十七話 喧嘩
結び損ねた紐が、紗季の背中でほどけた。
袖を留めていた布が肘まで落ちてきたので、木剣を返した紗季は、片手でそれを押さえてお梅を呼んだ。ところが、お梅は稽古場の戸を閉めるのを手伝っていて、こちらに背を向けている。
「少し、そのままで。すぐ参ります」
「いいよ。もう、外すだけだから」
紗季は肩越しに手を回し、残った結び目を探した。指が届くようで届かず、体まで一緒に傾く。
「反対の端をお引きになれば、ほどけます」
軒の下から清十郎が声を掛けた。
言われた方を引くと、あっけなく紐が抜けた。紗季がそれを持ち上げて見せると、彼の口元が少し緩む。
「最初から、そうすればよかったのですね」
「結び目を作られたのは、姫様でしょうか」
「今日は、自分で」
「では、よくお覚えになりましたな」
紗季は、褒められたのかからかわれたのか決めかねて清十郎を見た。けれど、彼はもう作兵衛へ向き直り、裏口を通す荷の数について話し始めている。
何か返したかったのに、機会を逃してしまった。
六月に入ってから、稽古の後にはこうして、息を整えながら一言二言話すことが増えていた。足運びのことばかりではない。庭へ入り込んだ猫が何をくわえていたとか、朝に通った道の石が外れていたとか、その場で見聞きした小さなこともある。
近江の方への礼状は、来訪の翌日に届けてもらった。返事を急いではいないが、今度会ったら話せることを見つけると、少し覚えておきたくなる。それと同じように、清十郎がそばにいる時にも、何か話すことはなかったかと考える自分がいた。
「姫様。お水を」
戻ってきたお梅から椀を受け取り、紗季は二口飲んだ。冷たすぎない水が、乾いた口によく馴染む。
稽古に使う棟の南側には、薪小屋と裏口へ続く土の庭がある。晴れ間の続いた地面には車輪の跡が固まり、深いところだけ黒ずんでいた。作兵衛はそこを避けて荷を通すよう、門の方へ声を掛けている。
男たちが運んできたのは、割って束ねた薪だった。
二人で担いだ荷を軒下へ置こうとした時、一本の縄が緩み、下の束から木が滑り出した。乾いた音を立てて薪が転がり、先頭にいた若い男が慌てて片足を引く。
「止めろ。そのまま下ろせ」
作兵衛の声で、男たちは担いでいた物を地面へ置いた。転がる薪も止まり、重みの片寄った荷が低く沈む。
紗季の足元まで来た一本は、端の皮が長くめくれていた。
椀をお梅へ返してしゃがむ。触れば刺さりそうなところを避けて拾い上げると、縄を直していた男が、目に見えて慌てた。
「姫様、お構いなく」
「これ、こちらへ戻せばいい?」
「いえ、それは、こちらで」
その人は荷を押さえているため、両手を離せない。紗季は空いている軒下を見つけ、そこへ一本を置いた。近くの細い薪も二本拾い、端を揃えて重ねる。
掃除の時間なら、いつもやっていた程度のことだ。運動場へ散らばった道具を拾うのと、何が違うのだろう。
「姫様、袖が」
お梅に言われて腕を上げると、小袖の裾ではなく、右の袖口に土がついていた。手で払ったところで、細い木の皮がひらりと落ちる。
「お梅に叱られる前に、戻らなきゃ」
「もう、申し上げております」
その返事が可笑しくて、紗季は笑った。縄を結び直していた若者もつられたらしく、口元を隠すように顔を下げる。
清十郎が紗季の前へ来たのは、その時だった。
「あとは、俺たちでいたします。お上がりください」
「もう一本だけ」
「姫様のお仕事ではございませぬ」
差し出された手が、紗季の拾おうとした薪を先に取った。
邪魔になるのなら、そう言ってくれればよい。それでも、ここで言い合うほどのことではないと思い、紗季は立ち上がった。
軒へ戻ると、清十郎も二歩後ろについてくる。作兵衛は荷の縄を確かめていて、二人の間へは入らなかった。
「男衆に交じって、あのようになさるものではありません」
畳みかけの紐を持ったまま、紗季は清十郎を見返す。
