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THE RE-BUILDER —深宇宙の修復者—  作者: 寝不足魔王


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第3話:電子の深淵、静かなる侵攻

 メガロポリスの底辺、海水と鉄錆が混じり合う暗黒の海域。

 エリックは高速潜行艇『ケルベロス』を要塞の排熱ダクトの直下で停止させると、バラストタンクを解放して艇を沈めた。泡と共に消えゆく愛機の影を見送る余裕はない。彼は背負った酸素ボンベの吸入器を噛み締め、巨大な吸水口を保護する防護格子の隙間へと滑り込んだ。


 そこは、要塞の「内臓」とも呼ぶべき場所だった。

 直径十メートルを超える巨大な排水トンネルの内部は、都市全域の排熱を帯びた温水が激しく奔流となって渦巻いている。視界は濁り、巻き上がる気泡がサーチライトの光を乱反射して、上下左右の感覚を狂わせる。


『エリック。水温の上昇を確認。現在三十八度。……流速、毎秒四メートル。これ以上の潜行は、外骨格のパワーユニットに過度な負荷を与えます。第一アクセス・ハッチまで、残り十五メートル』


 アステリアの声が、耳奥の骨伝導デバイスを通して震える。エリックは返答する代わりに、強化グローブをはめた手で、壁面に突き出した錆びたボルトを掴んだ。

 指先に伝わるのは、巨大な冷却ファンの回転が生み出す、重厚な地響きのような振動。それは、この巨大な鋼鉄の島が生きていることを示す鼓動のようでもあり、侵入者を噛み砕こうとする捕食者の唸りのようにも聞こえた。


 ようやく辿り着いたアクセス・ハッチの前で、エリックは左腕の外部演算ブースター『プロメテウス』を起動させた。

 水中にありながら、彼の周囲の空間が、目に見えない電子の奔流で歪む。


「……アステリア。物理ロックを……バイパスしろ」


『了解。……セキュリティ・ノードを検索中。……完了。内部の圧力センサーを偽装します。カウント、三、二、一』


 鈍い機械音と共に、重厚なハッチが数センチだけ開いた。そこから溢れ出したのは、熱気と、焦げたオゾン、そして高度に管理された無機質な油の匂い。

 エリックは滑り込むように内部へと這い上がり、濡れた床に身を投げ出した。


 そこは、メンテナンス用の狭い通路だった。頭上を無数の太いパイプが走り、高圧の蒸気が継ぎ目から鋭い悲鳴を上げて噴き出している。

 エリックは酸素マスクを剥ぎ取り、荒い呼吸を整えた。

 外部ブースター『プロメテウス』が発する熱が、ニューラル・リンクを通じて脳に直接流れ込む。視界の端が赤く明滅し、存在しないはずの電子の火花が、網膜の上で幻覚のように舞った。


『エリック、ブースターの同期率が上昇しています。脳波に異常なスパイク。……現実の視覚情報と、私のレンダリング・データが混濁し始めています。意識を保ってください』


「分かっている……。まだ、始まったばかりだ」


 エリックは壁を支えにして立ち上がり、滴り落ちる海水を拭った。

 ここから先は、一歩進むごとに、死の確率が刻一刻と積み上がっていく領域だ。彼はタクティカル・ベストのポーチから、自律型ジャミング・スパイクを取り出し、無言で通路の暗闇へと足を踏み入れた。


 通路の先、T字路の天井に据え付けられたセンサーが、冷徹な紅い光を放ちながら左右を走査していた。

 エリックは影に身を潜め、アステリアが網膜に投影する「センサーの死角」を凝視する。だが、そこへ追い打ちをかけるように、金属同士が細かく擦れ合う、不気味な多脚歩行音が響いてきた。


『エリック。前方より自律型防衛クローラー、二機接近。……識別番号、軍規格「ブラック・スパイダー」。熱源、音響、および微弱な電磁波を検知する最新モデルです。……正面突破の余地はありません』


 角の向こうから現れたのは、炭素繊維の脚を音もなく駆動させる、異形の殺人機械だった。直径五十センチほどの扁平なボディに、複数のレンズが複雑に組み合わされた「眼」が並んでいる。


