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THE RE-BUILDER —深宇宙の修復者—  作者: 寝不足魔王


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第41話:鉄の狩人、原生の牙

 拠点の燃焼炉が吐き出す重厚な煤煙と、闇を切り裂く赤黒い火光は、飢えた荒野にとってあまりにも露骨な招待状となった。


 エリックは岩陰に身を潜め、冷え切った大気の中に混じる、獣の湿った吐息と岩を削る爪の音を聴いていた。砕けた右目のサイバーアイは、もはや熱源を色分けして表示する機能すら失っている。ただ、ひび割れたレンズの隅で、闇の一部が「不自然な質量」として蠢くのを、欠損した視界の端に捉えるのが精一杯だった。


『……エリック。……方位一〇〇から二七〇……包囲されています。……生体パルス、……三二……三五……増え続けています。……かつてのエデンの端末のような、……整然としたアルゴリズムは……ありません。……ただの、……純粋な飢えが……こちらを向いています』


 義手内のチップから漏れるアステリアの声は、地響きのような唸り声に押され、今にも掻き消されそうだった。情報の海で「敵」をデータとして処理していた頃とは違う。今、闇の向こうにいるのは、物理的な牙と爪を持ち、エリックとミラの肉を「タンパク質」として求めている本物の捕食者たちだ。エリックは右手の錆びついたスパナを強く握りしめ、掌に伝わる冷たい鉄の感触で、自身の心拍を強引に制御した。


 風向きが変わった瞬間、鼻を突く野獣特有の生臭い体臭が拠点の防壁内に流れ込んだ。

 一対、また一対と、闇の底で燐光を放つ無数の眼差しが、エリックが血を流して築いた拠点の境界線を射抜く。それはアステリアの予測演算を嘲笑うかのように不規則に動き、岩肌を滑るようにして距離を詰めてくる。ナノマシンのレーダーも、全自動の防衛兵器も、もうここにはない。あるのは、一人の男が一本のスパナで繋ぎ止めた、壊れかけの鉄の箱と、その中で眠る娘の温もりだけだ。


「……アステリア。……『予測』なんて高尚なもんは要らない。……ただ、……奴らがこの防壁のボルトを噛み砕く……その音だけを逃さず拾え。……あとは、……俺の、仕事だ」


 エリックは泥に深く膝を突き、闇の中にうっすらと浮かび上がる多脚の異形を見据えた。

 喉の奥が渇き、左胸の火傷跡が警告するように激しく疼く。彼は自身の生身の神経を極限まで研ぎ澄ませ、暗闇の中から放たれる「殺意」という名の物理的な圧力を、全身の皮膚で受け止めていた。


 「アステリア、右舷の着陸脚ランディング・ギアの油圧シリンダーを殺せ。……残されたスプリングの『張力』だけを、俺の腕に貸せ」


 エリックは闇を睨んだまま、大破した船体の底部へと潜り込んだ。巨大なチタン製の着陸脚は、不時着時の衝撃で無惨にひしゃげ、内部のスプリングが限界まで圧縮された状態で、今にも弾け飛ばんとする死のエネルギーを蓄えていた。彼は錆びついたスパナを楔のようにフレームの隙間に叩き込み、固着したロックボルトに全身の体重を乗せた。


 ギギ、ギィィ……という、金属が肉を削り取るような断末魔の音が響く。ボルトの頭が舐める寸前の絶望的な手応えが、右手の掌を伝って脊髄を焼く。ナノマシンによる一瞬の解体デコンストラクションではない。エリックは生身の腕の筋肉が断裂する音を聴きながら、一本のボルトを「力」で従わせ、巨大なスプリングを固定具ごと引き摺り出した。


『……エリック、危険です。……スプリングの復元力は、……一四トンを超えています。……固定を誤れば、……あなたの身体は、……内側から……粉砕される……』


「分かってる。だから、お前の『耳』が必要なんだよ。……アステリア、ボルトの歪みから出る高周波を拾え。……金属疲労の限界を、俺に教えろ」


 エリックは泥の上に這い出し、チタンの支柱とスプリングを、拠点の隔壁に力任せに溶接・接合していった。即興の大型投石機カタパルト。彼は自身の義手を万力として使い、動かない左腕の重みをカウンターウェイトとして利用した。生身の右手がスパナを振るうたびに、白熱したボルトがフレームを貫き、不格好だが強靭な「物理的な牙」が組み上がっていく。