「拾っただけです」
「皆が、気を遣います」
「重い物を持たせてほしいとは言っていません」
清十郎は庭の方を一度見た。さっき笑った若者が、顔を上げないまま薪を数えている。
「そのように笑いながらお入りになれば、断る方も困ります」
言われて初めて、紗季も男の背を見た。
迷惑だったのだろうか。手を離せないから代わりに拾ったつもりだったが、あの人には断れなかったのかもしれない。
そこまでなら、聞けた。
「もう少し、女らしゅうなさってください」
続いた一言に、考えかけていたことが止まった。
「……どういうことですか」
「人前で裾を気にも掛けず、土の上へしゃがまれて。お声も、あちらの門まで聞こえます」
「笑ってはいけないのですか」
「そうは申しておりません」
また、そう返すのか。こちらが何を嫌がっているか、伝わっていないのではないか。
紗季は紐を袖へ入れかけ、うまく収まらず、手の中へ戻した。清十郎はその動きを見ていたが、何か言おうとして、いったん口を閉じる。
分かってくれたと思った。
あの文を読んで、嬉しいことを嬉しいと感じる自分ごと、少しは受け入れてくれたのだと。
「この前のお話は、何だったのですか」
「稽古のことでございましょう。おやめになれとは申しておりませぬ」
「稽古の間だけなら、許すということ?」
「許すなどと、俺が決めることではありません」
「今、決めているでしょう!」
自分の声が庭へ響いた。
薪を置く音が途切れ、お梅が椀を盆へ載せ直した。その小さな音まで耳に入るのに、声を抑える余裕はない。
「誰と話して、何を手伝って、どのくらい笑うかまで、篠原様がお決めになるのですか」
「そうやって声を荒らげるところを、申し上げております」
「怒らせているのは、そちらです!」
清十郎の目つきが変わった。
彼は一歩も退かず、普段なら紗季が話し終わるのを待つところでも、すぐに言葉を返してくる。
「お耳に痛ければ、すべて俺のせいですか」
「そんなことは言ってない」
「姫様のお振る舞いを、皆が見ております」
「だったら、私のことも見てください!」
何を言っているのか、自分でも分からなくなりかけていた。清十郎は目の前にいて、こちらを見ている。それなのに、伝えたかったことは少しも届いていない気がする。
姫の声。姫の袖。姫の座り方。
その一つ一つに合わせて暮らしているうちに、自分でもできることが増えたと喜んでいた。けれど、この人には、直すべきところばかり見えるのだろうか。
「私が、あの人たちを困らせたのなら、そのことを仰ってください。女らしくないから駄目だと、どうして、そうなるの」
「姫様にふさわしいお姿でいていただきたいからです」
「篠原様が、そうしてほしいだけでしょう」
「それが、いけませぬか」
迷いのない返事だった。
こちらも、それを言ってほしかったのかもしれない。自分の身を案じているからだと言われるより、腹を立てる先がはっきりする。
「いけません。私は、あなたの思うとおりにはならない」
「何でも思いのままにできる御身ではございませぬ」
「篠原」
作兵衛が呼んだ。土を踏んで近づいてくる音がしたが、紗季は清十郎から目を離さなかった。
「姫様も、その辺りで」
「まだ、話しています」
作兵衛へ向けた返事まで、強くなってしまう。
清十郎の顎がわずかに上がる。言い負かされたくないのは、この人も同じなのだと、その時の紗季には見えた。
「ご自分の立場を、お忘れになるなと申し上げているのです」
「私を殺そうとした人に言われたくない!」
清十郎の目が大きく開く。
その一瞬、紗季は右手を振り上げていた。乾いた音とともに彼の顔が横へ向き、指の付け根に衝撃が残る。
清十郎は横を向いたまま、動かなかった。
言葉なら、まだ言い直せたのだろうか。
上げた手を下ろしても、何をすればよいのか分からない。清十郎の頬が赤くなり始めるのを見て、紗季はようやく、自分がしたことの大きさを知った。
