三十話 那古野へ
戸の向こうで、誰かが息をひそめて笑っている。
枕元へ寄ってくる足音に目を開けると、障子はまだ青暗く、枕を離れた頬も冷たい。朝なのか、それとも眠っているうちに灯を消されたばかりなのか、分からなくなる。
「私が先と、申し上げましたでしょう」
「お目覚めになってからでは、起こしたことになりませぬ」
母と槙の声だった。
返事をすればどちらの手柄になるのだろう。寝たふりを続けるつもりで布を引き上げたところへ、小見の指が額に掛かった髪をよけた。
「帰蝶。朝ですよ」
今日は、そのまま布団へ潜り直すわけにはいかない。
起き上がると、寝所の外にはもう、衣を広げる場所が整えられている。お梅が運んできた湯の盆へ、槙が手を伸ばした。母だけは膝を動かさず、紗季の顔を近くから眺めていた。
「眠れた?」
「はい。母上は」
「そなたより、早く起きたわ」
眠れたとは答えてくれない。紗季が目元を覗こうとするより早く、母は立ち上がり、支度の場所へと手を引く。
いつもなら机のあったところに、今朝は畳んだ白い小袖が置かれていた。槙に肩へ掛けてもらい、袖を探って手を出す。次の衣を受け取ったお梅の指が、縫い目を内側へ送った。
「こちらのお袖から、お願いいたします」
言われなくてもできると思ったのに、反対の手を上げてしまった。
お梅も少し笑いかけ、すぐに布を支え直す。彼女自身も、いつもよりきちんと襟を合わせている。その襟を直したおきぬの手が思い浮かび、紗季は今度こそ、間違えずに腕を通す。
上へ重ねられた衣は、朝の薄明かりにも紅が深かった。肩から裾へ目を走らせる間に帯が回され、背に布の張る感触が伝わってくる。昨日までの重さとは違う。衣だけなら何度も確かめたのに、出かけるために着ると、腕を下ろす場所まで迷ってしまう。
「お手を、こちらへ」
槙の示すところへ袖ごと手を下ろせば、布の張りもいくらか収まる。
紗季が手を揃えると、小見は正面へ座り直し、襟の白いところを指で引き出す。直った後も指は離れず、しばらく、そのまま。
「母上」
「何?」
「もう、曲がっていませんか」
母は紗季を見てから、自分の手元を見た。
「ええ。もう、よいわ」
膝へ戻った指の先に、紅の糸が一本ついている。取ろうと伸ばした紗季の手は、槙の声に止められた。今、母に触れたら、もう支度を終えられそうにない。
庭から離れたところに膳が据わり、汁の湯気が母娘の間を上る。飯の脇の皿には、骨を除いた魚を、お梅が少し取り分けてくれている。
箸を持っても、喉がなかなか受け付けない。
「お残しになるなら、お包みしますが」
「食べる。冷めないうちに」
塩の利いた魚を噛んでも、喉を通すには汁が欲しい。箸を追っていた母の目が椀へ移るので、紗季はその向こうに顔を隠す。
汁を半分ほどいただいたころ、廊下で槙が呼ばれた。
紗季の箸が止まる。小見は、まだよいのよ、と言いながら椀の蓋を裏返し、置く場所を作ってくれた。
*
縁から庭へ下りるところに、輿が待っていた。
長い棒を担ぐ男たちが、作兵衛の合図で立つ位置を変える。先へ運ばれた箱もあるらしく、いつも荷を置く軒下には、敷物だけが残っている。
槙が紗季の頭へ衣を掛けた。布越しに光が和らぎ、左右の景色が隠れる。
「お足元を。お入りになる時は、上にもお気をつけて」
屈んで入ってみれば、座は膝を抱えたくなるほど低く、紗季は手を置く場所を探さねばならなかった。
裾をまとめてもらう間にも、外で人が動く。脇の簾をまだ下ろさずにいてくれたので、紗季は顔をそちらへ向けた。
母が、すぐそこまで来ている。