 オイルと汗が混じり合い、エリックの顔にどす黒い筋を作る。彼は、自身の計算とアステリアの限定的な構造監視が合致し、スプリングが「殺意」を孕んだ一振りの弓へと変わる瞬間を、指先に伝わる凄まじい反動の予兆として感じ取った。そこには高度な未来予測など存在しない。あるのは、ただ重い鉄塊を、どれだけの速度で、どの角度で敵へ叩きつけるかという、泥臭い物理法則への絶対的な信頼だけだった。


 闇の底から、岩を削る耳障りな音が加速し、無数の捕食者たちが泥を蹴り上げる土煙と共に突撃を開始した。


 エリックは即興で組み上げた投石機のレバーに右手をかけ、自身の足元を泥の中に深く食い込ませた。射出皿に装填されているのは、アステリア号の隔壁を切り刻んだ、数十キログラムに及ぶ歪なチタンの塊だ。情報の海で戦っていた頃のスマートな照準器などない。彼は生身の左目で敵の先頭集団の「質量」を捉え、右目のレンズのひび割れから漏れる情報の砂嵐を、逆説的に「敵の接近速度」を測るためのノイズとして利用した。


『……射出角、……二度、下げてください……。……エリック、……バネの固定ボルトが……破断寸前です。……放つなら、……今……!』


「……墜ちろっ!!」


 エリックが渾身の力でトリガーを叩き落とした瞬間、一四トンの張力から解き放たれたチタンのスプリングが、夜の静寂を暴力的に打ち砕く凄まじい衝撃波を放った。ドォォォン、という空気が爆ぜる音と共に、鉄塊が超音速に近い速度で闇を裂き、突進してきた原生生物の群れの中心へと突き刺さった。


 ズゥゥゥン、という、肉と甲殻が物理的な「質量」に圧倒され、内側から爆散する凄絶な破砕音が響き渡った。

 先頭を走っていた多脚の異形は、情報の予測を介する暇もなく、ただの鉄の塊によって頭部から腹部までを文字通り粉砕され、泥の上にどす黒い体液を撒き散らしながら沈んだ。背後の群れがその衝撃の余波でなぎ倒され、物理的な「死」の重みが、荒野の殺意を一瞬だけ凍りつかせる。


 エリックの生身の右腕は、射出の反動で肩の関節が外れんばかりの衝撃に曝され、指先の皮膚が摩擦熱で白く焼けていた。肺が冷たい酸素を求めて激しく上下し、喉の奥からは鉄錆の味がせり上がる。

「……アステリア。……次だ。……手を、……止めるな。……奴らはまだ、……『重力』の怖さを……理解してねえ……」


 彼は血の混じった喘鳴を漏らしながら、ひしゃげたスパナを楔にして再びスプリングを引き絞り始めた。一度の射出ごとに自身の肉体が摩耗し、ボルトが削れていく。だが、その一打一打の重みこそが、魔法を失ったこの惑星で、娘の寝顔を死守するための唯一の言語だった。


 投石機の連射も虚しく、数の暴力に任せた原生生物の群れが、拠点の外周を成すチタンの防壁へと取り付いた。バリバリと硬い甲殻が金属を削り、捕食者たちの湿った吐息が、エリックのすぐ耳元まで迫る。防壁のボルトが一本、また一本と、奴らの強靭な顎によって食いちぎられていく絶望的な音が響いた。


『……エリック、北西セクターの強度が限界値を下回りました。……三秒後に、……突破されます。……逃げて、……ミラを連れて、……早く……!』


「逃げる場所なんてどこにもねえんだよ、アステリア! ……重力の怖さを、……奴らの骨に刻んでやる」


 エリックは防壁の支柱に身を寄せ、頭上に張り巡らせた「影」を見上げた。そこには、アステリア号の巨大な着陸脚の残骸と、泥を詰め込んだ数トンのコンテナが、細いワイヤー一本で危うく吊り下げられていた。彼は右手に握りしめたスパナを、そのワイヤーを固定する緊急解放ピンの隙間へと、迷いなく叩き込んだ。


 キン、という鋭い金属音が夜気を切り裂いた瞬間、惑星の無慈悲な重力が、数トンの「質量」を地表へと一気に引き摺り下ろした。

 ドォォォォォン!!