「姫様」
お梅の声は、すぐ後ろからだった。
清十郎が顔を戻す。怒っているはずなのに、さっきのようには、もう紗季を見なかった。
何か言ってくれれば、こちらも次の言葉を出せるのに。
今さらそんなことを望んでいる自分が嫌になり、紗季は先に顔を背けた。
「お戻りになりましょう」
お梅が袖の端へ手を添える。紗季はそれに従って廊下へ上がったが、足を速めても、誰かが追ってくる気配はなかった。
部屋へ入ると、槙が開けていた戸を半分まで引いた。
外が見えなくなるわけではない。それでも、廊下を通る人と目を合わせずに済む幅だった。
紗季は机の前へ座り、握ったままの紐を置いた。汗を含んだ布に、自分の指の形が残っている。
お梅は盆を片づけに行き、槙だけが隣へ来た。
「作兵衛様から伺いました」
「……うん」
「お手を出されたのですね」
返事をする代わりに右手を膝の下へ隠しかけると、槙はその動きを止めず、何を言われたのかと尋ねた。
説明を始めれば、清十郎の言葉だけを並べてしまいそうで、すぐには話せない。自分が何を言ったかまで口にするには、まだ怒りが邪魔をする。
「女らしくしてほしいって。人前で笑ったり、手伝ったりしないでって」
「薪を、お拾いになったと」
「私が拾えたから、拾ったの。だけど、あの人は」
そこで言葉が切れた。
薪を押さえていた男は、確かに困っていた。こちらの親切が相手の助けになるとは限らない。そのことまで、怒りと一緒に押し戻してしまった気がする。
でも、あの言い方をされるのは嫌だった。
「私も、悪かったと思う。でも、全部じゃない」
「全部を、ご自分の非になさる必要はございませぬ」
槙は膝の上へ手を揃えた。
「叩かれたことは、お詫びなさいませ」
うつむいた紗季の目に、机の木目ばかりが近い。
分かっている、と言えば、その場は終わるだろう。だが、今すぐ清十郎の前へ行ったら、謝った後に、あなたも、と続けてしまう。そうしてまた言い合いになったら、今度は何を言うか、自分でも怖かった。
「少し、待って」
槙はしばらく紗季を見ていたが、やがて立ち上がり、着替えを取りに行った。
脱いだ小袖の袖口に、細い土の筋がついている。あそこで一度、ありがとうと言って戻ればよかったのか。そうすれば、何も起きなかったのかもしれない。
それでは、あの人に腹を立てた自分は、どこへ行けばよいのだろう。
紗季は着替えた後も、なかなか机の前を離れられなかった。
翌朝、稽古場への道を歩いていると、作兵衛が渡りの廊下で待っていた。
清十郎の姿は、その向こうに見える。軒下に積まれた荷を、雨が吹き込まない位置へ寄せているところだった。
「河瀬は、先に来ております」
作兵衛が言い、紗季は礼をして通り過ぎた。
清十郎が頭を下げる。声はなく、紗季も何も言わずに前を向いた。
挨拶も返さずに通り過ぎて、これでは子供ではないか。
そう思った時には、もう棟の戸口まで来ていた。
稽古では、弥四郎の言うことを一つずつ聞いた。教えられた動きに集中している間は、余計な言葉を考えずに済む。けれど終わって布で汗を押さえると、昨日まであった短い会話の場所が、ぽっかり空いてしまう。
「お水を、こちらへ置きます」
お梅が椀を置く。
紗季は飲み終えるまで、庭へ顔を向けなかった。清十郎を目で探したら、話しかけたいとお梅にまで気づかれはしないか。
部屋へ戻る途中、作兵衛から、明日は薪を運ぶため裏口の狭い道を空けておいてほしいと伝えられた。紗季が頷くと、彼は来た道を戻っていく。
少し離れたところで清十郎がそれを聞き、別の者へ何か指示した。
自分と話さなくても、用は足りる。
当たり前のことなのに、紗季は歩く速さを落とした。廊下の曲がり角まで来てから、遅れているのがお梅ではなく、自分だと気づく。
二日目の午後、小見の方の部屋で、紗季は客へ物を勧める時の言葉を直された。