その後ろ、廊下の柱のそばには利政がいた。今朝の挨拶は短く済んだ。大勢の前で、昨日の言葉をもう一度聞くことはできなかったけれど、父は出立の手配が終わるまで、そこを離れずにいる。
「作兵衛」
呼ばれた男が父の前へ膝をつく。
「届け終えるまで、気を抜くな」
「心得ております」
作兵衛は人と荷を引き渡すため尾張まで供をし、その後は美濃へ戻ると、朝、槙に聞いた。そのことを心強く思うのと、いずれ帰っていく人なのだと考えるのが、交互にやってくる。
紗季は母へ何かを言おうとした。
昨夜には、まだ明朝があった。朝になれば言えるつもりで残していたことが、膝の上へ重なり、どれも取り出せなくなる。
「着きましたら、文を」
ようやく言うと、小見は頷いた。
「待っています」
「長く、書けないかもしれません」
「着いたと分かれば、よいの」
近くへ来た母の手が、入口の木に添えられる。紗季もその上へ手を置いた。指を握るには、衣の袖が間に入りすぎる。それでも離さずにいると、母の方から指先を探してくれた。
「行ってまいります」
小見の唇が動いたが、声はすぐに届かなかった。
紗季が待つ間、母は一度、きつく手を握る。
「行ってらっしゃい」
その手が離れ、槙が簾を下ろした。
外から声が掛かる。床が傾き、紗季は慌てて脇へ手をついた。人の肩へ持ち上げられているのだと分かっても、体は先に揺れへ反応してしまう。
歩き始めると、簾の目を通して見えた柱が、一本ずつ後ろへ移った。
庭石、縁の下、誰かの衣の裾。門へ近づくまでに、母の姿は見えなくなった。
*
館を出たばかりの道を、紗季はほとんど見ていなかった。
輿の中では、泣いているところを見られずに済む。そう思った途端、涙が止まらなくなり、袖で押さえようとして、槙から渡された布を探す。
掌ほどの布を目へ当てているうち、かえって音が近づいた。担ぐ男の息、草鞋の擦れる音、道の先を空ける声。自分を運ぶために、人が歩いている。その音が頭の左右を離れず、いつもの歩幅も、自分で選べぬまま運ばれていく。
腰を浮かせた拍子に輿が横へ振れ、驚いて握った指の下で、座の縁が軋む。
「お加減は」
清十郎の声がして、布を目へ当てる手に力が入る。
涙を拭って返事をしたが、いつもの声にならない。
「大丈夫です。座り直しただけで」
「次に道の広がる所で、お休みを取ります」
彼が離れた後も、紗季には布を顔へ戻すことができなかった。
昨日、顔を見てからと言ったのに。朝、荷を扱う者へ声を掛けていた彼の姿は覚えているが、目が合ったかどうかとなると、もう自信がない。
今も、声を聞いただけでほっとする。そんな自分を持て余し、紗季は湿った布の角を揃えた。
信長へ嫁ぐ道を、清十郎と一緒に進んでいる。美濃で考えていた時には、二つを同じ一日に置くことさえ難しかったのに。
昼前の休みでは、輿を下りて自分の足で歩いた。
道から外れた家の一間を空けてもらい、槙とお梅について奥へ入る。土間の隅では、知らない女が膝へ布を広げ、使っていた道具をまとめていた。
紗季たちのために仕事を片づけたのだろう。礼を言おうとした時には、その人はもう外へ下がっている。
脚を曲げた途端に膝の裏が引きつり、紗季は敷物の端を握った。
「少し、伸ばされては」
「よいの?」
「こちらには、私どもしかおりませぬ」
槙に言われても、初めはためらった。やがて帯の下から片脚をそっと出すと、お梅が裾の端を足先へ掛け直してくれる。
「足、変になりそう」
「もう、なっておいでです」
その声に笑い、膝を抱えかけて帯に止められた。
