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『私を捨てたアラフィフ男は、20歳の女に一億円を貢いだ』  作者: こうた


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第5話 一億円より大切なもの



「ひとみさん。これ、どう思う?」


休日の午後。


としおがスマートフォンの画面を見せてきた。


そこに映っていたのは、二人で暮らすためのマンションだった。


駅から徒歩十分。


広さは二LDK。


新築ではないけれど、内装は綺麗で、日当たりも良さそうだった。


「いいね」


ひとみは素直に答えた。


「でも……ちょっと高くない?」


「そうかな?」


「うん。無理してない?」


としおは少し笑った。


「大丈夫だよ」


「でも、結婚したらお金もいろいろ必要になるよ」


「分かってる」


としおはスマートフォンをテーブルに置いた。


そして、少しだけ真面目な顔になった。


「だから、ちゃんと考えてる」


「何を?」


「これからのこと」


ひとみは黙った。


としおは続けた。


「家賃とか生活費とか、子どもができたら教育費とか。老後のことも考えないといけない」


「うん」


「僕は今まで、ずっと貯金してきた」


「知ってる」


「でも……最近、少し考え方が変わったんだ」


「?」


としおは窓の外を見た。


「お金って、貯めるだけじゃ意味がないんじゃないかって」


ひとみは意外そうな顔をした。


としおは今まで、何よりも貯金を大切にしてきた。


欲しいものがあっても我慢する。


旅行に行きたいと思っても、費用を計算してやめる。


外食より自炊。


高級な服も買わない。


車も必要最低限。


そんな生活を何十年も続けてきた。


「じゃあ、何に使うの?」


ひとみが聞く。


としおは笑った。


「ひとみさんと暮らすために使う」


「……え?」


「家を借りる。家具を買う。旅行にも行く。子どもができたら、その子のためにも使う」


ひとみは少し笑った。


「なんか……普通だね」


「普通が一番難しいんだよ」


その言葉を聞いて、ひとみは胸が温かくなった。


「そうだね」


「僕はずっと、その普通が欲しかったんだと思う」


としおはそう言った。


「好きな人と一緒に暮らして」


「うん」


「朝起きたら、おはようって言って」


「うん」


「仕事から帰ったら、ただいまって言って」


「うん」


「休みの日は一緒に買い物して」


「うん」


「子どもができたら、一緒に育てて」


「……うん」


ひとみの目に、少しだけ涙が浮かんだ。


自分も同じだった。


豪邸が欲しいわけじゃない。


高級車が欲しいわけでもない。


毎日ブランド品を身につけたいわけでもない。


ただ――


好きな人と帰る場所が欲しかった。


「私も、それがいい」


「本当に?」


「うん」


「派手な生活じゃないよ?」


「いらないよ」


「旅行だって、毎年海外とか無理かもしれない」


「いいよ」


「僕、料理もそんなに上手くない」


「私も上手じゃない」


二人は顔を見合わせた。


そして、同時に笑った。


「じゃあ、一緒に練習しようか」


「うん」


それだけだった。


それだけなのに、ひとみには十分だった。


---


数日後。


二人は、実際に不動産会社へ行った。


担当者からいくつか物件を紹介される。


「こちらでしたら、お二人で暮らすには十分な広さがあります」


「子どもができた場合は?」


ひとみが聞く。


「将来的にお子様が一人、二人となると、こちらの物件のほうがいいかもしれません」


画面に表示された間取りを見ながら、としおは真剣に考えていた。


「じゃあ、こっちかな」


「え?」


「子ども部屋にできる部屋があるから」


ひとみは思わず笑った。


「まだ結婚もしてないのに」


「だからこそ考えるんじゃない?」


「気が早いよ」


「そうかな」


「そうだよ」


としおは笑った。


けれど、その目は本気だった。


ひとみも、その気持ちが嬉しかった。


帰り道。


駅まで歩きながら、としおが言った。


「ひとみさん」


「なに?」


「来月、僕の両親のお墓参りに行かない?」


ひとみは少し驚いた。


「いいの?」


「うん」


「まだ結婚してないのに……」


「だから、紹介したいんだ」