相手が一度辞退したからといって、すぐに引っ込めるものでもない。ただし、重ねて断られたら、その人の都合を聞くこと。
「受け取ってほしくても、こちらの思いばかりではいけませぬ」
母はそう言って、紗季の前へ置いた包みを自分の方へ戻した。
いつものように、もう一度やってみようと思ったのに、口が開かない。誰かへ物を渡すだけの稽古が、今日はひどく難しく思えた。
「帰蝶。疲れましたか」
「いいえ」
「では、何を考えておいでなの」
紗季は母の手元を見た。指先で包みの端を揃える仕草はゆっくりで、返事を急がせようとしているようには見えない。
あの人に腹を立てています。
そう言えば、母は誰のことか尋ねるだろう。その先を話したくなくて、紗季は、少しぼんやりしておりました、と答えた。
小見の方は包みを脇へ置き、今日はここまでにしましょうと言った。
叱られなければ楽になるかといえば、そうでもない。
自室へ戻ると、お梅が庭側の戸を開けてくれた。風が紙をめくらないよう、机の端の手本には小さな重しを置いてある。
紗季は空いた紙を一枚取り出し、しばらく眺めた。
前は、文にしたら言えた。
今度も書けば、謝れるだろうか。
筆を持つところまではできたが、相手の名を書こうとして止まった。清十郎の赤くなった頬が浮かぶ。書いたものを届けてもらい、自分はこの部屋で返事を待つ。それだけでよいのか、決められなかった。
会って話すのが怖いから、紙に頼ろうとしているだけかもしれない。
紗季は筆を戻し、白い紙を手本の下へ入れた。お梅は気づいたようだったが、宛先を尋ねはしなかった。
「明日は、お庭の方を通れますか」
代わりにそう聞かれて、紗季は顔を上げる。
「どうして、私に?」
「今朝、作兵衛様からお聞きになったかと」
そうだった。使う道を変えてほしいと伝えられた時、自分が頷いたのを思い出す。
ただ、明日の朝までなのか、その後もなのか、最後のところを覚えていなかった。
「ごめん。ちゃんと聞けてなかった」
「では、確かめてまいります」
お梅が立つ。紗季は呼び止めかけて、結局、その背を見送った。
自分が黙っている分だけ、誰かが代わりに歩いている。
そのことに気づいてからは、手本の字を追っても、少しも頭へ入らなかった。
三日目の朝、紗季が目を覚ました時には、お梅はまだ来ていなかった。
廊下の向こうで、槙と小さな声で話している。何かを相談しているらしいが、言葉の中身までは分からない。
戸が開くと、二人とも普段と変わらない顔で入ってきた。その慎重さが、かえって目につく。
「母上がお呼びです」
槙が告げ、身支度のための衣を広げた。
「朝のうちに、おいでになるようにと」
「何か、あるの?」
「お話があるそうです」
縁談だろうか。
ふいに、近江の方の来た日に聞いた尾張という地名が浮かんだ。ここ数日は清十郎のことばかり考えていたのに、別の話が来たと思った途端、それを後回しにしていた自分に驚く。
槙に尋ねても、母から聞くようにと言われるのだろう。紗季は袖を通し、お梅に襟を整えてもらった。
小見の方の部屋へ向かうと、表寄りの廊下との合流するところに、作兵衛が立っていた。
その後ろに、清十郎がいる。
紗季は足を止めた。
清十郎も、こちらを見てすぐに視線を下げる。頬に赤みはもうなかったが、確かめたと気づかれるのが嫌で、紗季も庭へ顔を向けた。
「お二人とも、お入りくださいませ」
槙に促されて、紗季は先に部屋へ入った。
母の座はいつもと同じ北側で、庭へ向けた戸から朝の光が差している。紗季が母の右前へ座ると、清十郎は入口近くに膝をついた。作兵衛がその斜め後ろに控え、槙とお梅は廊下側へ下がる。
近江の方と扇を並べた時より、ずっと部屋が狭く感じられた。
「帰蝶。篠原と、喧嘩をしたそうですね」
母の声は穏やかで、聞かれていることだけが紗季の耳に重い。
「……はい」
「手を出したとも聞きました」
紗季が頷くと、母は清十郎へ目を向けた。