お梅も笑ったが、湯を運ぶために立った時、片足を床へつくのが遅れた。紗季が尋ねると、少し草履が当たっただけという。
「槙に見てもらって。私の支度が済んだら、じゃなくて、今」
お梅は何か言いかけ、槙に座る場所を示されて腰を下ろす。足の指の際へ薄い布を当ててもらっている間、紗季は自分で湯の器を引き寄せた。
外では担ぎ手の男たちが、次に誰がどちらへ回るか相談している。膳を運んできた家の女は、その声に短く返してから、紗季の前へ飯を置いてくれた。
礼を述べると、女は頭を下げ、それきりこちらを見ない。慣れない客が早く出ていってくれるのを待っているのかもしれず、紗季は箸を取った。
再び外へ出るころには、清十郎が輿の脇に待っていた。
作兵衛は道の先で荷を確かめ、お梅は槙と一緒に包みを受け取っている。顔を合わせられる間にと、紗季は彼へ声を掛けた。
「朝、ご挨拶ができませんでした」
「こちらも、お声を掛けそびれました」
清十郎の目が、手にした布へ向く。
泣いたところを見せたくなくて畳み直す間に、彼は輿の入口へ半歩よけ、こちらが進むのを待ってくれる。いつものように手を借りようとして、紗季は立ち止まった。
袖の内へ指を戻し、紗季は清十郎を見た。
「尾張へ着いたら、私は三郎殿の妻になります」
清十郎が顔を上げた。
用意してきた言葉が、今さら何をと責める自分の声に塞がれて、出てこない。彼だって知っている。紗季が言わなければ、知らぬままでいられる話ではないのに。
「今朝も、そばにいらしてほしいと思いました。これからも、きっと思います。でも、好きだと申し上げた日のようには……」
最後まで続けられず、目を伏せた。
輿の横棒の下に、清十郎の足が見える。朝から歩いてきた草履には土がつき、片方の紐だけ色が濃い。
「分かっております」
静かな声に顔を上げる。
清十郎は頷いたが、目元まで和らいではいなかった。
「分かっていることと、平気でいることは、同じではございませぬが」
布の折り目を指で探りながら、紗季は続けかけた言葉を飲み込む。何を言っても、彼に大丈夫だと答えさせる頼みになりそうだった。
「清十郎様」
「はい」
「来てくださって、ありがとうございます」
言いたかったことの全てではない。それでも、助けてもらえるからというだけの礼には聞こえなかったはずだ。
清十郎は深く一礼し、顔を戻してから輿の脇へ寄る。
「上に、お気をつけて」
差し出される手を待たず、紗季は入口の木へ掌を置いた。
屈むと頭の衣が前へ滑り、彼の顔が隠れる。座へ収まって裾を整えてもらう間、紗季は、その布を自分から上げようとはしなかった。
*
夜を過ごした家では、隣室にまで荷の音が聞こえた。
槙とお梅が紗季の衣を緩め、足を温める支度をしてくれる。壁際へ置いた包みを一つずつ確かめ終えると、槙はようやく自分の肩へ手を当てた。
「槙も、痛い?」
「動かさずにおりますと」
紗季は場所を空けた。
おきぬから託された丈夫な布が、今は湯の器の下に敷かれている。その端を寄せて濡らさぬようにすると、お梅が向かいへ座り、三人の膝の間に、温めた布が順に渡された。
今ごろ、美濃では夕餉の膳を下げるころだろうか。
母の部屋へ湯を運ぶのは誰だろう。尋ねなくても暮らしは続くと分かっているのに、今日に限って、戸口の位置まで思い浮かんでしまう。
「母上も、もうお休みでしょうか」
槙は手元の布を畳みながら、そうでしょうね、と答える。
誰も、眠っていないはずだとは言わなかった。紗季も、今ここで母の眠りを確かめたいのではない。
横になる前に、明日の衣を見せてもらった。裾の折り目へ触れてから手を離し、お梅が灯を遠ざけるのを待つ。灯が部屋の隅へ移ると、天井の見知らぬ梁だけが暗がりに残った。
