ退いた。
利政は、扇へ置いた指を動かしかけ、そのまま止めた。
先ほどの若者が、立っている。
額へ落ちていた髪は整えられ、肩衣の前が左右へすっきりと垂れていた。深い色の長袴が足元から後ろへ流れ、腰には、あの長い柄とは違う刀がある。
衿を正しただけでは、こうはならぬ。
顔は同じだった。目を伏せて恭しく見せようとも、周りを睨んで強く見せようともしていない。その目が部屋の奥まで届き、新九郎の所で一度止まってから、利政へ戻った。
息を呑んだことを悟られぬよう、利政は顎を引く。
隣で、家臣の膝がわずかに動いた。入口を見直す者がいる。
信長は部屋へ入り、用意された座へ進んだ。長い裾を乱さず腰を下ろすと、両手をつき、頭を下げる。
「織田三郎信長にございます。このたびは、御対面の儀、かたじけなく存じます」
声まで別人になったわけではない。それが、かえって利政の耳に残った。
「利政じゃ。よう参った、婿殿」
顔を上げた信長へ、新九郎を引き合わせる。
婿は帰蝶の兄へ礼をし、顔を覚えるように一度目を留めた。
その間に、利政は己の考えを立て直した。
娘が泣きながら着せた衣ではあるまい。髪も刀も、着替える場所も要る。道を歩いた姿の時から、これを用意していたのだ。
「道中は、いかがであった」
「滞りなく。町へ入ると、こちらをよう見ておりました」
控えの一人が目を伏せた。
信長の口元が、少し動く。
「私も、見せていただきました」
利政は笑った。
何を見たかと聞けば、衣や商いのことだけを答えるかもしれぬ。それでも、ただ見られて座へ来たつもりの男ではないと、今の返事で分かる。
「尾張では、父御の後を継いで忙しかろう」
「父へ通った話が、そのまま私へ来るとは限りませぬので」
「来ぬなら、待つか」
「人をやり、どこで止まったかを聞きます」
信長は、利政の顔から目を外さない。
「止めた者へ腹を立てる前に、そちらへ通した方が得になる話なのか、確かめねばなりませぬ」
利政は、膝の扇を持ち上げた。
若い主が家督を継げば、先代の威をそのまま借りられると思う者もいる。反対に、先代のやり方を消せば己の物になると急ぐ者もいる。目の前の男は、どちらの言い方もしなかった。
「話を通す相手が、一人とは限らぬぞ」
「はい。ですから、こちらの使いが誰に返事を持ち帰るかは、曖昧にいたしませぬ」
美濃と尾張の間でも、という言葉は続かなかった。
続かぬままで、利政には届いた。
娘を迎えた若者が、父の決めた縁をただ預かっている顔で来るのか。それとも、己もその縁を使うつもりで座るのか。
確かめたかったことは、衣の下へ、ようやく触れ始めていた。
「そなたの使いなら、誰であろうと通せ、と」
「そうは申しませぬ。疑わしければお確かめを。ただ、美濃へ参った者が、何を聞かれ、誰へ答えたかを、私にも持ち帰らせていただきたい」
利政は扇を閉じた。
勝手に通せとも、一切を任せるとも言わない。相手が取次ぎの筋を見失わぬようにすることと、自分の耳を塞がせぬことを、同じ用にして差し出してくる。
「ならば、こちらの者を尾張へやる時にも、同じことを頼もう」
「承りました」
新九郎へ目をやると、息子も婿を見ていた。
驚いているだけの顔ではない。父の返事と婿の返事の間へ、自分なら何を置くかを考えている。
利政はそれを確かめ、また信長へ向き直った。
*
新九郎は、膳が運ばれるのを待つ間も、父と信長の言葉を聞いていた。
町で見た姿なら、妹を案じるには十分だった。だが、あの姿を見て腹を立ててしまえば、今の話を聞く耳まで、自分で塞いだかもしれない。
それが面白くはない。
父が目を留めたからといって、ただ同じ方を向く気にもなれなかった。
「三郎殿」
呼ぶと、信長がこちらを見た。
「帰蝶は、父へ何か伝えてくれと申しておられたか」
妹を預けた先を見たいのは、父だけではない。
父と婿がうまく話を運べば、それで妹の暮らしまでよくなるのか。お梅が父へ文をよこす理由も、妹がそれを知っているのかも、今は聞けなかった。
信長は、少し目を細めた。
「お変わりございませんかと。まず、それだけと申しておりました」
新九郎は父を見た。
利政の扇が、膝の上で止まっている。
「まず、それだけか」
「後で増えるかもしれぬとは、申しておりましたが」
新九郎は、声を立てずに笑った。
いくつも考えた末、取りあえず一つだけにする妹の顔が浮かぶ。相手が持てるだけにしようとして、なお次を抱えている顔である。
「こちらは息災であると。新九郎も、そう伝えてくれと申していた、と添えていただきたい」