「そなたは、何を申したのです」
「姫様のお振る舞いについて、差し出たことを申し上げました」
紗季は膝の上へ視線を落とす。
そこまでひとまとめにしてしまえば、何があったか分からない。かといって、自分の口から説明し始める勇気もなかった。
「そう。では、その話は二人でなさい」
顔を上げると、小見の方は脇に置いた扇を取り、閉じたまま指に挟んでいた。
「今日は、二人に用を頼みます」
使いに行くのだろうか。それなら誰かがついてくるのか。紗季が考えている間に、母は庭の向こうへ扇の先を向ける。
「薪を割って、揃えておいてください」
誰も返事をしなかった。
紗季は庭を見てから母を見た。清十郎だけに命じたのだろうと思ったが、小見の方は二人を交互に見ている。
「私も、ですか」
「そなたもです」
「奥方様」
槙が身を進めた。
「姫様に、薪割りなど」
お梅も、その隣で困ったように口を開く。
「お召し物も、汚れますし……」
小見の方は、そこで初めて笑った。
「汚れて困らぬものへ替えればよいでしょう」
「ですが、刃物を」
「作兵衛。できるように、見てやっておくれ」
作兵衛の視線が、母から紗季へ移る。
「承知いたしました。道具はこちらで扱いを教えます。初めは、割ったものを揃えていただくところから」
「それでよい。二人で、ひと仕事しておいで」
清十郎が頭を下げる傍らで、紗季はなかなか返事を出せなかった。
母は叱って終わりにするつもりではないらしい。どちらが悪かったか決めてくれれば、自分も何か言えたかもしれないのに、並んで働けと言われている。
「帰蝶」
呼ばれて、紗季は母の顔を見た。
「できぬことは、教えてもらいなさい。できることは、自分からしなさい」
薪を拾った朝も、自分でできるからと思って動き、その先で喧嘩になった。今は、できることをしてよいと言われている。それなのに、隣に清十郎がいるというだけで、どうしてこんなに足が重くなるのだろう。
「承知いたしました」
紗季も頭を下げた。
二人が作兵衛と部屋を出た後、槙は小見の方の前へ座り直した。お梅も戸口に残り、廊下へ遠ざかる足音を気にしている。
「本当に、よろしいのでございますか」
「相談に来たのは、そなたたちでしょう」
小見の方に返され、槙は言葉に詰まった。
「このままでは、お二人とも話しかける機会を失くしてしまうと、申し上げましたが」
「ええ。だから、同じことをしてもらいます」
小見の方は扇を開き、ゆるく風を送った。
「こちらを持って、そちらへ置いて、とでも言わねば仕事になりませぬ。二人で働いていれば、仲直りも早いでしょう」
「そう、うまくまいりますか」
問いを受けても、小見の方は笑みを崩さない。
「少なくとも、互いに顔を背けているよりは」
お梅が廊下へ目を向ける。先ほどまで聞こえていた足音は、もうしない。
「お着替えを、お持ちいたします」
「そうしておくれ。水も忘れずに」
小見の方の声に送られ、お梅は立ち上がった。
着替えを済ませて薪小屋へ着くと、清十郎はすでに軒下にいた。
小屋の奥には太い木が横に積まれ、入口近くには細く割ったものが、乾いた断面をこちらへ向けて並んでいる。外へ張り出した庇の下に籠が二つあり、その間だけ、足を置く土が見えていた。
作兵衛は薪割り台を確かめ、道具をその脇へ置いた。
「今日は、こちらの分を揃えます。濡れたものとは混ぜぬように」
指された量を見れば、短い時間では片づきそうもない。紗季はお梅から紐を受け取り、袖を留めた。
今度は、ほどく端を間違えない。
結び終えて顔を上げると、清十郎もこちらを見ていた。紗季は何か言おうとして、口を閉じる。
作兵衛が空の籠を二人の間へ寄せた。
「それでは、始めましょう」
清十郎が片膝をつき、籠の向きを変えた。紗季は反対側へ回り、手の届くところにある細い薪を一本取る。
置いた木が籠の底へ触れ、短い音を立てた。