翌朝、川を渡るために、いったん輿を下りた。
岸の土は、見た目より軟らかい。槙の手を借りて舟へ移ると、板の下から水が押し返し、座る前に体が横へ流された。
お梅が息をのむ。
紗季も声を出しかけたが、すぐそばで舟の縁を押さえていた男が、まだ立たぬようにと告げた。座を低くすれば、揺れは少し小さくなる。
水の上へ出て、ようやく顔を上げられた。見渡しても、山に守られた館の庭と似たところはない。
木々に遮られず、風がまともに頬へ当たる。遠い岸は低く、その向こうに家の屋根が続いていた。あの中にも、朝に起こす声や、出かける人を見送る戸口があるのだろう。
指を袖へ隠すと、隣のお梅がこちらを見た。
「冷たいね」
「はい。でも、よう見えます」
岸を見たままの返事だった。
普段なら遠慮してすぐに目を戻すお梅が、今は舟の先まで身を向けている。紗季もそちらへ目を向けた。対岸から来る別の舟が近づき、顔も知らぬ人たちが、同じ水に揺られながら脇を過ぎていく。
*
その日の午後、簾の外から槙が、那古野に着いたと知らせてくれた。
名古屋。胸の内で呼び直しても、学校の地図で見た字と、目の前の家並みはうまくつながらない。ここには広い道路も、高い建物も見当たらず、木の戸を押し開けてこちらを見る人がいる。
寄り集まる声に耳を澄ませているうち、輿は軒先を通り過ぎた。美濃で聞く言葉と、どこが違うのだろう。もう一度聞きたい声ほど、足音の向こうへ置き去りになる。
やがて足音が揃い、前を行く者の声が改まる。
門をくぐったのだと気づいたのは、こちらへ向けられた挨拶が、男の声から女の声へ変わってから。
「長の道中、お疲れでございましょう」
簾が上がり、知らない顔が現れた。
二十を幾つか過ぎたほどの女が、入口の脇へ膝をついている。眉が濃く、口元にほくろが一つ。笑いかけるより先に紗季の裾を見て、槙が手を添えられるよう、半身をよけてくれた。
「佐和と申します。お部屋まで、お連れいたします」
槙が名乗りを返し、お梅に荷を指示する。
紗季は輿の外へ足を出した。地面が動かないだけで、かえって体が揺れているように感じる。佐和がすぐに手を出したが、紗季は槙の袖をつかんで立った。
「失礼を。まだ、揺れているみたいで」
「止まってからの方が、そうなるお方もございます。こちらへ」
案内される廊下は、美濃の館より曲がり角が近かった。
一つ曲がると、もう庭が見えなくなる。ここで槙とはぐれたら、来た門へさえ戻れそうにない。紗季は目の前の背を追い、途中でお梅がついてきているか振り返った。
お梅は小さな箱を抱え、こちらを見て頷く。紗季は歩みを戻し、槙が立ち止まったところで自分も足を止めた。
佐和の開けた戸の中には、庭に面する畳が二枚、奥へもう一枚。庭側の戸は閉じ、廊下から入る光だけが部屋を横切っている。
「こちらでお支度を。隣へ御荷物を入れております」
槙と佐和が、どの箱を先に開けるか確かめ合った。
紗季は勧められた畳へ座り、やっと頭の衣を取ってもらう。こめかみへ風が当たると、そこに汗をかいていたのが分かった。
廊下の向こうから、作兵衛が帰着を告げる声がする。続いて荷の数を読む声が聞こえ、清十郎が短く答えた。
来たのだ。
手に取れぬまま考えていた尾張が、今は、自分の足を置く畳になっている。
「お水を、いただけますか」
いつものようにお梅へ向けて頼むと、先に佐和が戸口を振り返った。
「こちらにございます。お梅殿、器はここをお使いください」
