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文蝶 〜文が紡ぐ戦国のんびり生活〜  作者: 藤原 智
美濃

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十九話 朝の支度

 お梅が朝の膳を運んでいくと、帰蝶はもう髪を整えていた。

 庭側の戸は細く開き、その隙間から入った光が、膝に広げた小袖の襟を照らしている。まだ帯も締めていないというのに、そばには袖を留める紐まで用意してあった。


「今日は、早くお出になるのですか」


 膳を据えながら尋ねると、帰蝶は紐を衣の下へ押し込んだ。


「いつもと同じだよ」

「では、お召し替えの前に、どうぞ」


 汁の椀から、白い湯気が上がる。

 帰蝶は素直に膳へ向き直ったものの、箸を取るまでに、もう一度戸の外を見た。お梅はその間に衣を持ち上げ、押し込まれた紐を取り出して畳む。

 昨日、頬を赤くして話していたことを、忘れたわけではない。

 だが、これほど分かりやすくなるとは思わなかった。


「お梅、その袖、ほつれてない?」


 不意に聞かれ、自分の袖を見た。帰蝶が指しているのは、お梅の手元にある稽古着の方らしい。

 袖口を裏返すと、糸が一か所浮いている。今日着ただけで裂けるほどではないが、引っかけて広がる前に直しておきたい。


「直してから、お召しになれます」

「時間、掛かる?」

「お食事を召し上がる間には」


 帰蝶の箸が少し速くなったので、お梅は針箱を取りに行く前に言い添えた。


「早くお食べになっても、私の手は速くなりませぬよ」

「そういうつもりじゃないってば」


 その声を背に受け、お梅は廊下へ出た。

 顔に出さないつもりだったのに、曲がり角へ来たところで笑ってしまう。朝から膳を下げるのを待たれたことならあるが、針仕事の終わりまで気にされるのは珍しい。

 縫うところは、ほんの少ししかない。それでも、今日はいつも以上に、裏側まできれいに仕上げてやりたかった。


 お梅は部屋へ戻り、戸に近い明るい場所へ座った。

 布を張りすぎないよう押さえ、浮いた糸の端を始末する。母から教わった針目は、まだ同じ幅に揃わない。急いだところだけ細かくなる癖があるので、今日はひと針ごとに前の目を確かめた。