「承知いたしました」
この男が、妹の頼みを忘れずに持ってきたことは覚えておこう。
新九郎は、それ以上の言葉を足さなかった。
寺の者が戸口で膳を持ち直し、入り口に控えた者へ目で合図する。膝を引いて場所を空けると、温かな汁の匂いが届いた。
*
利政の前へ置かれた椀から、細く湯気が立っていた。
向かいの婿は、膳を前にしても、先ほどの若者のまま落ち着いている。形だけを別の男から借りてきたのなら、そろそろ綻ぶ頃である。
帰蝶の用意した物は、衣だけなのだろうか。
娘が、どんな顔でこの男を送り出したかを思うと、初めにかわいそうだと決めたことが、少し気に掛かった。
「婿殿。帰蝶は息災か」
「元気がありすぎて、困っている次第にございます」
「困っていると?」
声を返すと、信長は椀へ添えかけた手を戻した。
「刀の稽古のことまで、気に掛けまする」
「なんと。女らしくいたせと、申しておるのに」
自分が稽古を許したことと、他家へ嫁いだ娘にもう少し静かでいてほしい気持ちは、利政の中で別だった。
婿が、わずかに苦笑する。
「前に、張り倒されまして」
「まだ、そちらでも暴れておるのか」
言ってから、利政は婿の表情が変わったことに気づいた。
「ただ、私が先に手を上げた折のことです。あれは、私の咎にございます」
利政は黙った。
娘のいない座で、娘一人を乱暴者にして笑う気にはならない。詫びたか、と聞くと、信長は、はい、と答えた。
「ならば、その詫びを忘れるでないぞ」
婿が頭を下げる。
利政はそれを見届け、椀を少し手前へ寄せた。今ここで、娘の代わりに済んだと言うつもりはなかった。
「……まだ、というのは、美濃でも何か」
婿が聞き直す。
利政は、今度は己の宴席を思い出した。
「侍女が酒をこぼしたことがあっての。招いた客が怒った。すると、帰蝶はその者の頭から酒を掛けて、私もお手打ちに、と申した」
信長の手が止まった。
利政は、あの時の娘の目を覚えている。怖さを知らぬ目ではなかった。知ってなお、侍女の隣から動こうとしなかったのである。
「二人分の首を差し出されては、宴どころではない」
婿が、ゆっくり息を吐いた。
利政の溜息も、同じ所へ重なる。
「ほんに」
「まこと」
顔を上げると、信長もこちらを見ていた。
相手を量るために目を離さずにいた時とは違う。二人とも、ここにいない一人の娘を思い浮かべていると、言わずとも分かった。
「扱いにくい娘よ」
「扱いにくい嫁御じゃ」
新九郎が横を向いた。
その肩が動いたのを見て、利政はようやく笑い、控えの者も口元を緩める。
手の掛かる娘を送り出したというのに、その娘のことを持ち出して、初めて婿と同じ息をついた。これでは尾張へ戻った婿に、帰蝶が何を言うかまで、想像がついてしまう。
利政は少し身を乗り出した。
「婿殿。どうであろう。我が娘は、まだおる故、あの馬鹿娘をこちらへ返し、交換してみるというのは」
「なんと」
*
「クシュン!」
那古野で、紗季は膝へ置いていた布から顔を背けた。
お梅が驚き、広げた布を少し引く。出した衣を元の箱へ戻すため、二人で包みを確かめていたところだった。信長の旅に使わない方をしまうのも、支度のうちなのである。
「姫様、お風邪でも?」
「ううん。くしゃみが出ただけ」
鼻の下をそっと押さえ、紗季は庭を見た。
母は先ほど、ひと休みする部屋へ移った。門の外の騒がしさは消え、板戸を引く音と、廊下を行く女たちの声が、いつもの近さに戻っている。
「今、丁度、会見してらっしゃる頃かと」
お梅が言った。
紗季には、今どの部屋で何を話しているか、知る術はない。それでも、髪を整え、選んだ肩衣を着た夫と、それを見る父の顔は思い描けた。
出立の時、母へ仕掛けを説明しなかったことが、少しだけ残っている。戻った夫の姿を自分の目でも確かめてから、母にはきちんと話そう。
「あー。それだ」
紗季は、お梅へ向き直った。
「私を、日の本一の女房とか、よく出来た娘じゃ、とか言ってるのかも」
お梅が笑った。
「そうかと思います。姫様、お優しいですし」
布の端を揃える手が、一度、紗季の傍で止まる。
美濃で一緒に叱られた日のことも、この那古野で庇ってもらったことも、二人の間からなくなってはいない。お梅の言葉を聞くと、紗季は少し照れ、けれど、ここで遠慮するのも違う気がした。
「でしょ!」
畳んだ衣をお梅の膝へ重ね、胸を張る。
父と夫が、まさか自分の交換話で打ち解けているなど、思いもしなかった。
紗季は庭の明るい方へ顔を向け、声を弾ませた。
「私は、日の本一のできた嫁だー!」