その言葉に、ひとみは立ち止まった。


「紹介……?」


「僕が大切にしている人だって」


ひとみの胸が熱くなった。


「……うん」


小さく頷いた。


「行きたい」


---


その夜。


ひとみは自宅で母親に電話をした。


「お母さん」


『どうしたの?』


「来月、としおさんのご両親のお墓参りに行くことになった」


電話の向こうが少し静かになった。


『まあ……』


母親の声が少し嬉しそうになる。


『そこまで進んだの?』


「うん」


『結婚の話は?』


「……してる」


『そう』


母親はそれ以上、何も言わなかった。


けれど、その声だけでひとみには分かった。


安心しているのだ。


娘がようやく、自分の人生を一緒に歩いてくれる人を見つけた。


それが嬉しいのだ。


「お母さん」


『なに?』


「私……幸せになれるかな」


母親は少し間を置いて答えた。


『もう幸せなんじゃない?』


「え?」


『電話している声が、昔と違うもの』


ひとみは笑った。


「そうかな」


『うん』


「じゃあ……大丈夫なのかな」


『大丈夫よ』


その言葉が、ひとみの心に残った。


---


一方。


としおもまた、自分の部屋で一人、結婚について考えていた。


机の上には、預金残高が記載された通帳。


長い年月をかけて貯めた金。


両親から受け継いだもの。


合わせれば、一億円近い。


以前なら、その数字を見るだけで安心できた。


「これだけあれば大丈夫だ」


そう思っていた。


だが、今は違う。


一億円あっても、ひとみがいなければ意味がない。


家を買う。


子どもを育てる。


ひとみを旅行に連れて行く。


二人で美味しいものを食べる。


そんな未来を想像すると、初めて金を使うことが怖くなくなった。


「守るために使う金もあるんだな」


としおは呟いた。


そしてスマートフォンを手に取った。


ひとみにメッセージを送る。


――今日はありがとう。


すぐに返信が来た。


――こちらこそ。


――楽しかった。


としおは画面を見ながら笑った。


それだけで幸せだった。


このときの彼には、本当にそう思えていた。


一億円よりも大切なものを、自分はもう手に入れた。


そう信じていた。


---


しかし――


その数日後。


会社の付き合いで、としおは再び繁華街へ行くことになった。


以前、若い女性と出会った場所だった。


店の前で、同僚たちと話していると――


「あれ?」


声がした。


振り返る。


そこにいたのは、あの若い女性だった。


二十歳くらい。


明るい髪。


派手な服装。


大きなバッグ。


そして、男性を見ると一瞬で距離を縮めるような、人懐っこい笑顔。


「この前のおじさんじゃん」


としおは苦笑した。


「おじさんって……」


「だって、おじさんじゃん」


「まあ、そうだけど」


彼女は笑った。


そして、としおの腕時計を見た。


「それ、結構高いやつ?」


「え?」


「時計」


「まあ……昔買ったものだから」


「へえ」


彼女は時計を見ながら、少しだけ目を細めた。


「お金持ちなんだ」


「そんなことないよ」


「絶対嘘」


「本当に普通だよ」


「普通の人はそんな時計しないって」


としおは笑って流した。


そのときは、何も思わなかった。


むしろ――


若い人と話すのは、少し楽しい。


その程度だった。


「じゃあね、おじさん」


彼女は手を振った。


「また会ったらよろしく」


「うん」


としおも軽く手を上げた。


そして歩き出す。


ポケットの中で、スマートフォンが震えた。


ひとみからだった。


――今日は寒いから、帰り気をつけてね。


としおはすぐに返信した。


――ありがとう。


その画面を見て、微笑む。


自分には、帰りを心配してくれる人がいる。


自分を愛してくれる人がいる。


その事実が、何よりも嬉しかった。


だが――


その少し後ろで。


若い女は、まだとしおを見ていた。


そして小さく呟いた。


「……あの人、結構持ってそう」


その言葉を聞いた者は、誰もいなかった。


このときはまだ――


としお自身も知らなかった。


自分が大切にしている一億円が、


いつか自分の人生を壊すための金になることを。

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