 帰蝶は食事を終えても、急かさなかった。

 代わりに、汁の椀を両手で持ったまま、廊下へ耳を向けている。


「作兵衛様がおいでになるには、まだ早いかと」

「私、何も聞いてないよ」

「はい。申し上げただけです」


 お梅は針先へ目を戻した。

 このくらいなら、からかいすぎではないはずだ。けれど、帰蝶が黙ったので横をうかがうと、膳の向こうからじっと見られている。


「お梅、昨日から楽しそう」

「姫様も」


 言ってから、しまったと思った。

 帰蝶は椀を置き、何か言おうとして口を閉じた。怒ってはいないらしいが、衣の下へ隠した紐をもう一度探すように、畳へ視線を落としている。

 人に聞かせたくないことを話してくれたのに、それを面白がるばかりではいけない。

 お梅は残りの数針を進め、糸を留めた。


「できました。どうぞ、お立ちくださいませ」


 衣を広げると、帰蝶は立ち上がって腕を通した。直した袖口を指でなぞり、その裏まで見ようとする。


「どこだったか、分からなくなった」

「ここでございます」

「言わなくてよかったのに」


 そう言われて、お梅もようやく笑えた。

 帯を整え、背に回った布の皺を伸ばす。帰蝶は今朝、何度も自分で襟を触るので、結び終えるまでじっとしていてもらわねばならない。


「まだ、曲がってる?」

「もう、直っております」

「そう」


 手が下りる。

 ところが、戸口で槙の声がすると、帰蝶はまた襟へ指を持っていった。


 稽古棟へ向かう廊下には、昨夜の湿気が残っていた。

 庭を挟んだ向こうで、男たちが荷の覆いを畳んでいる。乾いた面を内へ重ねるたび、布の端から細かな土が落ちた。

 帰蝶はお梅より半歩前を歩いていたが、稽古棟の屋根が見えるところまで来ると、急に足を緩めた。


「河瀬様は、もうお見えかな」

「いつも先においでです」


 お梅が答えても、帰蝶の目は棟の戸口へ向かない。軒の柱から裏庭へ移り、そこに誰もいないと分かると、今度は足元の板を見る。

 篠原様なら、たぶん裏口にいらっしゃる。

 朝、水を運ぶ途中で見かけたので、お梅は知っている。けれど、頼まれてもいないのに教えるのは、またからかうのと同じかもしれない。

 迷っているうちに、作兵衛が小屋の陰から現れた。その後ろに、紐でまとめた敷物を抱える清十郎がいる。

 帰蝶が立ち止まった。

 清十郎も顔を上げたが、両腕の荷を落とさないよう持ち直し、先に作兵衛へ何かを言った。作兵衛は軒下を指してから、帰蝶たちへ挨拶をする。


「河瀬が、お待ちしております」

「はい」


 返事をした帰蝶は、それでもすぐに進まない。

 お梅が盆を抱え直す間に、清十郎は荷を下ろして戻ってきた。


「おはようございます」


 帰蝶の声だった。

 少し高く響いたその挨拶に、清十郎が深く頭を下げる。


「おはようございます、姫様」


 お梅は、次の言葉を待った。

 ところが、二人とも何も言わない。帰蝶は袖の端を押さえ、清十郎は顔を上げた後も、立つ場所を変えずにいる。

 挨拶の続きを忘れたような間だった。


「では、お稽古へ」


 作兵衛が戸の方へ手を向ける。


「あ、はい。参ります」


 帰蝶は慌てて歩き出した。お梅もついていこうとしたが、足元へ伸びた敷物の紐を避けるため、一度止まる。

 その時、清十郎が帰蝶の後ろ姿を見送っているのに気づいた。

 お梅と目が合うと、彼はすぐにしゃがみ、飛び出した紐を束の中へ収めた。必要な仕事ではあるけれど、拾うまでの早さが、少しおかしい。

 姫様だけでは、ないのかもしれない。

 お梅はそれ以上見ず、戸口へ急いだ。


 稽古の間、お梅には水の支度と、汗を拭く布を揃える仕事がある。

 その日は使い終えた布を槙へ渡し、洗い上がったものを受け取って、庭に面した細い縁へ広げるよう頼まれていた。曇ってはいるが、風が通るうちに少しでも乾かしたい。

 広いものを奥へ、小さなものを手前へ並べていると、棟の中から河瀬弥四郎の声がした。


「相手の足を。顔ばかり追っては、遅れます」


 お梅は布を持つ手を止めかけた。