「アステリア……『オーバークロック・ハック』を展開。奴らの視覚プロセッサをジャックする。……猶予は何秒だ?」


『プロメテウスの演算能力を最大解放します。……持続可能時間は、あなたの脳への恒久的なダメージを考慮しなければ、十二秒。……エリック、脳の温度が上昇しています。開始しますか?』


「やれ」


 エリックが左腕の端子を強く握りしめた瞬間、世界がスローモーションへと変貌した。

 外部演算ブースター『プロメテウス』が発する電子の咆哮が脳内を駆け抜け、視界のすべてがワイヤーフレームの構造体へと分解される。


 クローラーが放つ走査線がエリックの身体を掠める寸前、アステリアが敵のシステムへ強制介入インターセプトした。

 クローラーの「眼」が捉えている映像データの一部を切り取り、エリックがそこに「存在しない」かのように、背景の壁の映像をリアルタイムで上書きしていく。


 電子の迷彩。


 エリックは息を止め、クローラーの真横を音もなく駆け抜けた。

 指先がクローラーの冷たい装甲に触れそうなほどの至近距離。網膜上ではアステリアが『残存時間、四秒……三秒……』と非情なカウントダウンを刻み続ける。

 こめかみの血管が爆発しそうなほどの拍動を刻み、鼻の奥から鉄の匂いが込み上げてきた。脳が過熱し、ニューラル・リンクが焦げるような幻痛が走る。


 クローラーの背後へ回り込み、死角へ滑り込んだ瞬間、ハッキングを解除した。


『……ハック終了。クローラー、異常を検知せず。巡回ルートに復帰しました』


 膝をつき、激しい嘔吐感を堪えながら、エリックは血の混じった唾を飲み込んだ。

 わずか十二秒。だが、それは全速力で何キロも走り抜けたような疲労を彼に強いていた。


「……ふぅ。……まだ……半分も来てないんだぞ、アステリア」


『肯定します。……そしてエリック。今の一撃で、プロメテウスの安定性が二パーセント低下しました。……次はありませんよ』


 エリックは震える手で壁を支え、立ち上がった。

 殺人機械たちが去った静寂の中で、彼の瞳だけが、過熱した電子の余熱で爛々と輝いていた。


 エリックは、メンテナンス通路の奥に隠された「データ・ジャンクション(中継局)」の重厚なハッチをこじ開けた。

 内部には、要塞全域を駆け巡る光ファイバーの束が、さながら巨人の神経系のように脈打っている。彼は震える左腕の端子を、最も太い幹線へと直接プラグインした。


「アステリア……。要塞の深層ネットワークに潜れ。……ミラの、ミラの居場所を特定しろ」


『了解。……セキュリティの深度、レベルS。通常のハックでは三日はかかりますが……。プロメテウスの演算リソースを全投入。……強行突破します』


 接続した瞬間、エリックの意識は肉体を離れ、情報の濁流へと投げ出された。

 網膜上を数百万行のログが滝のように流れ落ち、軍の暗号化されたパケットが、奇怪な断片となって脳内に像を結ぶ。アステリアがそれらを一つずつ力任せに粉砕し、深部にある「ミラの記録」を掘り起こしていく。


『……データ抽出完了。ミラは現在、要塞最上層の実験区画「アテナイ」にて、再調整リ・キャリブレーションを受けています。……ですがエリック、奇妙なデータがあります』


 脳内に投影されたのは、ミラの脳波と、要塞のメインOS「アステリア・コア」の稼働グラフだった。

 二つの曲線は、もはや独立したものではなかった。ミラの感情の揺らぎに合わせて、要塞の電力供給が脈打ち、防衛システムの演算が加速している。


「同期……してるのか? 人間と、この巨大な要塞が」


『いいえ、それ以上です。……ミラが要塞を支配しているのではなく、要塞という巨大な肉体が、ミラという「魂」を求めて飲み込もうとしています。ハワード大佐の目的は、個人の脱出ではありません。……ミラの意識を全ネットワークに拡張し、人類の意志を統合・管理する、巨大な「神」を造り上げることです』


 エリックは戦慄した。

 彼が直そうとしていたのは壊れた世界だったが、ハワードがやろうとしているのは、人間という種を「機械の部品」へと作り替えることだった。

 ミラの銀色の髪、あの機械と共鳴する力。それは進化ではなく、この要塞という巨大な墓標に捧げられるための生贄の印だったのだ。


『エリック。ミラの同期率、九十四パーセントに到達。……完全同期まで、残り三時間。それを過ぎれば、ミラの個体意識はネットワークの海に溶け、二度と一人の人間には戻れません』