同じ用事でも、尋ねる相手が違う。お梅が棚の場所を教わる間、紗季は膝の上へ両手を置き、知らない部屋の中で待つことになった。
湯で顔を拭き、衣の襟を直してもらっている最中に、廊下の足音が止まった。
佐和がそちらを見て、手にした盆を脇へ置く。
「三郎様」
紗季の肩から、槙の手が離れた。
戸口に立っていたのは、若い男だった。
濃い色の小袖を着て、袖の片方を肘近くまで引き上げている。裾には道の土が乾いてつき、上げた腕と顔だけが、外の冷たさを残して赤い。
思い浮かべていた肖像と、どこも重ならなかった。
「三郎だ。道中、難儀はなかったか」
織田信長。
そう思った途端、紗季は座っている位置を確かめようとした。男はまだ敷居の外にいる。自分が奥へ寄るべきなのか、入口へ向き直って頭を下げるべきなのか。決める前に、体の方が畳へ手をついていた。
「帰蝶にございます」
用意してきた挨拶の続きが浮かぶ。
けれど信長は、そこでこちらへ足を入れ、庭戸の方を見た。
「暗いな。開けぬのか」
「お寒いかと存じまして」
佐和の返事を聞く間も、信長は戸を開けよとは言わず、紗季の顔へ問いを向ける。
「寒いか」
「今は、暑いくらいにございます」
顔だけが熱く、膝の辺りには、まだ道中の冷たさが残っている。
長旅をしてきた自分が、どう見えるのか。首筋へ手をやりたいのをこらえる間に、佐和が戸を引き、信長は音のする方へ顔を向けた。
庭の明かりが差し入り、彼の頬にあった細い擦り傷まで見えた。紗季より背が高い。それでも、父や兄を見た時のような、年上の人が来たという感じとは違う。
「川は、どうであった」
何の川かと考え、今朝の舟を思い出す。
「水が、近うございました」
「川の上におれば、近かろう」
後ろで佐和が小さく息を詰めた。
笑われたのかと思って顔を上げると、信長は膝を折り、庭側の板敷きへ腰を下ろしている。
「水は増えておったか。上の方で雨が降ったと聞いた」
「私には、いつもより多いかまでは分かりませぬ。ですが、岸の草に、泥がついておりました。今、水のないところにも」
舟へ移る時、裾を触れさせぬよう気をつけた草だった。
信長は庭を見ながら聞き、どの辺りだと尋ねる。紗季が答えられずにいると、佐和が槙へ目をやり、続いて廊下を窺った。
「供の者に、聞く」
信長はそう言って立ち上がる。
早い。会ったら何を聞こうとあれほど考えていたのに、自分の方からは何も尋ねていない。
「三郎様」
呼び止めてから、何を言うべきか分からなくなった。
信長は敷居の手前で振り返り、そのまま待っている。袖を膝へ寄せ、母に何度も見てもらったとおりに両手を揃えながら、紗季は次の言葉を探す。
「お迎えいただき、ありがとうございます」
初めに言うはずの挨拶を、今になって口にしている。その順序を気にした様子もなく、信長は紗季の顔をしばらく眺めてから頷いた。
「よう来た」
それだけ返し、佐和へ、今日は休ませよと告げる。廊下へ出た彼が、すぐに男を呼ぶ。相手の返事を聞いてから話し始めるその声に、紗季は戸口を向いたまま耳を澄ませた。
信長と、話をしたのだ。
何を考えたかと問われれば、川の水のことしか思い出せそうにない。それでも、あの人がこちらの答えを待った顔を、もう、本の中へは戻せそうになかった。
佐和が戻ってきて、庭戸をどのくらい残すかと尋ねた。
紗季は眩しくなった畳を見てから、外へ顔を向ける。低い枝の下を、葉の落ちた庭が向こうの塀まで続いていた。
「もう少し、このままで」
自分の声に、お梅が顔を上げる。
紗季は頷き返し、差し出された水を受け取った。今度は、椀を持つ両手も、さほど揺れずに済んだ。