 まさか、こちらの考えていることを言われたのではない。稽古の声だと分かっているのに、ひとりで可笑しくなる。

 そこへ槙が来て、まだ湿った一枚を持ち上げた。


「端が重なっておりますよ」

「すみませぬ」


 浮かれているのは、自分も同じらしい。

 お梅は間を空けて置き直した。槙は叱り重ねず、空模様を見てから、雨になったらまず手前の布を取り込むよう言う。


「奥のものまで抱えようとせず、誰かを呼びなさい」

「承知いたしました」

「それから、姫様のお食事は」

「残さず召し上がりました」

「そう。今朝は、お早かったのですね」


 槙の声に含まれたものを測りかね、お梅は布の端を引いて皺を直した。

 どこまで気づいているのだろう。

 昨日、帰蝶から聞いたことは話していない。仲直りしたとだけ伝えると、槙はそれ以上尋ねず、よかったですね、と答えた。

 お梅にも、同じようにできるだろうか。

 顔を見れば笑いたくなるし、二人が黙れば何か言ってやりたくなる。けれど、代わりに答えてしまっては、帰蝶が自分で話すところを奪うのかもしれない。

 槙が次の用へ行った後、お梅は畳んだ乾き布を抱え、稽古棟へ戻った。


 稽古が終わる頃には、庭の明るさが変わっていた。

 雲の下で葉の緑が濃く見え、軒先から遠い塀まで、影の境がなくなっている。お梅が水の盆を出すと、帰蝶は礼を言って椀を取った。

 最初の一口を飲み、庭へ顔を向ける。

 清十郎は作兵衛のそばで、運び込まれた物を数えていた。帰蝶がそちらを見ている間は手元を見ていて、帰蝶が水へ目を戻すと、ようやく顔を上げる。

 どうして、同じ時に見ないのだろう。

 お梅には不思議だったが、口には出さず、使い終えた布を盆の端へ寄せた。


「姫様、本日は最後のところが」 


 清十郎の声に、帰蝶が椀を下ろす。


「はい」

「河瀬殿のお声が掛かる前に、お退きになれましたな」

「見ていらしたのですか」

「荷を下ろした折に」


 帰蝶は椀の縁を指で一度なぞった。 


「この間、教わったところだったので」


 そう答える声が、朝より低く落ち着いている。お梅は、こちらへ向けられた時とは少し違う響きを聞いた気がした。


「今日は、できたと思います」

「ええ」


 清十郎が頷く。

 帰蝶も小さく頷いて、それから、何か続けようと口を開いた。

 その前に、庭へ大きな滴が落ちた。

 一つ、二つと土の色が変わる。お梅が空を見上げた時には、稽古棟の屋根が細かな音を立て始めていた。


「布を」


 思わず声が出た。

 盆を縁の奥へ置き、庭沿いの廊下へ走る。乾かしていた布は庇の下にあるものの、風が変われば端から濡れてしまう。

 槙に言われたとおり、まず手前のものを畳まずに重ねた。


「姫様、そちらの籠をお願いできますか」


 振り向くと、帰蝶はもう廊下を曲がってきていた。空の籠を見つけて両手で持ち、お梅の前へ置いてくれる。


「このまま入れていい?」

「濡れたものを、こちらへ。奥の分は別にいたします」


 帰蝶は聞いたとおりに分け始めた。

 お梅は縁の端へ身を寄せ、柱の近くに残った二枚を取る。雨を含んだ風が袖へ吹きつけ、思わず片目をつぶった。

 庭側では清十郎が荷へ覆いを掛け、作兵衛が端を押さえている。こちらへ来てもらうわけにはいかない。

 お梅は布を抱え込む代わりに、帰蝶へ一枚ずつ渡した。


「これで、こちらは終わりです」

「奥は、まだあるよ」

「あちらは槙様を呼んでから」


 言い終わる前に、別の侍女を伴った槙が廊下へ現れた。

 お梅が残った場所を伝えると、槙は頷き、帰蝶の持つ籠を自分で引き取る。


「助かりました。お二人とも、袖をお確かめなさい」


 帰蝶は自分の袖より先に、お梅の右腕を見た。


「こっち、濡れちゃったね」

「端だけですから」

「でも、冷たいでしょう」


 触れようとする手を避けたのは、汚してはいけないと思ったからだった。帰蝶は引っ込めた手をそのまま下ろし、乾いた布はどこかと槙に尋ねる。

 お梅は、自分の袖から雨を払った。

 ついさっきまで、姫様の身支度を整えるのは自分の仕事だと思っていた。その人が、今は自分の濡れた袖を気にしている。

 嬉しいのに、少し困る。

