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『私を捨てたアラフィフ男は、20歳の女に一億円を貢いだ』  作者: こうた


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第1話 私にも、恋ができた



 恋愛なんて、自分には関係のないものだと思っていた。


 映画や小説の中では、誰かを好きになることは当たり前のように描かれている。


 偶然出会って。


 少しずつ惹かれ合って。


 やがて恋人になって。


 そして結婚する。


 そんな物語を、私は何度も読んできた。


 けれど、それはあくまで物語の中の話だった。


 私には、そんなことは起こらない。


 そう思っていた。


 私は、ひとみ。


 四十歳を少し手前にした、ごく普通の会社員だ。


 特別に美人というわけでもない。


 だからといって、人から見てひどく醜いわけでもない。


 街を歩いていても、誰かに振り返られることはない。


 自分の顔について聞かれたら、


「普通だと思います」


 と答える。


 服装も派手ではない。


 ブランド品にも興味がない。


 髪も必要以上に染めていない。


 仕事の日は、動きやすい服装と最低限の化粧。


 休日は、家で本を読んでいることが多い。


 趣味は読書。


 そして、もう一つ。


 ボランティア活動。


 休日に地域の清掃活動に参加したり、子どもたちの学習支援を手伝ったりする。


 誰かに褒められたいわけではない。


 ただ、自分にできることをしているだけだった。


「ひとみさんって、真面目ですよね」


 職場では、よくそう言われる。


「真面目というより、面白みがないだけですよ」


 私は笑って答える。


 すると相手も笑う。


 それで会話は終わる。


 そんな人生だった。


 仕事をして。


 本を読んで。


 休日にはボランティアをして。


 家に帰って眠る。


 寂しいと思うことは、もちろんあった。


 夜、一人で食事をしているとき。


 休日の夕方、誰とも話さず本を閉じたとき。


 ふと、


 ――私、このままずっと一人なのかな。


 そう思うことはあった。


 けれど、そのたびに私は首を振った。


 仕方ない。


 そういう人生もある。


 そうやって、自分を納得させてきた。


 恋愛経験がないわけではない。


 ただ、人に話せるような恋愛をしてきたわけでもない。


 若い頃に何度か誰かを好きになった。


 けれど、付き合うところまでいかなかった。


 仕事が忙しかった。


 相手にその気がなかった。


 自分から踏み込めなかった。


 理由はいくらでもあった。


 そして気がつけば、四十歳が近づいていた。


 周りでは結婚する人が増えた。


 子どもを持つ友人も増えた。


 同級生から、


「今度、子どもの運動会でさ」


 なんて話をされることもある。


 私は笑って聞く。


「へえ、楽しそう」


 そう言いながら、自分には縁のない世界だと思っていた。


 そんな私の人生が変わったのは、とある土曜日だった。


     ◇


「ひとみさん、今日もありがとうございます」


「いえいえ。私も楽しいので」


 その日は、地域のボランティア活動の日だった。


 駅から少し離れた公民館で、地域の子どもたちを対象にしたイベントが開かれていた。


 私は受付や片付けを担当していた。


 特別なことをしているわけではない。


 机を並べる。


 資料を配る。


 子どもたちが使った椅子を片付ける。


 そんな仕事だ。


 イベントが終わり、参加者たちが帰り始めた。


 私は最後まで残って、他のスタッフと一緒に片付けをしていた。


「ひとみさん、これ運んでもらえます?」


「はい」


 段ボールを持ち上げる。


 思ったより重かった。


「よいしょ……」


 そのときだった。


「それ、持ちますよ」


 後ろから男性の声がした。


「え?」


 振り返る。


 そこにいたのは、一人の男性だった。


 年齢は五十歳前後だろうか。


 少しお腹が出ている。


 スーツ姿ではなかったが、シャツとスラックスという落ち着いた服装をしていた。


 髪には白いものが混じっている。


 けれど、顔つきは穏やかだった。


「重そうなので」


「あ、大丈夫ですよ」


「いや、こういうのは男性に任せてください」


 そう言って、男性は私の持っていた段ボールを自然に受け取った。


「あ……ありがとうございます」


「いえ」


 男性は何でもないことのように歩いていく。


 私はその背中を見ながら、


 ――優しい人だな。


 そう思った。


「ひとみさん、知り合い?」


 隣にいたボランティア仲間が聞いてきた。


「ううん。初めて会った人」


「そうなの?」


「うん」


 私は男性のほうを見る。


 すると、その男性がこちらを振り返った。


 目が合った。


 男性は少し照れたように笑った。


 私も反射的に笑い返した。


 それだけだった。


 その日は、それ以上何もなかった。


     ◇


 数日後。


 仕事を終えて会社を出た私は、駅へ向かって歩いていた。


 その途中だった。


「あれ?」


 聞き覚えのある声がした。


 振り返る。


「あ……」


 先日の男性だった。


「やっぱり、ひとみさんですよね?」


「はい」


「この前のボランティアの」


「覚えてくださっていたんですか?」


「もちろんですよ」


 男性は笑った。


「僕、記憶力だけはいいんです」


「そうなんですね」


「仕事柄、人の顔を覚えるのが得意なんですよ」


「どんなお仕事をされているんですか?」


「会社員です」


「私も会社員です」


「そうなんですね」


 二人とも笑った。


 不思議だった。


 初対面ではない。


 けれど、ちゃんと話すのは初めてだった。


「僕、としおって言います」


「ひとみです」


「改めて、よろしくお願いします」


「こちらこそ」


 それだけの会話だった。


 なのに、その日の帰り道。


 私はなぜか、何度もその男性のことを思い出していた。


 としおさん。


 年齢を聞いてみると、四十代後半だった。


 私より少し年上。