「三時間……。クソっ、ハワードめ……!」


 激しい怒りとともに、プロメテウスが過剰な熱を発した。

 ニューラル・リンクの接続部から、エリック自身の焼ける肉の匂いが立ち昇る。彼は呻き声を上げながらプラグを強引に引き抜き、床に倒れ込んだ。


 情報の重みに押し潰されそうな頭を抱え、エリックは暗闇の中で喘いだ。

 救い出すべきは娘の命だけではない。彼女の「心」そのものが、この鋼鉄の怪物に喰らわれようとしている。


「……行くぞ、アステリア。……最短ルートを、もっと速いルートを出せ!」


『……計算中。……一つだけあります。ですが、それは正規のルートではありません。……この要塞の「廃棄区画」を突き抜ける、文字通りの地獄道です』


 アステリアが提示した最短ルートは、要塞の底に溜まった泥を掬うような、吐き気を催す場所だった。

 「廃棄区画アバンダン・セクター」。そこは、要塞の維持に不要となった資材や、再調整に失敗した「検体」が投棄される、鋼鉄の奈落だ。


 エリックが通気口を蹴り破って降り立った先には、膝まで浸かるほどの冷却水と、廃油の混じった黒いヘドロが広がっていた。辺りには、半壊したアンドロイドの四肢や、役目を終えた電子基板が山のように積み上がり、湿った腐臭が鼻を突く。


『エリック、周囲に生体反応を確認。……ですが、これは「人間」として定義できる数値ではありません』


 アステリアの警告に、エリックはP-12の銃口を向けた。

 暗闇の中、うず高く積まれた基板の山の陰から、幾つもの青白い光がこちらを凝視している。それは眼ではなかった。肉体に直接埋め込まれ、もはや取り外すこともできなくなった、旧世代の光センサーだ。


「……誰だ」


 エリックの声に、影が一つ、ズルリと這い出してきた。

 それはかつて人間だったものだ。下半身は完全に欠落し、代わりに数本の錆びついたサーボモータが、剥き出しの神経と繋がって蠢いている。顔の半分は合成樹脂で覆われ、残された生身の口が、泡を吹きながら言葉を紡いだ。


「……エンジニア……か? その、左腕の……端子。見覚えがある……」


 その男の胸には、掠れた軍の認識番号が刻まれていた。エリックの心臓が凍りつく。それは彼がかつて、軍の技術部隊にいた頃に開発した「生体接続型バイオ・リンクOS」の初期型被験者たちだった。


「お前たちは……まさか、アステリア計画の……」


「捨てられたんだよ……。ハワード大佐は、もっと『綺麗な鍵』を見つけたからな……。なあ、エンジニア。俺たちの脳から、このノイズを……消してくれ。死ぬことさえ……許されないんだ」


 男の背後の影から、同じような異形の者たちが、救いを求めるように、あるいは呪うように這い寄ってくる。彼らは、ミラという「完成形」に至るまでの過程で切り捨てられた、数えきれない失敗作の成れの果てだった。


 エリックの指が、引き金の上で激しく震えた。

 彼が軍で磨き上げた技術が、目の前の悲劇の種を蒔いたのだ。ミラを救おうとする自分の手は、かつて多くの人間をこの地獄に叩き落とした手でもあった。


『エリック。感傷に浸るリソースはありません。敵のパトロール隊がこの区画の異常な電力消費を検知しました。……三〇〇秒以内に、この「墓場」を抜ける必要があります』


「……すまない」


 エリックは這い寄る男の目を見ることができず、ただ短く謝罪の言葉を零すと、彼らを振り切るように暗闇の中を走り出した。

 背後からは、電子の悲鳴と肉の嘆きが混ざり合った、この世のものとは思えない慟哭が追いかけてくる。


 泥を撥ね、鉄屑を蹴散らしながら、エリックは上層へと続くエレベーターシャフトへと急いだ。

 脳内のプロメテウスが、ミラの呼ぶ声のようなノイズを、ますます激しく響かせていた。



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