 だが、それを言う間もなく、帰蝶は槙から受け取った布を差し出してきた。


 雨はほどなく弱まったが、いったん取り込んだものを、このまま重ねてはおけない。

 槙の指示で、お梅は空いた控えの間へ布を運んだ。廊下に面した戸を開け、風の通るところへ乾いたものから並べていく。

 帰蝶は着替えのため、先に部屋へ戻っていた。

 お梅も早く行かなければと思うのに、湿った布は持ち上げるたび別の端が垂れる。焦って重ねればまた乾かなくなるので、奥歯を噛むようにして手を動かした。

 最後の一枚を広げ、戸口へ出たところで、作兵衛と清十郎に会った。

 雨を避けた荷の置き場を確かめているらしい。作兵衛が控えの中を見て、ここは布に使っているのかと尋ねた。


「槙様のお申しつけです」

「では、荷は向こうへ」


 用が済んだと思って脇へよけたお梅を、清十郎の声が引き留める。


「姫様は、濡れなかったか」

「少し。今、お召し替えを」

「そうか」


 それだけ言って歩き出しかけたのに、彼はもう一度お梅へ顔を向けた。


「先ほどは、助かったとお伝えしてくれ」


 お梅は返事をしかけたものの、すぐには頷けなかった。

 代わりに伝えるのは、いつもの務めではある。姫様がお聞きになれば、きっと喜ぶ。

 それでも、今朝の二人を見た後では、その一言を自分が持っていくのは惜しかった。


「また、お顔を合わせられた時に、仰ってくださいませ」


 清十郎が眉を寄せた。

 断ったように聞こえただろうか。お梅は慌てて、言葉を足す。


「姫様も、篠原様に、まだお話があったようでしたから」


 そこまで言うと、清十郎は廊下の先を見た。帰蝶の部屋へ続く道は途中で折れていて、ここから戸口は見えない。


「……分かった」


 作兵衛が隣で、鼻から短く息を出した。

 笑ったのかどうか確かめる前に、お梅は頭を下げて二人と別れた。少し出過ぎたかもしれない。それでも、部屋へ戻る足は軽くなっていた。


 帰蝶の部屋では、槙が濡れた衣を畳んでいた。

 着替えはもう済んでいる。お梅が遅くなったことを詫びると、帰蝶は机から顔を上げた。


「布、大丈夫だった?」

「少し湿りましたが、汚さずに済みました」

「よかった」


 自分が戻るのを待っていたのだと思ったら、その一言が嬉しかった。

 帰蝶の手元には手本と紙があり、午後は小見の方へ習いに行くことになっている。人前での言葉遣いを練習していたらしく、開いた紙には短い文句が並んでいた。


「母上に、お手伝いのことをお話ししてもいいかな」

「よろしいかと存じます」


 槙が答える。


「ただ、お梅を助けてやった、と仰るのでなく、二人で片づけたとお話しなさいませ」

「うん。お梅に、やり方を教わったから」


 帰蝶はそう言って、お梅へ目を向けた。

 お梅は畳の縁を見た。今度は、自分の方が顔を上げにくい。

 槙が衣を持って出ていくと、帰蝶は声を落とした。


「さっき、篠原様と話してた?」


 庭側の窓から、渡りの廊下が少し見える。その端を通ったところだけ、見られたらしい。


「お荷物を置く場所のお話です」

「そうなんだ」 


 帰蝶は紙へ戻りかけた。

 お梅は黙っていられず、少しだけ続ける。


「姫様が濡れなかったかとも、お尋ねでした」


 筆を取ろうとした手が止まる。


「それで?」

「お着替え中と申し上げました」

「……そう」


 今度の返事は、さっきより長かった。

 お梅は膳を下げる支度をしながら、何でもない顔をする難しさを知った。帰蝶の方も紙を見ているだけで、なかなか筆を持たない。

 嬉しいことがあったなら、そのまま嬉しそうにすればよいのに。

 そう思ってから、自分も袖を直した礼を言われた時には、うまく顔を上げられなかったことに気づく。


 その日から三日ほど、お梅は朝の支度に少し余裕を持たせるようになった。

 早く稽古へ出るためではない。襟を整えた後に、帰蝶が自分でも直し、かえってずらしてしまうことがある。

 顔を合わせれば言葉を交わすようになっても、二人の間には、まだ妙な遠慮が残っていた。