 耳を劈く衝撃音と共に、拠点の防壁の直下に群がっていた原生生物たちは、悲鳴を上げる暇もなく、垂直に落下してきた鉄と泥の塊によって文字通り「圧殺」された。岩盤が砕け、地響きがエリックの足元を激しく揺らす。情報の予測を越えた、純粋な物理法則による処刑。粉砕された甲殻の破片とどす黒い体液が、返り血となってエリックの顔を汚した。


「……ハァ、ハァ……。電気バイナリがなくても、……重力は、……お前たちを平等に……殺してくれるだろう?」


 エリックは砕けた右目の奥で、潰された獣たちの死骸を見下ろした。計算された攻撃ではない。ただ、重いものを高い場所から落とす。そのあまりにも原始的で、あまりにも確実な「修理(排除)」の結果が、目前の惨状だった。彼は震える右腕で、自身の背骨が軋むほどの衝撃に耐えながら、生き残った群れがその圧倒的な質量の暴力に恐怖し、闇の奥へと後退していくのを、冷徹な修理屋の眼差しで見届けていた。


 地平線の彼方、分厚い雲の隙間から差し込んだ灰色の陽光が、惨劇の舞台となった拠点の全貌を無慈悲に照らし出した。


 あれほど執拗に防壁を噛み砕こうとしていた多脚の異形たちは、仲間の死骸が放つ鼻を突く異臭と、鉄塊による圧倒的な質量の暴力に恐れをなしたのか、夜明けと共に深い岩陰へと退いていった。エリックは、返り血と煤、そして自身の腕から流れた血でどす黒く汚れた右手を、自身の膝の上で力なく震わせていた。肺の奥に溜まった煤煙を吐き出すたびに、焼けるような痛みが気管を駆け抜け、視界の半分を占める右目のノイズが、疲労によって赤黒く明滅している。


「……アステリア。……生きてるか。……奴らは、……消えたぞ」


『……はい。……バイタル、極めて……危険。……ですが、……拠点の気密、……ミラの安全は、……守り抜かれました。……エリック、……あなたの、右腕が……』


 義手から漏れるアステリアの声は、過放電のダメージでさらに音程が崩れ、断末魔のような機械音を孕んでいた。エリックは彼女の言葉に応える代わりに、右手に握りしめていたスパナを、目の高さまで持ち上げた。

 

 かつてセクター9で彼の相棒だったその鉄の塊は、数トンのスプリングを無理やり固定し、原生生物の硬い甲殻を幾度も殴りつけたことで、その顎が醜く歪み、表面のメッキは剥がれ落ちて無惨に波打っていた。道具としての限界、そして自身の肉体の限界。勝利の昂揚感などどこにもない。あるのは、一晩の防衛戦で、自分たちが持っていた貴重な「資源」と「時間」が、回復不能なまでに摩耗してしまったという、重苦しい現実だけだった。


「……ああ、……ボルトが一本、……完全に舐めちまったな。……予備なんて、……もうどこにもねえのに……」


 エリックはひしゃげたスパナを自身の胸元に抱き、泥の上に力なく座り込んだ。

 拠点の周囲には、潰された異形の死骸と、捻じ曲がったアステリア号の残骸が、どちらがゴミであるかの区別もつかないほど無造作に積み重なっている。エリックは、自身の左胸の火傷が、寒気と疲労の中で皮肉にも唯一の「熱源」として激しく疼くのを聴いた。

 嵐のような夜は明けた。だが、この不毛な惑星で生きるということは、こうして手持ちの「すべて」を削り取り、摩耗させ、それでもなお明日を繋ぎ止めるための、終わりなき修理の連続なのだ。エリックは、朝日を浴びて鈍く光るスパナをもう一度強く握り直し、泥にまみれた顔を上げて、次なる過酷な開拓の続きを見据えた。


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