 落ち着いている。


 話し方も穏やか。


 そして、変に女性慣れしていない。


 そこが、なぜか印象に残った。


     ◇


 それから、としおさんと顔を合わせる機会が増えた。


 ボランティア活動が同じだったからだ。


「ひとみさん、これお願いします」


「はい」


「終わったら、みんなでご飯に行きません?」


「え?」


「今日参加した人たちで」


「ああ……はい」


 最初は、みんなで食事をするだけだった。


 何人かのボランティア仲間と一緒に、近くの定食屋へ行った。


 としおさんは、よく喋る人ではなかった。


 けれど、人の話を聞くのが上手だった。


「ひとみさんって、本読むんですよね?」


「はい」


「どんな本が好きなんですか?」


「小説が多いですね」


「僕、あまり本を読まないんですよ」


「そうなんですか?」


「仕事の資料ばかりで」


「それも大変ですね」


「でも、ひとみさんの話を聞いていたら、少し読んでみたくなりました」


「本当に?」


「はい」


 私は少し嬉しくなった。


「じゃあ、今度おすすめを教えます」


「お願いします」


 その日から、としおさんと本の話をするようになった。


 好きな作家。


 昔読んだ本。


 最近読んだ作品。


 そんな他愛のない話。


 それが楽しかった。


     ◇


 ある日、としおさんからメッセージが届いた。


『今度、二人で食事しませんか?』


 画面を見つめる。


 何度も読み返す。


 二人で。


 その言葉が気になった。


 私はしばらく返信できなかった。


 これはデートなのだろうか。


 それとも、単純に友達としての食事なのだろうか。


 考えても分からない。


 私は結局、


『はい。ぜひ』


 と返した。


 返信はすぐに来た。


『ありがとうございます』


 その短い文章を見て、私は少しだけ笑った。


     ◇


 食事の日。


 としおさんは、少し緊張していた。


「なんか、二人で食事するのって緊張しますね」


「私もです」


「ひとみさんも?」


「はい」


「よかった」


 としおさんが笑う。


 私は、その笑顔を見て思った。


 この人も、緊張するんだ。


 少し意外だった。


 エリートサラリーマン。


 仕事もできる。


 年齢も私より上。


 もっと自信のある人だと思っていた。


「としおさんって、彼女いるんですか?」


 気づけば、私はそんな質問をしていた。


 としおさんの箸が止まった。


「……いないです」


「そうなんですか?」


「はい」


「意外です」


「よく言われます」


「モテそうなのに」


「それはないですよ」


 としおさんは苦笑した。


「実は、今までちゃんと女性と付き合ったことがほとんどないんです」


「え?」


「僕、仕事ばかりしてきたので」


「そうだったんですね」


「気がついたら、この歳になってました」


 その言葉を聞いて、私は少し親近感を覚えた。


「私も似たようなものです」


「ひとみさんも?」


「はい」


「じゃあ……」


 としおさんが少しだけ笑う。


「僕たち、似てますね」


「そうかもしれません」


 二人で笑った。


 その瞬間だった。


 胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなった。


     ◇


 帰り道。


「今日はありがとうございました」


 としおさんが言った。


「こちらこそ」


「また、食事に誘ってもいいですか?」


「はい」


「よかった」


 としおさんは嬉しそうに笑った。


「ひとみさんと話していると、落ち着くんです」


「私もです」


 その言葉を口にした瞬間、少し恥ずかしくなった。


 駅へ向かう。


 改札の前で立ち止まる。


「じゃあ、また」


「はい。また」


 手を振って別れた。


 私は電車に乗った。


 座席に座り、窓の外を眺める。


 そして、ふと思った。


 ――また会いたい。


 その感情に、自分自身が驚いた。


 私はこれまで、


 恋愛なんて必要ない。


 一人でも生きていける。


 そう思っていた。


 なのに。


 たった一人の男性と食事をしただけで。


 また会いたいと思っている。


 スマートフォンを見る。


 まだ、としおさんからのメッセージはない。


 それなのに、私は何度も画面を確認してしまう。


 そして、その夜。


 ベッドに入ってからも眠れなかった。


 私は枕元に置いていた本を手に取った。


 いつものように読もうとした。


 けれど、文章が頭に入ってこない。


 数ページ読んで、閉じる。


 そして、小さく呟いた。


「……私にも、恋ができるのかな」


 誰にも聞かれない部屋の中で。


 私は初めて、自分の未来について考えた。


 結婚。


 家庭。


 誰かと一緒に暮らすこと。


 朝起きたら、隣に誰かがいる生活。


 そんな未来が、自分にもあるのかもしれない。


 そう思った。


     ◇


 翌朝。


 スマートフォンが震えた。


 画面を見る。


 としおさんからだった。


『おはようございます。昨日は楽しかったです。また会いたいです』


 たった一行。


 それだけだった。


 なのに私は、しばらく画面を見つめていた。


 そして――。


 小さく笑った。


『私も、また会いたいです』


 送信。


 胸が高鳴った。


 四十歳を前にして。


 私はようやく、自分の人生にも恋が始まるのかもしれないと思った。


 このときの私は、知らなかった。


 この恋が、私の人生を大きく変えることを。


 そして――。


 私が愛した男性が、いつか私の前から去っていくことを。


 その後、彼が別の女性に心を奪われ。


 自分の人生さえ壊してしまうことを。


 もちろん、このときの私は知らない。


 ただ一つだけ。


 あの日、スマートフォンに届いた、


 「また会いたいです」


 という短い言葉が。


 私の人生で、最後まで忘れられない言葉になるなんて。


 このときの私は、まだ知らなかった。

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