 ある朝は、清十郎が荷を運ぶ途中だったため、帰蝶の方が足を止めずに挨拶だけをした。帰りに会うと、雨の日には助かった、と彼が言う。


「お梅が教えてくれたので」


 帰蝶はそう答え、次には、この前の荷は濡れずに済んだかと尋ねた。

 清十郎が説明している間、お梅は水の盆を抱えて待った。別に面白い話ではない。覆いの片側だけが風でめくれたとか、奥の物から運び直したとか、仕事の話ばかりだった。

 それなのに、帰蝶は最後まで聞いている。

 清十郎も、作兵衛に呼ばれるまで話を切らなかった。

 自分が何か言わなくても、二人で話せる。

 ほっとしたはずなのに、その日の帰り道、お梅は少しだけ歩くのを遅くした。 


 帰蝶から尋ねられることが増えたのは、嬉しかった。篠原様は今日は裏口にいるのか、あの荷はどこへ行くのかと聞かれれば、知っていることを答える。

 けれど、昨日針を折ってしまったことや、母に教わりたい縫い方の話は、いつ言えばよいのだろう。

 帰蝶が楽しそうなのに、自分の話を挟みたいと思うのは、わがままかもしれない。

 お梅がそんなことを考えていると、前を歩く足が止まった。


「お梅、疲れた?」

「いいえ」

「私が速かった?」

「そうでは、ございませぬ」


 帰蝶は戻ってこようとしたが、お梅が追いつくと、今度は隣に並んで歩きながら尋ねてくる。


「そうだ。お母さんのところへ行くの、今日だったよね」


 お梅は顔を上げた。

 槙に頼み、午後の付き添いを代わってもらうことになっている。帰蝶にも二日前に伝えたが、覚えているとは思わなかった。


「お許しをいただいております」

「新しい縫い方、教わるんでしょう。できたら、私にも見せて」


 お梅は盆の縁を握り直した。

 自分でまだできないものを見せる約束をしてよいのか、少し迷う。それでも、もう話す機会がないように思っていた気持ちは、ほどけていた。


「うまくできましたら」

「うまくいかなかったら?」

「……また、教わります」

「じゃあ、途中のも見せて。どこが難しいのか、私、分からないから」


 帰蝶はそれだけ言って、足元の敷居を越えた。

 お梅は遅れずについていく。昼の膳には何が出るのかと尋ねられ、台所で聞いた菜の煮物の話をすると、帰蝶は、それなら少し柔らかいところがいい、といつもの調子で答えた。


 夕方、母のところから戻ったお梅の袖には、小さな布切れが入っていた。

 練習した縫い目は曲がり、裏へ返せば糸が一か所余っている。見せるには早いと思うのに、約束したからには持っていかねばならない。

 部屋へ上がる前、槙に帰着を告げると、帰蝶は庭側で涼んでいると教えられた。

 暮れかけた庭では、葉の先だけがまだ光を受けている。縁へ出ると、帰蝶が振り向いた。


「おかえり。見せて」

「先に、お母さんは達者かとお聞きになってくださいませ」


 口にしてから、お梅は目を伏せかけた。

 ところが、帰蝶は笑って身を乗り出してくる。


「お母さん、お元気だった?」

「はい。姫様にも、よろしくと」


 ようやく布切れを取り出すと、帰蝶は両手で受け取り、明るい方へ向けた。

 縫い目をすぐ見つけられず、ひっくり返した拍子に端をほどきそうになる。お梅が慌てて押さえると、帰蝶も手を止めた。 


「ここを持てばいい?」

「そこなら、大丈夫です」


 二人で布の端を持って、少しずつ広げる。

 向こうの廊下を、作兵衛と清十郎が通った。

 帰蝶は声に気づいて顔を上げ、清十郎が頭を下げると、小さく会釈を返した。彼らはそのまま表の方へ去っていく。

 お梅は布を畳もうとした。


「待って。まだ、そっちを見てない」


 帰蝶の指が、余った糸のそばを指す。


「ここ、どうしたらよかったの?」


 お梅は膝を少し進めた。今度は自分から布を広げ直し、母に教わったとおり、指先で針の通る道を示す。

 帰蝶は廊下へ目を戻さず、説明の途中で何度か尋ねてきた。

 明日の朝も、襟を直す時間は取っておこう。

 そう考えながら、お梅は、ここを急ぐと糸が余るのです、と自分の失敗を見せた。

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